日本はイスラエルをきびしく批判する立ち場をとるべきではないか。
パレスチナに暴力をふるうイスラエルにはっきりした態度をとらない。あいまいな態度をとっているところがあるのが日本だ。
視点を少し変えてみる。ぎゃくに、イスラエルをよしとする立ち場に立ってみる。
中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義(liberalism)だ。
ぎゃくからしてみると、イスラエルをよしとする立ち場もなくはない。
民主主義であればイスラエルをよしとすることにはならない。原理主義であればイスラエルをよしとする立ち場がなり立つ。
ここでいう原理主義は、権威主義といったようなものだとしたい。
アメリカがイスラエルと協調しているのは、アメリカが原理主義の立ち場に立っているからである。
もしもアメリカが民主主義によっているのだとすれば、イスラエルのことをきびしく批判することになる。イスラエルとアメリカはおたがいに対立し合う。
二つの道に分かれている。分かれ道があって、イスラエルやアメリカは、どちらの道にも進める。民主主義の道に進むのがのぞましいけど、原理主義の道をとってしまっているのがイスラエルとアメリカだ。
一つの道だけだったらわかりやすいけど、二つの道があるから迷う。どちらの道によるべきかの標準の同意はない。価値についてのことには標準の同意がないから、国は自由をもってしまっている。
自由をもっていなくて、強制で民主主義の道しか選べないのだったらまちがいがおきない。国は主権をもっているから、自由をもててしまっていて、それがわざわいしている。
よい道を選ぶのだったらよいけど、わるい道を選んでしまう。わるい道を選んだとしても、とちゅうで引き返すのだったらまだしもよい。やり直す(redo する)。民主主義だったらやりなおしの機会が豊かだ。
原理主義によっていると、やり直しがきかない。やり直しの機会がひどくとぼしい。とにかく国がやることであれば正しい。国がなすことが強く正当化されることになる。
迷いがなく、なやみがない。いっさい悩まないあり方なのが原理主義である。まちがいなく国がやることは正しいのだとなる。わるい道を選んでしまい、その道をずんずんつき進む。わるい道をどんどん進んでいってしまう。加速度によって進んで行く。
イスラエルはパレスチナに暴力をふるっているから、悪さをなす。イスラエルが悪いのはあるけど、それを逆から見てみて、ちがう視点によってみると、どうであればイスラエルは正しいのか、とできる。
イスラエルやアメリカが正しいのだとすると、それは原理主義によっていることになる。民主主義によるのだとすれば、イスラエルやアメリカはまちがいだ。
日本はどうかといえば、民主主義によれていない。日本は民主主義によれていないから、イスラエルをきびしく批判できていなくて、甘く許しているところがある。
きちんと民主主義ができていれば、日本はイスラエルやアメリカと対立できる。二つの道がある中で、民主主義の道をえらばない。原理主義の道を行っているところがあるのが日本である。
批判されるところのものであるイスラエルやアメリカについてを見てみると、それらの国々と日本は、そう遠くはないことが見えてくる。近しいあいだがらにあるのが、イスラエルやアメリカと日本である。
たとえ批判されるところのものなのがイスラエルなのだとするのにしても、反ユダヤ主義だといったわけではない。反ユダヤ主義なのではなくて、イスラエルの本質をぎんみして行く。
本質をぎんみして行くと、イスラエルへの批判、つまり原理主義への批判だとできる。原理主義を批判してみると、イスラエルだけではなくて、アメリカ、日本もまた悪い。
じっさいの国を見てみると、どこの国も原理主義のところがなくはない。国の設立(constitute)のところをとり上げてみると、じっさいの国ではないけど、いまの日本の憲法をもち出せる。いまの日本の憲法は、近代の憲法主義(constitutionalism)によっているものであり、民主主義のありようだ。
三つの柱である、平和主義、基本的人権尊重主義、国民主権主義によっているのが日本の憲法である。憲法をちゃんと守るようにすれば、迷いや悩みはおきるのにしても、民主主義によることがなり立つ。
まちがいなく確かだといったふうにはできないけど、迷いや悩みがありつつ、原理主義をさけられるのが日本の憲法のよさである。価値については標準の同意がないから、たとえ民主主義によるのだとしても、はたしてこれでよいのかといった迷いや悩みはおきてくる。
まちがいのない絶対の正義だといったふうになってしまうのが原理主義だ。原理主義だとまちがい主義(fallibilism)によることができないから、人がなすことであるよりも、完ぺきな合理性をもつ神さまのようになる。
まちがい主義によるようにして、あらかじめまちがいを組み入れておく。合理性に限界があり、限定された合理性しかもっていないのが人だ。イスラエルだったら、ユダヤ人は合理性に限界があり、限定された合理性しかもっていない。イスラエルが国としてまちがいをしでかす。
人はまちがうことがよくあるから、国をきびしく批判して行く。国がなすことの本質をぎんみして行く。人はまちがいを少しずつ少なくすることができるのにとどまる。国はまちがいをしでかすことがしばしばある。むぼうな戦争や、人権の侵害や、権力の独裁である。
イスラエルがいっさいまちがえていないのかといえば、そうとはできそうにない。少しでも国がまちがいをしないようにして行く。原理主義の道をえらばずに民主主義の道を進むようにうながす。近代の憲法主義による憲法をちゃんと守るようにして行けば、ふさわしい道を国が選びやすくなる。
国がまちがいをしでかすのは、近代の憲法主義の憲法をちゃんと守らないことによる。かつてのアドルフ・ヒトラーによるナチス・ドイツは、せっかくすぐれたワイマール憲法があったのに、それをちゃんと守らなかったので、まちがった道を進んだ。憲法を悪用した。
どの国であったとしても、まちがった道を進んでいってしまう誘引(incentive)がはたらく。近代の憲法主義の憲法をちゃんと守らない誘引がはたらいてしまう。よくない誘引によらないようにして、それに負けないようにするのは易しくない。誘引に負けてしまう。
イスラエルも、アメリカも、日本も、よくない誘引が強くかかっていて、それに負けてしまっている。よくない誘引によって国が動いているから、それに歯止めをかけることがいる。近代の憲法主義の憲法をちゃんと守って行くことがかぎになる。
いくら憲法を守るべきだといっても、言うことをきかない。憲法を守るのは、そうするべきだといったことだから、価値についてのことがらだ。価値についてのことは標準の同意がないから、憲法を守ることもできるし守らないこともできる。憲法を守らないで、原理主義の道をとることができてしまうのが国である。
かならず民主主義の道を国に進ませるように強制することができない。かつてのアドルフ・ヒトラーによるナチス・ドイツは、国が自由さをもつのを示している。ナチス・ドイツをふり返ってみると、国は自由さをもっていて、全体主義になれる。専制主義になることができる。みんなが同じ考えを持つことを強要する体制なのが全体主義である。個性が否定される。
全体主義だって別によいではないか。みんなが同じ考えを持つことを強要する体制のほうがのぞましい。立ち場としてそういったものもある。色々なちがう考えが必要とされない。ちがう考えは必要性がないものだとされることになる。みんなが同じ考えをもっていたほうが集団として便利だ。効率性がきわめて高い。
原理主義の道を進むのだと、国がよしとする考えではないそれ以外の考えを持つことが許容されない。全体主義をよしとしているところがあるのが、イスラエル、アメリカ、日本だろう。
参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『新版 哲学・論理用語辞典』思想の科学研究会編 『法哲学入門』長尾龍一 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『現代思想の断層 「神なき時代」の模索』徳永恂(まこと) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『組織論』桑田耕太郎 田尾雅夫 『目のつけどころ(が悪ければ、論理力も地頭力も、何の役にも立ちません。)』山田真哉(しんや) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『ヒトラーの正体』舛添要一(ますぞえよういち) 『憲法が変わっても戦争にならない?』高橋哲哉、斎藤貴男編著 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『原理主義 思考のフロンティア』臼杵陽(うすきあきら) 『民主主義という不思議な仕組み』佐々木毅(たけし)