木と森の比較から見る、兵庫県の内部告発(whistle-blowing)の事情:日本の、木と森のねじれ

 なんで兵庫県では、内部の告発が許容されなかったのだろうか。

 ふたたび知事に選ばれた、兵庫県の斎藤元彦知事は、県の役人からの内部の告発を許容しなかった。

 西洋と東洋を比べてみる。東洋なのが兵庫県であり、木と森でいえば、森のあり方による。

 森のあり方だと、内部の告発を許容できづらい。

 木のあり方であれば、内部の告発をよしとできる。

 西洋の木のあり方は、ものごとを対象化して行く。対象となるものごとを、切り出す。切り出して、その対象を見て行く。人や物を分割するあり方である。

 東洋の森のあり方は、しがらみのあり方だ。これから先のつき合いをくみ入れて行く。一体化してしまいやすい。複合体をなす。色々なことを包括や総合するあり方である。

 包括や総合なのだとはいっても、立体の調和(harmony)とはちがう。西洋の木のあり方だったら立体の調和がなり立つ。東洋の森のあり方だと、同調の圧力が強くはたらく。同調主義である。ちがいをもった人どうしの立体の調和がなり立ちづらくて、同じ立ち場の人どうしのまとまりがなり立つのにとどまる。よこ並びである。

 兵庫県の役人は、制度を使って、内部の告発を行なった。

 制度と行動の二つをふ分けしてみる。制度は、木のあり方によっている。木のあり方による制度を使ったのが兵庫県の役人だけど、その行動については、森のあり方によって受けとめられたのである。

 木のあり方による制度があって、それをどんどん使って良いのだとなっていれば、木のあり方だ。

 兵庫県はどういうあり方になっているのかといえば、いちおう制度としては内部の告発の制度があるから、そこは木のあり方だけど、制度を使ってはいけない。木のあり方の制度を使うのはよくないことだとされているから、森のあり方になっているのである。

 ねじれているのがあって、使うことができるものである木の制度がありながら、兵庫県のあり方は森のあり方になっているから、制度を使うことができるようでいて、できない。兵庫県が森のあり方になっていることによって、木のあり方の制度とぶつかり合う。兵庫県のあり方である森のあり方のほうが正しいのだとなって、森のあり方が勝ってしまう。たとえよい制度なのだとしても、木のあり方が、負けてしまう。

 木のあり方と森のあり方が混ざり合っていて、統一されていないのが兵庫県のあり方だろう。木のあり方による制度があって、それを使うと、兵庫県の森のあり方と合わなくなる。木のあり方と森のあり方とが合わないことによって、二重の拘束(double bind)におちいる。

 内部の告発をした兵庫県の役人は、二重の拘束におちいった。木の制度を使って、兵庫県の斎藤知事を告発したのはよいことだったけど、悪いことをなしたのだと評価づけされることになった。木のあり方で良いことをやったのだとしても、森のあり方からするとちがう評価づけになる。評価づけがちがってしまい、矛盾がおきる。矛盾の中に置かれることになり、そこから脱せられなくなる。

 よいことなのが内部の告発(whistle-blowing)だけど、日本ではそれが悪いことだと評価づけされがちだ。日本は森のあり方だから、内部の告発を悪いことだと評価づけすることになる。よいことをしたのだと評価づけされる事例が、そこまで多くない。

 西洋の木のあり方だったら、内部の告発者(whistle-blower)は、よい行動をしたのだと評価づけされる。よいことをしたのだと評価づけされる事例が少なくないのである。中には、日本の森のあり方のように、悪いことをしたのだとか、いらないよけいなことをわざわざやったのだとして、負の評価づけをされる事例も時にはあるだろう。

 ざんねんながら兵庫県は森のあり方によっているから、内部の告発をした県の役人は、悪い評価づけを受けてしまった。日本の中でも、木のあり方にすごい理解がある知事であれば、内部の告発が許容されただろう。

 森のあり方が主になっている中で、木のあり方に理解がある人も、日本の中には探せばいる。制度としては、木のあり方のものが日本にはあり、それを使ったさいに、それに関係する人が、木のあり方に理解があるかどうかがものを言う。関係する人が、木のあり方に理解がある人であれば、二重の拘束がおきずにすむ。

 ねじれがおきていて、木のあり方と森のあり方が混ざり合っているのがあるから、へたをすると二重の拘束がおきてしまう。二重の拘束で矛盾がおきてそこから脱せられなくなると苦しむことになる。

 なんで斎藤知事にたいして内部の告発をした県の役人は自殺をしてしまったのか。いろいろな要因があるだろうが、なんで(why so?)なのかでは、二重の拘束がおきたために矛盾から脱せられなくなり苦しんだ。二重の拘束がわざわいしたから(so what?)、自殺にいたったのだとおしはかることがなり立つ。

 日本のあり方を、世界に通じるように、国際化して行く。国際化していって、二重の拘束ができるだけ少なくなるようにして行きたい。西洋の木のあり方の良さに理解のある人を、日本の中でどんどん増やす。森のあり方が正しいのだとなっていてそれが主になっているのを改めて行くことが日本ではいる。

 森のあり方が強いと、矛盾が片づきづらい。せっかく良い木のあり方の制度があったとしても、日本において森のあり方が強いと台なしだ。森のあり方が強いと矛盾が片づきづらいから、木のあり方によるようにしていって、矛盾が片づきやすくして行く。木のあり方の制度は、矛盾を片づけるためのものなのだから、必要があればそれを使うのが許容されたほうが日本の政治がきれいになる。

 参照文献 『木を見る西洋人 森を見る東洋人―思考の違いはいかにして生まれるか』リチャード・E・ニスベット 村本由紀子訳 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『ねじれの国、日本』堀井憲一郎 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦 『異本論』外山滋比古(とやましげひこ) 『楽々政治学のススメ 小難しいばかりが政治学じゃない!』西川伸一 『出口汪の論理的に考える技術』出口汪(ひろし) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『クラシックを聴け! お気楽極楽入門書』許光俊(きょみつとし) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『希望の国の少数異見 同調圧力に抗する方法論』森達也、今野哲男(企画協力、討議)