こども保険の構想

 こども保険をつくろう。自由民主党小泉進次郎議員ほか、若手の国会議員の人たちが呼びかけて提案したものだという。子どもたちのための、保育や進学にかかる費用をゆくゆくは無償になるようにしたい。いっけんすると、とくに非が見あたらない提案だ。もっとも、これは保険と名うってはいるけど、ようするに税金であることは疑いをいれない。増税するということである。

 内実が税金であるのだから、保険などとうたわないで、こども税とはっきりと言ってしまえばよい。そのほうが分かりやすくてよいのではないか。

 税金をとることばかりではなくて、今あるありようをスリム化することもいりそうだ。それなくして、たんに税金を新しくとりますというのだと、賛同が得られづらい。既得権みたいなのを温存してしまう。スリム化は、抵抗が強いから改革が難しいところではあるけど、だからこそやる意味があるともいえる。

 とりやすいところからお金をとってくるという発想だと、ちょっとそこに疑問がおきなくもない。将来へ向けて、必要なお金であるのならしかたがないのもあるのだろう。しかし、大きな政府であることの自明さというのは、見直すこともできなくはない。

 大きな政府だと、設計主義的な計画にもとづく統治となる。それが行きすぎるようだとあやうい。そこは、自由にもとづく市場のあり方とのつり合いをはかりつつ、どちらをより重んじるべきかが問われる。自由だとはいえ、市場というと、新自由主義的な(市場)原理主義をつい思いおこす。あまり印象がよくない。そうはいっても、20世紀は、(市場を無視した)計画にもとづく理性的な統治によって、皮肉にも数々の野蛮な悲惨をまねいた国家の歴史がある。

 国民には納税の義務というのがあるわけだし、税金が必要なのであれば、それをとりたてることはとくにまちがってはいない。そのうえで、みんなの合意のないままに強制してとりたててしまうのであれば、それは権力である。父権主義的であるともいえる。なので、できるだけ根本(ラディカル)のところから見てゆくこともいるのかなという気がする。立て直しというよりは、世直しになってしまうかもしれないが。