事実と価値をまずふ分けしたい。この二つをなるべくまぜ合わせない。
二つをふ分けしたうえで、憲法の問題(issue)をどう見て行くか。社会の問題(social issues)としての、憲法の問題だ。
たしかに、現実を重んじるありかたもある。いまの現実の流れに合わせて、憲法を変えるべきだとするものだ。現実が主(main)で、憲法が従(sub)である。
自然主義の誤びゅうがある。事実と価値をふ分けしたうえで、事実から価値を自動で導いてしまうと誤びゅうにおちいってしまう。事実から価値は自動ではみちびけない。
二元論によって行く。方法論として二元論をとってみると、いくら事実を知ったところで、そこから価値は出てはこない。事実をくわしく知ったとしても、それと価値とはまた別の話である。
二十一世紀は戦争の世紀になりかねない。国どうしが戦争をやりかねないのがいまの世界なのだとしても、そうだからといって、それとは別な話なのが価値についてのことがらだ。
それぞれの国が、軍備の拡張をすすめている。軍拡の競争がおきているところがあるけど、そうだからといって、軍拡の競争をやることに価値があるのだとはできそうにない。
軍拡の競争がおきてしまっているのはあくまでも事実にあたるから、かくあるありようだ。かくあることであっても、それがかくあるべきことだとは必ずしもできるものではない。かくあることが、(かくあるべきなのではなくて)かくあるべきではないことである事例は少なくない。
かくあることで、かくあるべきであることもまたある。法の決まり(rule)だったら、事実から価値をみちびくことが少しできる。法の実証主義である。
科学で実証できる知識だけが正しいのだとする。その立ち場なのが実証主義である。あくまでも条件がついた形としてだったら、法律がかくあるとすることから、かくあるべきだとすることがなり立つ。
規範(きはん)をもち出す。規範の力によってとらえて行く。規範がこうなっているからこうであるべきだとするものだ。国際の法の決まりだったら国際連合の憲章などがある。
イランやウクライナがある。これらの国が、よい国か悪い国かはさしあたっては置いておく。よい国か悪い国かは置いておくとすると、ほかの国から攻められたさいに、規範の力を使って自分たちの国を守ろうとする。保とうとする。文化の力(soft power)だ。
国際の法の決まりがかくあるのだから、それを守るべきだ。国際においては法の実証主義が通じている。規範が活用されている。生きている。むだになっていない。それと同じように、国の内でも法の実証主義が通じなくはない。条件がついた形であればそれを通じさせることがなり立つ。
条件が付かないで通じるのだったら標準の同意があることになる。そこまでにはいたっていない。そのしょうこに、アメリカやロシアなどは国際の法をやぶっている。法の決まりをやぶったことを正当化や合理化している。
なり立ちづらいところをもつのが実証主義や帰納(きのう)だ。帰納は個別のものから一般のものへである。個別の事例がある。そこから、一般の法則をみちびき出す。そうした思考の方法である。知の枠組みとしてはこれらはなり立ちづらい。標準の同意とまではいたらず、あくまでも条件がついた形にとどまる。
基礎づけできづらい。反基礎づけ主義である。価値は自由なのがある。事実はかくあるものだから自由にはできづらいけど、価値は自由がなり立つのだとするのがドイツの学者のマックス・ウェーバー氏だ。
最高の価値のぼつ落がある。神の死だ。ドイツの哲学者であるフリードリヒ・ニーチェ氏による。いくらよい法律があるのだとしても、それを最高の価値とまではできづらいから、必ずしも守られない。国際においてはアメリカやロシアなどは国際の法をやぶる。反基礎づけ主義である。
思想傾向(ideology)であることをまぬがれないのが法の実証主義である。帰納もまたそうであり、批判を受けることがいる。外からの批判に開かれていることが必要だ。
アメリカにはしていないけど、ロシアには批判をしたのが日本だ。ロシアがウクライナを攻めたことについては日本は法の実証主義によっている。国際の法をやぶったのがロシアなのだから、ロシアはよくない。規範の力をもち出す。
価値の自由があるから、それがよいものなのか悪いものなのかは人それぞれでちがう。それを良いものなのだとするかそれとも悪いものなのだとするのかは人によってちがってくる。価値は決めづらいけど、そういう法律になっているのだとするのは事実だ。かくあるものである。
いまの現実に合っているかどうかだったら、二つともがなり立つ。二律の背反だ。いまの現実に合っていないからその法律は悪い。そうではなくて、いまの現実に合っていないからその法律はよい。いまの現実は悪いのだから、その現実に合っていないのだったら、その法律は良いともできる。
いまの現実に法律を合わせたからといって、どのみち二つともなり立ってしまう。二律の背反がおきるはめになる。現実に合うようになったからといって、それだからその法律がよくなったのだとはかぎらず、かえって悪くなった。現実に合わせないほうがよい法律なのだとすることもできるから、価値については決めづらい。
価値の自由があることから、価値の決めづらさがおきるので、それをくみ入れておく。かくあるべきは人それぞれだから、現実に合わせたからといってそれが悪い法律(悪法)だとすることがなり立つ。自然法をもち出すとそれができる。
いま結婚しているのだとしても、すべての夫婦が愛が深いとはかぎらない。結婚は実定法であり、愛は自然法だ。結婚をしていても夫婦の愛がまったくなくなってしまっている事例がある。
結婚をとるのは実定法を重んじることであり、愛をとるのは自然法を重んじることだ。結婚(しているかどうか)がかんじんなのか、それとも愛(が深いかどうか)がかんじんなのかである。結婚をしていてもお互いのあいだの愛が冷めているのだったら意味がないともできる。(愛があるかどうかはともかく)形として結婚していることを重んじるのもなり立つ。
実定法(positive law)がある。いっぱんに国の法律はみんなこれに当たる。守らないとならない義務だ。どの時代にも通じるものではないし、どの地域にも通じるものとも限らない。
自然法(natural law)がある。実定法のもとになるものである。理想論にあたる。その時代だとかその地域だとかといったことであるよりは、どの時代でも通じる。どの地域にも通じる。固有の性質なのとはちがう。つねに当てはまる性質をもつ。
いくらアメリカが悪いことをやっても批判をしないけど、ほかの国が悪いことをしたら批判をすることがあるのが日本だ。少しだけ法の実証主義によっているのが日本である。だらしがなく情けないところをもつのが日本だ。悪さはあるけど、アメリカ以外だったらまっとうな国際の法の決まりをもち出す事例がある。
一つの考え方なのが法の実証主義だ。日本も少しはそれを実践しているのがある。日本の国の内でも、いまの憲法のかくあるありようを守るようにするのは一つの考え方だ。
いまの現実に合わせて憲法を変えるのだとしても、どっちみち二律の背反におちいってしまう。いまの現実に合わせて憲法を変えたからこそ、憲法が悪くなってしまったとすることもできる。価値は自由だからである。
どちらかしかなり立たないのだったらむずかしさは減る。いまの時代に合わせて憲法を変えるのだけが良いことなのだったらややかんたんだ。そこまでかんたんではなくて、現実は難しさをもつ。二律の背反がおきるから、それに耐えないとならない。あれかこれかや、あれもこれもを避けて行く。あれからこれへの転向をふせぐ。
耐える力がとぼしい。二律の背反に耐えられなくなる。日本は耐える力がとぼしいから、いざとなるとあれかこれかとなる。あれもこれもになる。あれからこれへの転向がおきやすい。学者の今村仁司(ひとし)氏による。
現実論と理想論がある。現実論だけだと一つの車輪しかない。もう一つである理想論がないと二つがそろわないから車は走れない。車が動かない。政治では二つの車輪がそろうことがいる。二つのうちの一つの車輪である、理想論としての憲法をいまいちど見直す。
二つの面をもつ。二つの項による。それが政治だろう。現実論だけでもないし、理想論だけなのともちがう。現実論だけだと汚くてみにくさがある。理想論は美しくてきれいだ。汚いところだけを見るとがっかりする。きれいなところだけを見ると現実論から離れてしまう。
一つの面や項としては現実論は無視することができない。もう一つのものであるのが可能性だろう。現実性だけではなくて可能性の芸術なのが政治だ。ドイツの政治家のオットー・フォン・ビスマルク氏による。
すでに生成されているものなのが現実性だ。いまだ生成されていないものなのが可能性だろう。未生成のものがある。そこに希望をもつ。ドイツの哲学者のエルンスト・ブロッホ氏はそのように言う。
この先にすごい希望をもてるといったことではないのにしても、可能性としてはいまだならざるものを持ち出すことはまったくできないこととまでは言い切れそうにない。可能性としての、暴力(排除)なき集団のありようを目ざす。排除とはくだつをなくして行く。
いまだならざる未生成のものをのぞみすぎる。のぞみすぎると一面におちいる。望みが強すぎるととことんになり、理想郷(utopia)が逆に転じる。逆理想郷(dystopia)だ。理想郷を目ざしたつもりが逆理想郷におちいった事例はよくある。
二面によるようにして、ほどほどにすることもいる。望みをほどほどに抑制する。政治の制約をくみ入れておく。制約の条件がつく。
現実論としては暴力はつきまとうが、暴力が少なくなるのに比例して希望を持つことがなり立つ。暴力と希望の相関の関係だ。
いまの世界は国による暴力が強まっているから、希望をもちづらい。日本の国の内をみると、軍事が重みをもち出している。強兵の政策がなされ出している。いまの日本では希望をもちづらい。暴力をなくさないとならない。その可能性をさぐる。政治には対立はつきものだが、敵対の対立(antagonism)にまでいたらないようにして行く。
かくあるものであることでは、憲法は現実論に当たるものでもある。いったん立ち止まるようにして、憲法でいわれているところのものである普遍(ふへん)の価値を見なおし、それを再生させて行く。普遍がないがしろになっているから、それを見直して再生させるようにしたい。
参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『政治のしくみがわかる本』山口二郎 『法哲学入門』長尾龍一 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想の断層 「神なき時代」の模索』徳永恂(まこと) 『教育 思考のフロンティア』広田照幸(ひろたてるゆき) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『中高生のための憲法教室』伊藤真(まこと) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『社会(the social) 思考のフロンティア』市野川容孝(いちのかわやすたか) 『相対化の時代』坂本義和(よしかず) 『高校生のための評論文キーワード一〇〇』中山元(げん) 『ポリティカル・サイエンス事始め』伊藤光利編 『社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』岩田正美 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『希望のつくり方』玄田有史(げんだゆうじ) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『人間と価値』亀山純生(すみお) 『よくわかる法哲学・法思想 やわらかアカデミズム・〈わかる〉シリーズ』ミネルヴァ書房 『政治の見方』岩崎正洋 西岡晋(すすむ) 山本達也 『現代政治理論』川崎修(おさむ)、杉田敦(あつし)編