日本に外国人は必須なのか。
日本に日本人は必須だけど、外国人は必須ではない。外国人は任意だ。そういった見なし方がある。
日本人がいさえすればよいのだったら、日本にとって日本人は十分な条件である。
外国人が日本にとっての必要な条件なのであれば、外国人は日本にいなくてはならない。外国人がいなければ日本はなり立たない。
かつてからさかのぼってみると、日本にとって、外国や外国人は、任意なものであるよりも、必須なものだった。必須なものとして、外国や外国人がもち出されていた。
近代よりももうちょっとさかのぼって、前近代である江戸時代の末くらいから、日本はまわりの国を見下す。日本のとなりにある朝鮮半島を見下す。日本をよい国だとするために、日本ではないそれ以外のものをていどが低いものだとし始めていたのである。
前近代は、中国の時代だった。中国が文明としてある。日本はそれから強い影響を受ける。
近代に入ると、欧州の時代になった。第二次世界大戦までである。第二次大戦のあとはアメリカの時代に入る。
中国の時代のときには、日本は中国に近づこうとした。欧州の時代のときは、欧州に近づこうとして、西洋の列強の仲間入りをはたす。アメリカの時代では、アメリカに近づこうとして、英米をお手本とした。
欧州とアメリカは、功利主義の文明だ。民主主義と市場主義の経済である。民主主義は最大の多数による。市場主義の経済は、最大の幸福(効用)だ。行動の原理として快楽や幸福を重んじる立ち場なのが功利主義である。
行動の原理として快楽や幸福を重んじるのがもっとも良いことかどうかはわからないけど、世俗のあり方としてはふさわしい。世俗をこえた、宗教をもち出さなければである。
近代では、宗教を抜きにして、政治と宗教を分離させる。宗教どうしが争い合ったのが宗教戦争だ。西洋の中世でおきた宗教戦争からの教訓である。それぞれの人が自己決定権(愚行権)をもつ。中立な立ち場から判断する思想である、自由主義(liberalism)によって行く。
もともと日本はアメリカとの関係がそれなりに近いのがあり、江戸時代の末である一八五三年に日本に黒船がやってきて開国をせまられたときからのつき合いである。国どうしの関係の点では、日本に深くなじみがある国の一つなのがアメリカだ。
世界の中心としては中国、欧州、アメリカなんかがある。日本は周縁(しゅうえん)だ。周縁ではあるけど、中心に近づく。
自己同一性(identity)をどうするのかで、日本は自分たちを周縁とするのではなくて、中心だとする。日本が中心なのだったら、それにたいする周縁がおきる。周縁として外国をおく。朝鮮半島が周縁として置かれる。
脱亜入欧が目ざされる。日本はできるだけ欧州に近づこうとしたので、東洋を軽んじた。東洋の中ではじめに近代化をなしとげたのが日本であり、おくれた東洋の中でもっとも進んでいるのが日本なのだとする。
東洋を軽んじるとはいっても、戦前では東洋とのつながりを持とうとするところがあった。日本が上に立つ形ではあるけど、東洋とつながろうとするところがなくはなかった。
第二次大戦のあとでは、東洋を軽んじるのがますます強まった。戦前よりもさらに軽んじるようになり、アメリカを光だとしてあがめることになる。日本にとってアメリカが光だったのである。光を見すぎていて、そのことによって東洋を見ることがおろそかになる。
光であるアメリカの方ばかりを見ていたのは、東洋を見たくなかったからだ。東洋を見ないようにするためにアメリカばかりを見ていた。日本にとって東洋は原罪(original sin)がある地域である。戦前に日本は東洋に悪さをなした。とりわけ朝鮮半島には悪さをしたのがあり、植民地化して支配したのがある。
まっさきに東洋の中で近代化したのが日本だから、日本の近代はどちらかといえば明るさをもつ。戦後にすごく日本の経済が高まったのがあり、一九八〇年くらいまで日本は明るかった。そこからあぶく(bubble)の経済がはじけて、失われた三〇年といわれるときが引きつづく。近代における日本の明るさが変わり、明るさから暗さへといったふうになる。
中国や欧州やアメリカほどには中心ではないのが日本だ。周縁のところがあるのが日本であり、大国といえるほどのものではない。中くらいまたは小さい国である点では、日本はとなりの国である韓国と似たところをもつ。
共通点はあるけど、日本の自己同一性として、日本を中心なのだと見なすと、それにたいする周縁がないとならない。中心と周縁との組みである。中心である日本だけがあるのだとするのだと周縁が欠けてしまう。
いまにおいて、周縁としてもち出されているのが外国人である。日本人は中心であり、それにたいする周縁に当たるのが外国人である。
日本は日本人によるものなのだから、日本人だけがいればそれでよいのかといえば、そうとは言い切れそうにない。日本人だけなのは中心があるだけだから、周縁があるのでないと、中心と周縁の組みがなり立たない。
自分が何者であるのかがわかっているかどうかがある。日本人はいったい何者なのか。日本人が何者なのかがわかるためには、中心としての日本人だけではわからなくて、周縁があることがいる。周縁として外国人をもち出すことで、中心としての日本人がわかる。
外国を抜きにしては、日本の自己同一性はなり立ちそうにない。外国人をもち出すことによってはじめてなり立つものなのが日本人の自己同一性だろう。かつてにさかのぼると、前近代である江戸時代の末ごろから、周縁である外国をもち出すことによって、日本は自己同一性をつくってきたのがあり、それが今でも引きつづいている。
周縁に当たるものだったら何でもよくて、それに当たるのが朝鮮半島であったり、そうではなかったりする。中国を当てはめるのでもよいけど、いまでは中国は経済がすごくなって、とっくに日本を追い抜いている。
日本ではないちがうものを周縁に当てはめようとするのが、日本がもつ表象(representation)のありようだ。朝鮮半島だったら、朝鮮半島それそのもの(presentation)ではなくて、日本が心の中の像(image)としてもっているのを、外に表現したものである。
それそのものであるよりは、日本が心の中の像として外に表現したものなのが、外国や外国人である。日本は表象する主体であり、外国は客体だ。表象する行動者が日本で、外国はその相手である。主体と客体は固定されたものではないから、客体が行動者になることもなり立つ。主体としての日本がもつ認識はあくまでも主観である。
参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『アイデンティティ(identity) / 他者性(otherness) 思考のフロンティア』細見和之(ほそみかずゆき) 『日本史の考え方 河合塾イシカワの東大合格講座!』石川晶康(あきやす) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『ポストコロニアル 思考のフロンティア』小森陽一 『境界線の政治学』杉田敦(あつし) 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『国体論 菊と星条旗』白井聡(さとし) 『日本の「運命」について語ろう』浅田次郎 『現代思想事典』清水幾太郎(いくたろう)編 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『アジア / 日本 思考のフロンティア』米谷匡史(よねたにまさふみ) 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『現代倫理学入門』加藤尚武(ひさたけ)