思考停止語としてとらえる日本や日本人

 政治家などが言う日本をどのように受けとれるか。

 高市首相だったら、日本についてをこう言う。日本を、強く、豊かに、と言っている。

 野党の参政党であれば、日本をこう言っている。私は日本だ(あなたが日本だ)。一人ひとりが日本だ。

 思考の停止の語がある。それを言っておきさえすればよい。呪術として働く。おまじないや魔術などだ。黒い魔術(black magic)がある。言葉をつかった黒い魔術は、修辞(しゅうじ)学による。

 修辞だけだと、論理がとおっていないことがある。修辞に重みをおいて政治で持ち出されるのが、日本や日本人の語だろう。ほかにも政治では呪術の機能の語がいろいろに使われている。財政だと、積極(反緊縮)の財政がある。財政ではないものでは、ふつうの国がある。

 訴えかけるさいに多く持ち出されるのが日本や日本人の語だけど、思考の停止をふせぐようにしてみる。日本についてを少しだけ思考するように試みてみると、二つにふ分けすることがなり立つ。

 すっきりと国をとらえづらい。団結や連帯しているのだったら日本をきれいにとらえることがなり立つ。団結や連帯していないのが日本だから、きれいにとらえづらい。日本といったさいに、どれのことを言っているのか、となる。どれの、または、どの日本なのかが定かではなく、多義性またはあいまいさをもつ。一義とはちがう。

 政党だったら、与党である自由民主党がある。かつては二本あった。党の中にである。保守の本流と、保守の傍流(ぼうりゅう)だ。中道と、右派や保守とできる。

 二本あったときは自民党は強かったけど、いまはそれがなくなっていて、ほぼ保守の傍流のみになっている。そうはいっても、保守の本流はまだかすかには残っているだろう。

 いまは自民党が政党として強いのであるよりは、むしろ高市早苗首相が個人として強い。政治の個人化だ。推(お)しである。おされているのが高市首相だ。自民党が強まっているとはできづらい。政党は存在感がそこまで高くなく、古い政党は衰亡している。

 多義なのをくみ入れてみると、どちらの日本なのかがある。どちらについての日本なのかがあるけど、そこにふれていない事例が多い。どちらの日本なのかによって大きくちがってくるのがある。特殊としての日本なのか、それとも普遍(ふへん)としての日本なのかだ。あれか、これかだ。

 特殊としての日本は、実在するものだとされる日本だ。実体や実質としての日本である。

 普遍としての日本は、形式論のものだ。このさいの形式は、法の決まりをさす。法の決まりにおいてもっとも重いものなのが憲法だ。近代の憲法主義(constitutionalism)の憲法であることがのぞましい。いまの日本の憲法はそれに当たる。

 どちらの意味において、日本の語を用いているのか。その点についてを見てみると、二つあるうちで、特殊としての日本が言われることが多くなっている。政治において日本と言ったら、それは普遍としての日本をさすのではない。特殊としての日本をさす事例が多い。

 思考の停止がうながされることになる。いまの日本の政治では、思考の停止がうながされている。日本の語が言われるさいに、特殊なものとしての日本をさすのがわざわいする。どんどん、特殊なものとしての日本が言われてしまっている。さかんにそれが言われているから、多くの人たちが影響を受けてしまう。

 いまとかつてのいまかつて間がある。かつてをふり返ってみると、そこまで言われていなかったのが、特殊なものとしての日本だ。戦後のしばらくまではそこまで言われていなかったものだろう。

 かつてはそこまで言われていなかったのが、だんだん言われ出してきている。日本の政治が右傾化していることによる。右傾化がおきていて、戦前の大日本帝国のときと同じようになっている。新しい戦前だ。

 固有の性質としての日本がさかんに言われていたのが、戦前の日本だろう。固有の性質をもつのが日本であるのだとして、それがいっぱい言われて、敗戦にまでつき進んでいった。

 敗戦したことによって日本が手に入れたのが、普遍としての日本だ。近代の憲法主義による憲法を新しくつくる。つねに当てはまる性質の日本である。固有の性質ではない日本である。

 つねに当てはまる性質の日本だったらのぞましい。固有の性質ではないものであればよい。つねに当てはまる性質とは、たとえどのような国であったとしても重んじるべきことを重んじるものだ。普遍の価値に当たるものを、重んじて行く。基本の人権や、国民の主権や、平和主義(平和の生存権)などである。

 いちいち、どちらの日本にあたるのかを言わない。わざわざどちらの日本のことを言っているのかを言わないのがあるから、そこが不明である。どちらの日本についてでも言うことができるから、特殊なものとしての日本を言うことができてしまう。

 せっかくいったんは手に入れたものである普遍としての日本を、手ばなそうとしているのがいまの日本だろう。敗戦することによって手に入れることになった貴重なものである普遍としての日本を捨てようとしていて、特殊なものとしての日本に回帰しようとしている。戦前への回帰だ。日本の政治の右傾化である。

 ずっとよしとされていたのではなくて、いったんは否定された。敗戦することによっていったんは否定されたものなのが、特殊なものとしての日本だ。固有の性質をもつ日本はいちおう否定されて、新しく普遍なものとしての日本でやって行こうといったことになった。

 完全に否定し切れない。一〇割は否定できなかったのが、特殊なものとしての日本だろう。敗戦によって反省されはしたけど、生き残りつづける。日本は特殊なのだとするのは、戦後においても残りつづけた。日本特殊論である。

 そのときどきで、どちらを選ぶのかが変わる。どちらをより重んじるのかが変わる。戦前は普遍よりも特殊に重みが置かれていた。敗戦してすぐのころは、特殊は悪かったとなり、それが弱まった。普遍に重みが置かれる。アメリカ時代の始まりである。

 戦後の、敗戦してしばらくまでは普遍に重みがあり、特殊は弱まる。いちおう特殊は弱まっていたけど、政治の右傾化がおきることで、特殊が強まり出している。普遍がうんと弱まっている。

 いまうんと弱まっているのが普遍としての日本である。弱まってしまうとまずいのはあるけど、それが弱まってしまうわけとしては、日本で根づきづらいからだろう。日本で根を張りづらいのが普遍である。

 食べることでいうと、普遍は体の中にとどまりづらい。栄養素として普遍を体の中に入れても、それが栄養になりづらい。体の外に排泄されてしまう。食べたものが身にならない。そっくりそのまま(栄養素が)体の外に出ていってしまう。

 訴えるさいにはあまり強く響かないのが普遍としての日本だ。政治で訴えるさいにはできるだけ強く響くものがいるから、そうすると特殊なものとしての日本をばんばん言うことになる。

 強く響くのだとはいっても、有るのではないのが日本だ。有るのではなくて、無いのが日本である。政治で多く言われているけど、それはたんに多く言われているだけであって、日本が有ることにはならない。だれも日本をじかに見た人はいない。

 共同の幻想なのが国である。共同幻想論だ。思想家の吉本隆明氏による。国は幻想性による。国の政治は擬制(ぎせい)なのがあり、それが終えんしかけている。国の政治への不信がつよい。政治の個人化がすすむ。

 いまだけではなくて、かつての戦前の日本でも有るのではなくて無いものだった。だれも日本をじかに見た人はいなかった。無いものを有るかのようにされていて、敗戦にまでつっ走っていった。じっさいには日本は無いのがあらわになるすんぜんのところまで行った。アメリカによって日本を完全になくされるかもしれなかった。

 敗戦したすぐあとは、政府がないありようだったという。無政府の状態だ。権力がなくなる。国がないようなありようになったけど、それでも人々の生活はつづいたという。国がなくなり、政府がなくなっても、場合によっては生活ができなくはない。

 戦前の日本がまちがっていたのは、日本が無いのに、有るかのようにしていたことだろう。特殊なものとしての日本だ。非科学である。擬人化の思考である。思考が停止していて、考えることを禁じられていた。

 全体は、非真実である。虚偽である。哲学者のテオドール・アドルノ氏はそう言う。全体としての日本は非真実だ。虚偽である。

 普遍を見直して行く。いまはうんと弱まってしまっているのが普遍だけど、それを見直すようにしてみると、それを重んじるべきなのが分かる。日本と言ったさいに、どちらの日本なのかが明らかではないことが多いけど、それを明らかにするようにして、いちいち確かめるようにする。

 いちいち確かめるようにしたさいに、特殊なものとしての日本の事例が多い。特殊なものとしての日本だったら、その前提の条件をくずすことがなり立つ。前提の条件として、日本は有るとなっているから、じつはそれは無いのだから、それをさし示す。無いのをさし示せば、前提の条件をくずせる。

 政党でいえば、保守や右派の政党がある。与党である自民党や参政党などだ。右の政党は、日本の語をよく言う。日本や日本人の語をよく言うけど、そのさいの日本は、特殊なものとしての日本だ。

 右の政党や、右の政治家がいう日本は、その前提の条件をくずせる。うったえかけの力が強くて、よく響くものなのが日本や日本人の語だけど、その前提の条件をくずせるから、言われていることをそのまま丸ごとうのみにしないようにしたい。

 だれもじっさいに見たことがないものなのが日本(や日本人)なのだから、特殊ではなくて、普遍なものとしての日本によるようにして行く。普遍だったら、憲法を重んじて行ける。近代の憲法主義の憲法を重んじるようにして、普遍の価値をだいじにする。

 たとえ日本人なのだとはいっても、一〇割の日本人だとはかぎらない。戦後のいまはアメリカ時代だから、アメリカ化された日本人だ。西洋化されている。他者(他国)化だ。国に、穴があきまくっている。多孔(たこう)化である。食べものも西洋化していて、和食は主ではない。多様化しているのがあり、たとえお米が安かったとしても、お米ばっかり食べるのとはちがう。

 かつてから今まで、日本の時代だったことは一回もない。前近代をふり返ってみると、中国の時代だった。日本にとって文明の国だったのが中国だ。日本は文明にまではいたらなくて、文化にとどまる。アメリカもまた文明の国だ。思想の外来性をもつのが日本であり、外から色々なものをとり入れて行く。戦前は、西洋の列強のまねをした。帝国主義や植民地主義だ。

 いまは特殊による陶酔(とうすい)が強まっている。日本の政治の右傾化による。日本の語が多く言われていることから陶酔が強まっているけど、ふり返ってみると戦前の日本でもそうだったものだろう。

 戦前の日本でも陶酔が強まって、それで敗戦まで行った。敗戦にまでつき進んでいった。敗戦していったん少し覚醒(かくせい)したけど、いまはまた陶酔が強まっている。ことわざでいう、のど元すぎれば熱さを忘れるだ。

 熱さを忘れている、つまり歴史を忘れている中で、いかに覚醒できるかが重みをもつ。歴史を想起して行く。とりわけ負の歴史は忘れ去られがちだ。隠ぺいされる。否定の契機(けいき)のまっ消だ。覚醒するためには、普遍なものとしての日本を主とすることがいる。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『ビジネスを蝕(むしば)む 思考停止ワード四十四』博報堂ブランドデザイン 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『法哲学入門』長尾龍一 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『うたがいの神様』千原ジュニア 『政治家を疑え』高瀬淳一 『勝つための論文の書き方』鹿島茂 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『境界線の政治学』杉田敦(あつし) 『「戦争と知識人」を読む 戦後日本思想の原点』加藤周一 凡人会 『楽々政治学のススメ 小難しいばかりが政治学じゃない!』西川伸一 『日本史の考え方 河合塾イシカワの東大合格講座!』石川晶康(あきやす) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『日本人はなぜ存在するか』與那覇潤(よなはじゅん) 『歴史を繰り返すな』坂野潤治(ばんのじゅんじ) 山口二郎 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『ねじれの国、日本』堀井憲一郎 『ポストコロニアル 思考のフロンティア』小森陽一 『アイデンティティ(identity) / 他者性(otherness) 思考のフロンティア』細見和之(ほそみかずゆき) 『歴史家が見る現代世界』入江昭(あきら) 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお) 『社会学になにができるか』奥村隆編 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!』細野真宏 『現代に生きるファシズム』佐藤優(まさる) 片山杜秀(もりひで) 『山本七平(しちへい)の思想 日本教と天皇制の七〇年』東谷暁(ひがしたにさとし) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』半藤一利(はんどうかずとし) 保阪正康(ほさかまさやす) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『だれか、ふつうを教えてくれ!』倉本智明 『新書で大学の教養科目をモノにする 政治学』浅羽通明(あさばみちあき) 『希望の国の少数異見 同調圧力に抗する方法論』森達也、今野哲男(企画協力、討議) 『民族という名の宗教 人をまとめる原理・排除する原理』なだいなだ 『公私 一語の辞典』溝口雄三 『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組 体は自覚なき肯定主義の時代に突入した』須原一秀(すはらかずひで) 『憲法主義 条文には書かれていない本質』南野森(しげる) 内山奈月 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『原理主義 思考のフロンティア』臼杵陽(うすきあきら) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『知の編集術』松岡正剛(せいごう) 『考える技術』大前研一 『高校生のための評論文キーワード一〇〇』中山元(げん) 『議論のレッスン』福澤一吉(かずよし) 『社会(the social) 思考のフロンティア』市野川容孝(いちのかわやすたか) 『国体論 菊と星条旗』白井聡(さとし) 『貧困の倫理学』馬渕浩二 『砂漠の思想』安部公房(こうぼう) 『日本が「神の国」だった時代 国民学校の教科書をよむ』入江曜子 『組織論』桑田耕太郎 田尾雅夫