兵庫県の政治家の悲劇:政治家や役人などの自殺を防ぐために必要だったこととは

 なんで、兵庫県では、知事を批判した県の政治家が、自殺してしまったのだろうか。

 自殺してしまった県の政治家は、そうとうに苦しんだすえに、自殺にいたった。兵庫県の知事を批判したことが、あたかもすごい悪いことをしたかのように見なされた。

 悪いことをやった悪い政治家であるかのように見なされて、いくつものいやがらせや悪口を受けていたのである。

 兵庫県の斎藤元彦知事を批判した県の政治家は、自殺してしまった。もしもどういうふうであったら、自殺をしないですんだのかといえば、おもてなしがなされればよかった。客むかえ(hospitality)がなされれば自殺を防げた見こみが高い。否認をしない。承認をして行く。承認の正義だ。

 なされるべきだったのが客むかえだけど、じっさいには兵庫県において客むかえがなされなかった。なされるべきものである客むかえがなされなかったために、兵庫県の知事を批判した県の政治家が、自殺に追いこまれることになったのである。

 権力の点から兵庫県のことを見てみると、権力をもっているのが斎藤知事だ。権力者だ。権力者は、ほかの人たちを従わせて行く。従わせて行くさいに、かってに従ってくれる人を生んで行く。自発の服従だ。心脳を操作して行く。

 すなおに斎藤知事に従ってくれる人ばかりではない。なかなかすなおに従ってくれない人もいるが、それを従わせて行くさいに、支配をして行くのがある。従っても従わなくてもよいけど、その中で、従うのを選ぶ人を生み出して行く。

 がんこな人だったり、斎藤知事のことがきらいな人がいたりするから、中には従わない人がおきてしまう。権力にとってはのぞましくないのが、権力に従わない人だ。斎藤知事のことを批判した県の政治家は、自発に服従しないし、支配されるのをこばんだのである。心脳を操作されていなかったである。

 権力からの支配を受けながらも、従うのをこばむ。あらがうことを選ぶ。いきなりにではなくて、最終としてふるわれるのが、暴力だ。どうしてもすなおに権力に従ってくれない人がでてきたら、そのときになってはじめて振るわれることになるのが暴力である。

 とにかく何でもかんでも、手あたりしだいにはじめから振るわれるものなのが暴力なのではない。振るわなくてもすむのならそれにこしたことはないのが暴力である。じっさいに振るわなくても、ほのめかしたりちらつかせたりするだけでも効果をもつ。

 まっ先に、暴力を振るうのとはちがう。暴力とはちがう手だてである、誘導や説得を使って行く。誘導は、握らせることだ。利益を与えて行く。お金を与える。お金は広い意味あいでのものであり、社会の価値をふくむ。説得は象徴の操作だ。ほめる。働きかけて行く。政治では知の象徴(credenda)や感情の象徴(miranda)がある。

 誘導や説得をなす。それらでもだめだったら、そのときになってはじめて持ち出すことになるのが暴力だ。どう喝(かつ)して行く。おどす。

 兵庫県では、なんで斎藤知事を批判した県の政治家が自殺に追いこまれたのかといえば、権力論からそれを説明づけることがなり立つ。権力論から見てみると、権力にとって都合の悪い人がいるさいに、そこではじめて、さいごの手だてとして振るわれることになるのが暴力だ。暴力が振るわれたことによって、斎藤知事を批判した県の政治家は排除されたのである。

 政治家は、自殺しないくらいに強い人でないと、なってはいけないのだという。何かあっても自殺しないくらいに強い人でないと、政治家になってはならない。弱い人は政治家になるべきではないと言われるのがあるけど、政治家の中で、悪玉化をこうむる度合い(scapegoatability)のちがいがある。

 悪玉化される度合い(goatability)がうんと高かったのが、斎藤知事を批判した県の政治家だ。ぜい弱性(vulnerability)が高い。可傷(かしょう)性が高かったので、県の政治家は自殺に追いこまれることになったのである。しょく罪のやぎ(scapegoat)になったのである。兵庫県の秩序を保つための、ぎせいになった。秩序の志向(intention)が強いのが日本である。

 たしかに、自殺をしてしまった県の政治家だけではなくて、斎藤知事もまた批判を受けたり悪口を言われたりしているのはある。斎藤知事もまた悪く言われているのはあるけど、権力者なのが斎藤知事なのだから、そこまで悪玉化される度合いは高くはない。どちらかといえば危険な側ではなくて、安全な側にいる。

 どういうことを斎藤知事はなすべきなのかといえば、おもてなしであり、客むかえだ。斎藤知事が客むかえをなさないと、差別や排除がおきてしまう。排除される人がおきてしまうのである。権力者が客むかえをやらないと、危険な側になってしまうのがあり、差別される人がおきたり、排除される人がおきたりすることになってしまう。

 動物でいえば、上に立つねこが力を持ちやすいのが日本のありようだ。下にいるねずみたちがお互いに協調することができづらくて、分断が深まっている。ねずみたちがお互いに協調し合わないと、上に立つねこの首に鈴(bell)をかけに行けなくなる。勇気があるねずみが一匹だけいても、それではぜんぜん足りない。

 たった一匹だけ勇気があるねずみがいても、量が不足している。ほかのねずみたちとありようがちがうと、浮いてしまい、仲間はずれにされて、勇気があるねずみが排除されてしまう。支援者(ally)がいなくて、孤立化する。

 弱くあってはならなくて(何かがあっても自殺しないくらいに)強くなくてはならないのが政治家だと言われるけど、人はそうは強くはないのがじっさいだろう。支援してくれる人ぬきで、ねずみでいえばたった一匹だけでやって行くのは無理がある。

 政治とはちがうけど、格闘なんかでは、戦う選手に、支援してくれる人がつく。支援してくれる人がいて、はじめて選手は戦いの場に立つことがなり立つ。支援してくれる他のねずみがいなくて、勇気があるねずみが排除されてしまうと、上に立つねこの首に鈴がかけられないままになる。集団の中にある矛盾(dilemma)がいつまでも片づかないままだ。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫現代思想を読む事典』今村仁司編 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『社会学になにができるか』奥村隆編 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『いじめを考える』なだいなだ 『リーダーは半歩前を歩け 金大中(きむでじゅん)というヒント』姜尚中(かんさんじゅん) 『社会的ジレンマ 「環境破壊」から「いじめ」まで』山岸俊男 『心脳コントロール社会』小森陽一 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『科学的とはどういう意味か』森博嗣(ひろし) 『十三歳からのテロ問題―リアルな「正義論」の話』加藤朗(あきら) 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『法哲学入門』長尾龍一 『日本の刑罰は重いか軽いか』王雲海(おううんかい) 『一三歳からの法学部入門』荘司雅彦 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『国家の役割とは何か』櫻田淳(じゅん) 『新書で大学の教養科目をモノにする 政治学浅羽通明(あさばみちあき)