政治と正しさについての考察:正当性(right)と力(might)

 政治において、正しさとはどういうことなのだろうか。

 たとえば、日本の国の外でいえば、中東ではイスラエルパレスチナのもめごとがある。ほかの地域では、ウクライナとロシアの戦争がいまなされている。

 日本の国の中では、消費税の減税の政策がいわれている。野党では、日本共産党やれいわ新選組なんかが減税を強くいう。

 正しいのにこしたことはないけど、政治においての正しさで、西洋の哲学でいわれる弁証法(dialectic)をもち出してみたい。

 何が正しいのかがある。イスラエルパレスチナだったら、イスラエルが正しい、ユダヤ人が正しい。または、パレスチナが正しい。

 ウクライナとロシアだったら、おおむねウクライナが正しい。ロシアはまちがっている。なんでロシアがまちがっているのかといえば、不当な武力の行使をしたからである。国際として禁じられているものなのが不当な武力の行使だ。

 形式の支えがないのがロシアである。形式論からするとそれがなり立つ。いくら実質としてロシアが正しいのだと言ったとしても、形式の支えがないと、実質だけではぐらつく。あらゆる国は、きちんと国際の法の決まりを守らなければならない。法の決まりをやぶると、形式の支えを欠く。文化の力(soft power)である。

 ロシアは悪いのはあるけど、そうかといって、ロシアにはロシアの言いぶんがある。ロシアは、あくまでも自国が正しいのだと言う。正しい戦争を戦っているのである。正戦論だ。戦争観の一つである。

 何かが正しいのがあるとして、その正しさは、たんに正しいのであるだけではなくて、弁証法でいえば正だ。正と反と合があるなかでの、正に当たるものである。

 日本の国の中だったら、いまは消費税の減税が言われていて、それが正しいことだとされているのがある。消費税の減税は、弁証法においては、正だ。正といってもよいし、また反といってもよい。いまある消費税の制度が正だとすると、それに対抗するものは反だ。そのままなのが正であり、それに対抗するものが反だ。

 すごい悪い法律なのが、消費税だとされているのがある。よい法律と悪い法律があって、悪い法律なのが消費税だとされるのがあるけど、それは正と反でいえば、反にあたる見かただろう。そのままで良しとするのではなくて、それに対抗しているからである。そのまま(消費税が一〇%と八%)では良くなくて、それに対抗して行くのが減税だ。

 逆にいうこともできて、消費税の減税をよしとするのは、正と反のうちで、正だとするのもなり立つ。減税が正しいのだとしても、それとともに、弁証法では正だ。そのままなのが正だけど、それに対抗するものである反がおきてくる。

 問題を提起するとして、そのあとに、問題が発生してくる。消費税の減税を、問題の提起として投げかけるとして、そこに、問題が発生してくる。そうすると、正と反がおきることになる。

 日本の国の外では、イスラエルパレスチナのぶつかり合いや、ウクライナとロシアの戦争がある。それらは、どちらかが正しいのかもしれないが、そうであるのと共に、その正しさは、弁証法では正にあたるのにとどまる。正にあたることから、そこに反がおきてくることになる。正と反がなり立つ。

 イスラエルにとっての反(anti)なのがパレスチナだ。ウクライナにとっての反(anti)なのがロシアである。日本の国の中では、消費税の減税の反(anti)なのが、たとえば省庁でいえば財務省だ。政党でいえば、与党の自由民主党だろう。

 具体から離れてみて、抽象論によるようにしてみると、政治において正しいことがあるのだとしても、そこには反(anti)がおきてくることになる。むしろ、反(anti)がおきてこそ、政治がおきることになる。なんで、反がおきてこそ政治がおきるのかといえば、対立がなければ政治はないからである。

 イスラエルパレスチナウクライナとロシア、消費税の減税などでは、それらのうちの何かが政治において正しいのであるとしても、そのほかに、政治の有無といったことがある。対立がおきているのだったら、そこに政治がおきているのを示す。

 政治がおきているさいに、味方と敵といった線を引く。友敵の理論だ。われわれと、彼らのあいだに線を引く。弁証法において、正と反が分かれることになる。

 われわれは正しくて、彼らはまちがっている。我々はよいけど、彼らは悪い。政治では、よいのと悪いのとのあいだに線を引くことがなされるけど、それは弁証法においては正と反のあいだの線である。遠近法(perspective)だ。遠いのは彼らであり他者である。外部だ。外部つまり他者である。

 我々と彼らのあいだに引かれた線を、超えて(trans して)行く。線を超えて(trans して)行くことができたら、弁証法において、正と反が、合にいたる見こみがなり立つ。第三の道が創造される見こみがある。

 我々は良いけど、彼らは悪いのだとしつづけるだけだと、線を超えられない。弁証法で、正と反が、合にいたらない。合にいたらなくて、正と反がお互いにぶつかり合いつづけるのは、良くないことである。止揚(しよう)されないままになり、矛盾が片づかないままになる。

 止揚されないままになっているのが、イスラエルパレスチナや、ウクライナとロシアや、消費税の減税だ。止揚されないままになっているから、矛盾が片づいていない。

 どういうふうにして止揚するべきなのかといえば、イスラエルパレスチナが、弁証法の正と反であるとして、合にいたるようにして行く。

 弁証法そのものにもまた正と負があって、明るいのと暗いのとだ。肯定と否定である。ウクライナとロシアだったら、どちらもいまは戦争を止める意思がなくて、つづける意思をもつ。戦争しつづけようとしているから、負だ。ウクライナもロシアも、否定の弁証法によっている。どちらかといえば、ウクライナのほうがより否定の弁証法のところが強い。大国であるロシアに抵抗しているところがあるのがウクライナだからである。ロシアは大国だから、やや肯定の弁証法のところがある。

 明るい肯定の弁証法だと、正と反を合にするのに楽観だ。暗い否定の弁証法は、正と反を合にするのに悲観である。かんたんに合にもっていってしまうのに、まったをかける。正と反のままに、とどまりつづける。合をうたがう。肯定の弁証法がもつ明るさを、うたがう。

 ウクライナとロシアでは、ウクライナは否定の弁証法のところをもつ。戦争をやりつづけようとしているのがウクライナであり、それはそれで絶対に悪いこととは言えないかもしれないが、それとともに、できるだけ合の止揚にもって行くようにすることがいる。我々と彼らのあいだに引かれた線を超えて(trans して)行く。線を超える(trans する)ようにしていって、矛盾を片づけて行くようにしたい。そうしないと、いつまでも矛盾が残りつづけることになってしまう。

 われわれと彼らのあいだに線を引くことはしかたがないことだけど、いかにその線を超えて行けるかどうかがかんじんだ。線を超えられないで、我々と彼らのあいだにみぞがありつづけると、矛盾が残ったままになる。止揚されないままになる。

 私、または我々が正しいのがあるのだとしても、政治においては、正しいのだからそれでよいのだとは必ずしもなりづらい。いっけんすると正しいのだからそれで良いとしがちだけど、弁証法では、正と反があるから、正だけだと反(anti)がとり落とされてしまう。

 私と我々だったら、我々のほうがより暴走しやすい。我々なのだと、述語が暴走しがちだ。抑制がきかなくなる。木と森だったら、森は総合だ。木は分析だから、どちらかといえば述語が暴走しづらい。

 われわれなのだと森の総合だ。そのさい、一人称の単数の主語である私を失ってしまう。一人称の単数の主語を失い、われわれの森の総合の中に組みこまれる。できるだけ一人称の単数の主語である私を失わないようにすることがいる。主語と述語のあいだの整合性を保って行く。

 彼と彼らでは、(彼とはちがって)彼らは森の総合だから、彼らを表象(representation)するさいに、述語が暴走する事例が多い。彼らはまちがっているとか、彼らは悪い、といったさいの、彼らは森の総合である。心の中の像(image)を外に表現したものなのが表象だ。

 正と反で、どういったものが反に当たるのかがある。われわれが反(anti)かもしれないし、彼らが反(anti)かもしれないから、どちらであったとしても、反とのあいだでいかに交通(communication)がとれるかどうかが重みをもつ。正と反があるのだから、中立な立ち場から判断することがいる。中立な立ち場から判断する思想なのが、自由主義(liberalism)だ。我々と彼らのどちらが反(anti)であろうとも、正と反があるうちで、正だけがよしとされるのだと中立とはちがう。

 政治の正しさでは、正しいことはよいことではあるけど、それが思想の傾向(ideology)になるのがあるから、正しいのだから良いのだとは必ずしもなりづらい。弁証法では、正と反のどちらもが、思想の傾向をもつ。正しいのだからといっても、思想の傾向をまぬがれるものではないから、正にたいして反がおきることになる。むしろ、政治においては、正しいからこそ、思想の傾向が強まってしまう。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫現代思想を読む事典』今村仁司編 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『境界線の政治学杉田敦(あつし) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『法哲学入門』長尾龍一 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『戦争の克服』阿部浩己(こうき) 鵜飼哲(うかいさとし) 森巣博(もりすひろし) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『宗教多元主義を学ぶ人のために』間瀬啓允(ませひろまさ)編 『経済ってそういうことだったのか会議』佐藤雅彦 竹中平蔵(へいぞう) 『政治の見方』岩崎正洋 西岡晋(すすむ) 山本達也 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『対の思想』駒田信二(しんじ) 『「戦争と知識人」を読む 戦後日本思想の原点』加藤周一 凡人会 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『アイデンティティ(identity) / 他者性(otherness) 思考のフロンティア』細見和之(ほそみかずゆき) 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『希望の国の少数異見 同調圧力に抗する方法論』森達也、今野哲男(企画協力、討議) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『文脈力こそが知性である』齋藤孝(たかし) 『木を見る西洋人 森を見る東洋人―思考の違いはいかにして生まれるか』リチャード・E・ニスベット 村本由紀子訳