財務省が悪いのか、悪くはないのか。
財務省が悪いのだとするのでは、その解体が言われている。示威(じい)の運動だ。日本のいくつかの地域で示威(demo)の運動がなされている。
とくに悪いのではないのが財務省なのだとするのもある。財務省の肩をもつ。なんで生活が苦しいのかといえば、自己の責任だ。生活が豊かにならないのは、自分の努力が欠けているからだ。努力が足りない。財務省のせいではないのである。
どういうふうに原因を当てはめるのかがある。原因の帰属だ。
原因の特定のしかたがある。財務省に原因を当てはめることもできるし、一人の人に原因を当てはめることもなり立つ。
ぎゃくにいえば、財務省に原因を当てはめないこともできるし、一人の人に原因を当てはめないこともなり立つ。
一人の人に原因を当てはめるのだと、自己責任論になる。自己責任の社会だ。自分の努力が足りないから、生活が豊かにならないのである。
責任はどこにあるのかといえば、はっきりとはしがたい。財務省に責任があるのかは定かではないし、一人の人に責任があるのかもまた定かではない。
負けおしみになってしまう。生活が苦しいさいに、その人の責任にされてしまう。負け組だ。
第二の道としては、いっさい財務省は悪くはない。責任は、一人の人にある。自己責任論である。
自己責任論によることになるのが第二の道であり、これだったら、財務省はとくに悪くはないことになる。財務省をよしとすることがなり立つ。財務省の役人の人たちは、けっこう優秀な人たちがいる。有能な人たちが少なからずいるのである。
第二の道によるだけだと、一面のあり方だ。生活が苦しいさいに、その人の努力が足りないだけなのだとするのは、(ばあいによっては)当たっているところがあるものの、それだけに尽きるものではないだろう。
第一の道によるだけだと、その人の努力がもしかしたら足りていないのがあるかもしれないから、そこがとり落とされてしまいかねない。もしも自分で努力できるのであれば、そうするのにこしたことはない。いっさい努力しなくてもよいとはできないのがある。自助をなすことができるのであれば、それができたほうが良い。
負けおしみをとり上げているのが、哲学者のフリードリヒ・ニーチェ氏である。負け組になってしまったさいに、どうするのがふさわしいのかだ。
たとえ負け組だったのだとしても、その人が悪いとはかぎらない。原因が、その人の内にあるかもしれないし、外にあるかもしれないから、内と外のどちらも見て行く。個人の要因と、状況の要因だ。
状況の要因で、外にあるものとしてもち出されているのが、財務省だ。財務省が悪い。個人の要因によらないあり方である。
個人の要因によらないで、外に原因があるのだとする。外に原因があるのだとするのは、財務省においてもまたなり立つ。財務省が悪いのだとするのは、財務省の内に原因を当てはめることだ。
内だけではなくて、財務省の外に原因があるのだとすることがなり立つ。財務省の内だけに原因を当てはめるのだと、基本の帰属の誤り(fundamental attribution error)になっている見こみがある。原因の特定のしかたのまちがいだ。
たとえその人が日本人であるからといって、日本人は良いだとか、日本人は悪いだとかとは言い切れないのがある。日本人は、ばあいによっては良いこともあるし、ばあいによっては悪いこともある。ばあいによりけりだ。
日本人のよし悪しと同じように、日本人によってなり立っているものである財務省もまた、それそのものが良いとか悪いとかとはいちがいには決めつけられないものだろう。
自己責任論の点から、財務省の解体のうったえを見てみると、自己責任だとされるのがはね返って、財務省が悪いのだとすることがおきているともできる。財務省が悪いのだとするのなら、自己責任をまぬがれる。財務省はとくに悪くはないのだとするのなら、自己責任にされてしまう。その人の努力が足りないから、生活が苦しいのだ。
はね返ったものにすぎないのが、財務省の解体のうったえなのだとすると、けっきょくは自己責任論のうら返しであることになる。自己責任論をひっくり返すと、財務省の解体のうったえになる。
あんまり財務省の肩をもちすぎないようにする。そうすると、ほどほどになる。中庸(ちゅうよう)だ。できるだけ中正になるようにして行く。中正になるようにするのであれば、そこまで財務省のことを頭から丸ごと全否定しないですむ。そうかといって、財務省の肩をもちすぎないようにすることもなり立つ。
なんで財務省の肩をもちすぎるとよくないのかといえば、中正にならなくなるからだ。自己責任論になってしまう。自分の内だけに原因を当てはめるあり方だ。内だけに原因を当てはめるのだときつさがあるから、それを和らげて行く。内と外の二つを見て行く。
負けおしみを何とかするためには、内と外の二つを見て行くことがいる。二つあるうちで、外だけに原因を当てはめるのだと、財務省の解体のうったえになる。中正にならなくなる。それに加えて、外に原因を当てはめるさいに、財務省だけをもち出すのはふさわしいものとはちがう。日本の社会の中には色々に悪いところがあるのだから、それらを体系(system)として分析して行く。
体系のなかの一つのものなのが財務省であり、ほかにもいっぱい悪いものを含む。財務省ではないそれ以外の色々な悪いものがあるから、それらを一つひとつ見て行くことがいる。
疎外(そがい)がおきているのがあり、遠ざけられている。いくつかの疎外があって、労働の疎外、商品の疎外、人の疎外だ。労働では、疎外された労働になっている。お金が支払われる労働だ。
いろいろな疎外がおきているのがいまの日本だ。労働だったら、疎外された労働になっているから、働いていても苦しい。むくわれない。つらい。徳(労働)と福(見返り)が合わないでずれる。徳が大きくても、福が小さいことがある。徳と福が相関していないのである。家族の中(市場の外)なんかでは、無償の労働(unpaid work)がある。労働を改善して行くことがいる。労働論だ。機械の部品のように労働の中で人があつかわれるのをなくして行く。
戦後の日本は、しばらくのあいだは労働がそれなりにうまく行っていた。とちゅうから労働が悪くなって行く。労働が悪くなったのは、とくに財務省のせいではない。しいていえば、厚生労働省がそれをになっている。あくまでも労働を担当しているだけだが。
とちゅうから労働が悪くなったのは、二〇世紀のあり方が通じなくなっているからなのがある。二〇世紀は大量の生産と大量の消費によっていた。二十一世紀はあり方が変わってしまったから、労働と家族と教育の流れがとどこおる。それらの三つの流れがうまく回らなくなっている。
財務省の中で働いている役人もまた、疎外されているのがあるだろう。疎外された労働だ。みんなが楽しんで役所の中で働いているのではなくて、苦しむ。役人のしごとをやめたくなる役人が少なくないのだという。労働が疎外されていて、人の疎外がおきているのがうかがえる。
必ずしも恵まれた所ではないのが役所の中である。役所の中の役人もまた、いろいろな疎外にさらされている。疎外をもち出してみると、財務省のみならず、日本の社会のいっぱんをあちこち改善して行くことがいるのがわかる。改革である。改善をすることである。
日本の社会の改善をなすのは、どちらかといえば左派のありようだ。保守と革新だったら、革新よりである。政党では、左派の政党である。たとえば、野党の日本共産党がそれに当たる。なんで共産党をもち出すのかといえば、疎外の語は、左派の思想の理論のものだからである。
財務省をもち出すのであるよりも、共産党をもち出すようにすれば、疎外を見て行くことにつながる。疎外をとり上げていって、それを何とかして行くようにするほうが、財務省をいたずらに悪ものあつかいするよりもより益になる。目のつけ所としては、財務省よりも共産党(または疎外の語)だ。そのようにとらえてみたい。
参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『十八歳からの格差論 日本に本当に必要なもの』井手英策(えいさく) 『「責任」はだれにあるのか』小浜逸郎(こはまいつお) 『クリティカル進化(シンカー)論 「OL 進化論」で学ぶ思考の技法』道田泰司(みちたやすし) 宮元博章(みやもとひろあき) 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『これが「教養」だ』清水真木(まき) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『哲学の味わい方』竹田青嗣(せいじ) 西研(にしけん) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『社会福祉とは何か』大久保秀子 一番ヶ瀬(いちばんがせ)康子監修 『社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』岩田正美 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『社会を結びなおす 教育・仕事・家族の連携へ(岩波ブックレット)』本田由紀 『失敗の研究 巨大組織が崩れるとき』金田信一郎 『考える技術』大前研一 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『「科学的思考」のレッスン 学校で教えてくれないサイエンス』戸田山和久 『「価値組」社会』森永卓郎 『目のつけどころ(が悪ければ、論理力も地頭力も、何の役にも立ちません。)』山田真哉(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか?』今野晴貴(こんのはるき)