兵庫県の知事を翼賛(よくさん)する現象:日本の政治における利己主義(egoism)のまずさ

 翼賛(よくさん)の点から、兵庫県の知事を見て行く。

 たった一人だけでやって行くのだとしていたのが、兵庫県の斎藤元彦知事だ。

 だれの助けもなくてたった一人だとしていたけど、そうではなくて、翼賛されていたのがある。どれくらい斎藤知事はほかの人たちから翼賛されていたのだろうか。

 どういう意味あいをもつのが翼賛の語かといえば、助けることだ。だれにも助けられなければ、だれにも翼賛されていない。

 どういう人たちが斎藤知事を翼賛していたのかがある。兵庫県の広報の会社の社長が、うんと斎藤知事のことを翼賛していた。

 広報の会社だけではなかった。たった一人だけだったら一馬力だけど、二馬力だったのが斎藤知事である。ほかの選挙の候補者の人たちはみんな一馬力でやるけど、斎藤知事は二馬力でやっていたから、特権化されていた。普遍化することができない差別によっていたのである。

 自由主義(liberalism)によるのであれば、普遍化することができない差別はよくない。差別は排除することがいる。中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義だ。

 みんなが二馬力だったらだれも特権を持っていないけど、ほかの人たちが一馬力の中で、斎藤知事だけが二馬力だったのであれば、自由主義からするとよしとすることはできなくなる。

 応報のところから見て行く。応報律があって、それによって見てみると、翼賛したからといって、益をえられるとは限らない。兵庫県の広報の会社の社長は、斎藤知事にうんと翼賛したけど、それによって社長は大きな損や害を受けたのである。

 なんで翼賛したのにもかかわらず、かえって自分が大きな損や害を受けてしまったのかといえば、よくない翼賛だったからだろう。戦前の日本でいえば、日本人はみんな天皇に翼賛させられた。翼賛させられた日本人は、他律(heteronomy)によっていたのである。超越の他者(hetero)である天皇に、動かされていた。何らかの強制にしたがって行動をすることなのが他律である。

 超越の他者である天皇は、神さまだった。戦前の日本においてはそうだったのがあり、生きている神さまであり、人ではない。戦争に負けて、戦後になって天皇はじつは神さまではなくて人だったのだとなった。極大の天皇のあり方から、極小の天皇のあり方になり、極小のあり方がいまにおいてつづく。

 自分の意思によってのぞましい行動をするのが自律(autonomy)である。内部の告発の制度は、自律をよしとするものだ。斎藤知事を内部告発した役人がいる。ほかに、大学の先生や弁護士の人たちも、斎藤知事を内部告発した。それらの人たちは他律によっているのではない。斎藤知事を翼賛しているのではなくて、自律によって動く。

 かこの日本の歴史をふり返ってみると、翼賛したことによって、日本人や、さらに外国の人たちまでもが大きな損や害を受けた。こんかいの兵庫県の知事のことでも、翼賛した人たちの中で、大きな損や害を受けた人が出たのは気の毒なことである。

 応報からすると、大きな損や害を受けた人たちは気の毒だ。翼賛した人たちは、自律であるよりも、他律によっていたところがあるからである。罪とばつの、矯正(きょうせい)の正義からすると、人によっては、ばつが重すぎるところがある。

 他律ではなくて自律によるのであれば、翼賛するのではなくて、斎藤知事を批判するのがなり立つ。批判をして、本質をぎんみして行く。

 たった一人でやっていたのであるよりも、まわりにわらわらと翼賛する人たちがたくさんおきたのが、斎藤知事だった。特権をもつ。普遍化することができない差別である。自由主義からすると良くないあり方だったのである。

 いっけんすると良いように見えるのだとしても、それに翼賛することで、益を得られない。益を得られるどころか、大きな損や害をこうむる。斎藤知事にかぎらず、それに翼賛したとしても、益を得られないことがある。搾取(さくしゅ)されてしまう。

 いざとなったら、排除されることがある。疎外(そがい)される。遠ざけられることなのが疎外だ。広報の会社の社長は斎藤知事にうんと翼賛していたけど、いざとなったら思いきり排除された。非情で冷たいしうちである。

 冷たいしうちを受けてしまう。ぜい弱性(vulnerability)をもっていたことによる。たとえ翼賛していようといなかろうと、ぜい弱性をもっている人は排除される。たとえば、斎藤知事のことを批判すると、ぜい弱性をもつことになるから、排除されやすい。

 批判をしかねない人は、排除される。思想の傾向(ideology)をもつのが斎藤知事だ。思想の傾向へ、批判を行なう。批判者は、排除されることになる。批判によって本質をぎんみされては困るからである。本質をぎんみすることによって、思想の傾向のまずさやおかしさがあばかれる。

 独裁者がいる。斎藤知事がとんでもない独裁者かどうかはわからないが、きょくたんなことでは、ソヴィエト連邦スターリンがいる。スターリンをよしとしていたのがスターリン主義者だ。翼賛していた。スターリン主義者で、翼賛していたのにもかかわらず、スターリンから排除された人は多くいる。

 スターリン主義者のように、ある政治家の支持者であり、翼賛していたとしても、排除されてしまう。主義者だったとしても、むくわれない。スターリンはなんで主義者を排除したのかといえば、じゃまだったからだ。スターリンにとってじゃまなのであれば、翼賛してくれていた主義者であっても、排除したのである。

 ふつうだったら翼賛してくれている主義者には温かくしそうなものだけど、あやしむ。不信や猜疑(さいぎ)をもつ。信頼しない。たとえ翼賛していても、信頼されないことがある。スターリンだったら、スターリンから信頼されない。

 自分を中心とする発想である利己主義(egoism)だったのがスターリンだ。独裁者による、自分を中心化するあり方である。円でいえば、自分がその中心にあって、たった一つの円の中心である。

 利己主義(egoism)なのは政治においては良いことだとはできそうにない。利己主義によらないあり方を示したのが、戦後の大平正芳(おおひらまさよし)元首相だ。円に中心がたった一つあるのではない。中心を二つより以上にもつ。だ円だ。

 だ円のあり方がある。政党でいえば、与党と野党がならび立つ。自由主義による、抑制と均衡(checks and balances)をかけるものである。反対の勢力(opposition)を良しとして行く。利己主義によらないあり方が政治ではいるのがあり、反対の勢力である野党などを排除しないことがいる。

 いまの日本の政治では、利己主義がつよい。政治で利己主義が強くなっているから、社会の矛盾(dilemma)が深まる。政治で社会の矛盾が深まっていて、お互いに協調し合えていない。政党でいえば、野党どうしでお互いに協調し合うべきだけど、不毛に対立してばかりいる。野党のそれぞれの、利己主義が強いからである。自己欺(ぎ)まんの自尊心(vain glory)だ。虚栄心にかられて、どこまでもつっ走って行く。

 野党どうしがお互いにうまく協調し合うためには、利己主義を乗りこえて行く。利他主義がいる。利他の利己主義だ。野党の日本共産党なんかが選挙のさいにいっている、見かえりは民主主義、といったあり方がのぞましい。自分たち(共産党)が少しくらい損をこうむったとしても、民主主義の見かえりがありさえすればよいとするものである。民主主義がより良くなれば、めぐりめぐって、最終に、共産党の益になる。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『現代に生きるファシズム佐藤優(まさる) 片山杜秀(もりひで) 『スターリンの正体 ヒトラーより残虐な男』舛添要一(ますぞえよういち) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『うたがいの神様』千原ジュニア天皇論』鷲田小彌太(わしだこやた) 『法哲学入門』長尾龍一 『日本が「神の国」だった時代 国民学校の教科書をよむ』入江曜子 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『国家のエゴ』佐藤優 姜尚中(かんさんじゅん) 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信 『ポストコロニアル 思考のフロンティア』小森陽一 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち)