政治の推(お)しと、二大政党の問題

 高市首相をよしとするべきなのか。自民党をよしとするべきなのか。

 いま多くの人たちからよしとされているのが、与党である自由民主党の高市早苗(たかいちさなえ)首相だ。

 たとえいま日本で多くの人たちがよしとしているのが高市首相なのだとしても、そうだからといってみんなが高市首相をよしとしなくてもよいものだろう。みんなが自民党をよしとする必要はない。

 標準となる同意があるかどうかがある。どの政治家をよしとするのかや、どの政党をよしとするのかには、標準となる同意があるとはできそうにない。

 まちがいなくこの政治家がよい。まちがいなくこの政党がよい。だれがどう見てもこの政治家がよいとかこの政党がよいとできるのであれば標準の同意があることになる。政治においてはそういったものがあるとはできづらい。

 アメリカでは二大政党制がなり立っている。いまは二大政党制が崩れてしまっているところが少しあるかもしれないが、二つの大きな政党があるのは、アメリカの政治において標準となる同意がないことを示す。

 二つの大きな政党があるのなら二律の背反(はいはん)だ。どちらもなり立つ。アメリカをもち出すと、共和党と民主党の二つともがなり立つ。一つしかなり立たないのとはちがう。二律の背反に耐えることによって二大政党制はなり立つものだろう。不快さに耐える。負けてもそれを受け入れる。科学のゆとりをもつ。憲法主義(constitutionalism)だ。

 アメリカのように二大政党制がなり立っているとはできそうにないのが日本だ。二大政党の問題が日本にはある。政権の交代がおきづらくなっている。もともと日本の政治は自民党の独裁のようなところがあるけど、それが強まっているのがいまの日本の政治だろう。

 制度としては小選挙区制がとられている。日本で小選挙区制がとられているのは、二大政党制をうながすためなのがある。できるだけ政権の交代がおきやすくして行く。じっさいには政権の交代がおきなくなってしまっているけど、いちおうそれがうながされているのがあり、これは日本の政治において標準となる同意がないことを示す。

 アメリカだったら、自由の国なのがあるから、ある人は共和党をよしとする。ちがう人は民主党をよしとする。だれがどの政党をよしとしてもよい。だれがどの政治家をよしとするのも自由である。好きに政党や政治家を選んでよいし、それを表現するのもまた自由である。

 アメリカは自由の国だとはいっても、いま自由が少しおかしくなっているところがありそうだ。アメリカほどには自由の国とはいえそうにないのが日本であり、自民党がひとり勝ちしているところがある。日本の中で自民党をよしとしていない人は、あんまりい場所がない。自民党をよしとしない人のための受け皿があまり用意されていない。

 民主主義だったら数が一だけではなくて二はいる。学者のニクラス・ルーマン氏による。政党であれば与党と野党のように二は必要だ。このさいの野党は形だけのものではなくてちゃんとしたまっとうなそれなり以上の力をもった野党である。野党への寛容(かんよう)さがいる。

 アメリカは二大政党制であるところから二のところがあるけど、いまはそれが少しあやしくなってきていて、一・五くらいになっていそうだ。もっとあぶなくなると一・五が一になり、民主主義ではなくなってしまう。

 日本は二大政党制がなり立っていないから二とはできそうにない。二ではないのなら民主主義とはいえそうにない。二はいるのが民主主義だからだ。一・五ともなっていなくて、一にかなり近いのが日本の政治だろう。一しかなくて、自民党しかない。自民党ではないほかの選択肢があまり見あたらない。その政党や政治家のせいではないけど、あとは弱い力をもった政党しかないのが現実だ。

 日本の政治の中で弱いものといえば、自由主義(liberalism)だろう。なにかと悪く言われて、たたかれがちなのが自由主義だ。左派である。自由主義がすごく弱いのが日本の政治なのだから、それを強くしないと、数が二にならない。自由主義が弱いままだと数が一にかぎりなく近い。自由主義とはいえないものである自民党しか選びようがなくなる。いまの自民党は右傾化しているから、自由主義者があんまりいなくなっている。党の中での力が弱い。

 アメリカだったら、いまは共和党をよしとしている人が多いだろうけど、そうだからといってそうした人たちが正しいとはかぎりそうにない。いまは民主党をよしとしている人はあんまり数が多くはないかもしれないが、そうだからといってそうした人たちがまちがっているとは限らないのがある。

 日本のすべての人たちが自民党をよしとしたり高市首相をよしとしたりしているとはできそうにない。ある立ち場の人たちは自民党をよしとしたり高市首相をよしとしたりしている。そういった人たちとはちがう立ち場の人たちもいる。たとえば野党の日本共産党や社会民主党なんかをよしとする立ち場の人たちもいて、そういった人たちがまちがっているとはかぎりそうにない。

 お店だったら、一店しかなければそこでしかものを買いようがない。二店あれば、どちらのお店でものを買うのかを選ぶことがなり立つ。政治でも、二つの政党があって、力がおんなじくらいであれば、競争性がなり立つ。政党間の競争(party competition)だ。

 日本の政治は、競争性がよわい。お店でいえば一店しかないようである。みんながそのお店でしかものを買わないから、努力しなくてもそのお店(自民党)はもうかる。よいからもうかるのではない。良くなくてももうかるのである。うはうはだ。

 具体論からはなれてみて抽象論によってみる。抽象論によってみると、どういった政党かやどういった政治家かは抜きにして、何らかの政党や何らかの政治家をよしとすることがなされる。そこで具体論をもち出すと、線を引くことになる。この政党をよしとするとか、この政治家をよしとするといった具体論になると、線が引かれることになる。この政党をよしとする人としない人とか、この政治家をよしとする人としない人とかがおきて、そのあいだに線が引かれる。

 具体論だと強く線が引かれるが、そこをいったんはなれて抽象論によってみる。抽象論からすると、どの政党やどの政治家をよしとしようとも、あんまり大きな差はないかもしれない。政治は対立による。対立するのは、お互いに似たところをもつ。月とすっぽんといったようにかけ離れていると対立がないから政治はない。

 たとえよしとされている政党や政治家だったとしても、じっさいに政治をなすうえで失敗することはある。じっさいにやってみて失敗する事例はある。結果を出せない。成果が出ない。

 よいものと悪いものとのちがいをつけないで、いっしょくたにするのは良くないことではある。政党や政治家のよし悪しをよく見て行くことはいるが、その二つのあいだの分類の線がゆらぐ。分類の線をはっきりと引きづらいのがあり、どの政治家もうたがって行く。どの政党もうたがうようにする。政治家の語りをそのまま丸ごとうのみにしないようにする。

 よいのとだめなのとでは、よいとされていてもだめだったり、だめだとされていてもそうではなかったりする。学者のマックス・ウェーバー氏は、心情の倫理と、責任の倫理をいう。二つの行動だ。

 動機論によるのが心情の倫理だ。動機の純粋さをよしとする。思想を重んじて行く。

 結果論によるのが責任の倫理だ。現実論による。利害の調整をして行く。うまいぐあいにおり合いをつける。主張だけではなくて、譲歩(じょうほ)をして行く。お互いに交渉をやる。第三の道を創造して行く。矛盾を解決する。部分の社会工学(piecemeal social engineering)をなす。

 心情の倫理ではのぞましくなくて、責任の倫理がいるのが政治だろう。日本の政治家は、心情の倫理によるのが増えている。責任の倫理による政治家が、日本ではほとんどいなくなっていそうだ。無責任の体系になっている。

 のぞましいのが責任の倫理だけど、それとはちがう心情の倫理の政治家が増えているのがいまの日本の政治なのだから、よくないあり方だ。説明の責任(accountability)をきちんとはたさない。

 どの政治家も、たいていは心情の倫理によっているところがあるから、だれを良しとしたところで、そこまで大きな差はないかもしれない。いまの日本の政治では責任の倫理がなくなっていて、心情の倫理ばかりになっているのを批判してみたい。二つの行動があるうちで、よくない行動に重みがおかれている。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『境界線の政治学』杉田敦(あつし) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『政治家を疑え』高瀬淳一 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『「責任」はだれにあるのか』小浜逸郎(こはまいつお) 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『政治の見方』岩崎正洋 西岡晋(すすむ) 山本達也 『子どものための哲学対話』永井均(ひとし) 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『うたがいの神様』千原ジュニア 『精神分析 思考のフロンティア』十川幸司(とがわこうじ) 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『東大人気教授が教える 思考体力を鍛える』西成活裕(にしなりかつひろ) 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『「戦争と知識人」を読む 戦後日本思想の原点』加藤周一 凡人会 『科学的とはどういう意味か』森博嗣(ひろし) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組 体は自覚なき肯定主義の時代に突入した』須原一秀(すはらかずひで) 『これが「教養」だ』清水真木(まき) 『一三歳からの法学部入門』荘司雅彦 『対の思想』駒田信二(しんじ) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり)