民主主義がまだ定着していない。未熟だ。韓国はそうなのだという。
大統領が戒厳令(かいげんれい)をだす。その行動にたいして、人々がそれに反対する反応をおこす。わりにはやくに、出された戒厳令が引っこめられた。じっさいに戒厳令が実行されずにすんだのである。
民主主義がまだ定着していなくて未熟なことのあらわれなのが、韓国の大統領が戒厳令を出して、すぐに引っこめたことなのだろうか。
改めて見ると、すんなりと定着するものなのが民主主義だとはできそうにない。外からとり入れるものなのが民主主義だから、なかなか定着しないものである。定着しないものとして見たほうが適している。
なんで民主主義が定着しづらいのかといえば、普遍(ふへん)さをもつからだ。つねに当てはまる性質なのが普遍だ。
つねに当てはまるものなのが民主主義であり、どこの国においても価値を持つ。どこの国においてもやるべきことである。どこかの国ではやるべきだけど、別のちがう国ではやらなくてもよいのだったら、普遍ではなくて特殊だ。
日本は特殊さが強いのがある。固有の性質なのが特殊である。特殊さが強いのが日本なのだから、民主主義が定着していない。定着がよくなくて、悪さをもつ。
韓国でも日本のように特殊さが強いのだとすると、日本と同じようなところがあるかもしれない。日本も韓国も、ともに普遍のだいじさをいまいちど見直すことがいる。とりわけ日本がそうすることがいる。普遍さがいちじるしく欠けていて、特殊さになりすぎているのが日本だ。
表象(representation)から見てみると、韓国を劣の階層(class)だとしているのが日本だろう。日本が優の階層だ。
日本は主体であり、客体としての韓国を表象する。心の中の像(image)を外に表現したものなのが表象だ。
他国である韓国からひるがえって、日本はどうなのかといえば、いまの日本にいるのが民主化だろう。たえざる民主化をなすことがいるのが民主主義である。
止まっているのではなくて、運動によるものなのが、たえざる民主化だ。運動をなす。過程(process)のあり方だ。終わることのない運動であり、西洋の哲学でいわれる弁証法(dialectic)である。
政治の政党だったら、与党にたいして、反対の勢力(opposition)である野党がいて、対立し合う。与党と野党が対立し合い、そこから合の止揚(しよう)へともって行く。与党と野党が、やり取りの交通(communication)をし合う。弁証法のあり方である。与党と野党で、うまく交通し合えれば、矛盾を片づけることがなり立つ。
民主化の中でもとりわけ日本にいるのが情報の民主化だ。どうして日本でとくに情報の民主化がいるのかといえば、民主主義においてかぎになるのが報道と分析だからである。報道と分析がしっかりとなされることがいるのが民主主義だけど、それらに弱さがあるのが日本である。
韓国を劣ったものだと表象するのは、韓国のそれそのものとはちがう。それそのものは、直接の現前(presentation)だ。日本がそのように構築したものが表象である。日本がそうした構築をするのを、一からつくり直す。脱構築(deconstruction)だ。
一からつくり直して、脱構築をしてみると、日本はすぐれていて、韓国は劣っているのだとは必ずしも見なせそうにない。韓国はどんどん追いつき追いこせでやってきていて、いまは日本を追いこしているところがなくはない。日本は、うかうかしているから、追いこされてしまっているところがある。
上からの情報の統制がなされているのがいまの日本の政治だろう。情報の統制がなされているのを、改めて行く。情報の民主化だ。
東洋のなかで一番すぐれているのが日本なのだとするのがあり、ほかの東洋の国を劣ったものだと表象する。ほかの東洋の国である韓国を、劣ったものだと表象する。日本は、表象のしかたにまずさをもつ。
政治で、権力者が悪いことをなす。権力者が悪い行動をしたさいに、人々がちゃんとした反応を示せるかどうかがある。人々がどういう反応をするかによって、その国の政治の水準をおしはかれる。
悪い行動を政治家がしたさいに、人々がどういう反応をするのかがあるけど、日本ではあまりよい反応をしない。韓国だったら、大統領の悪い行動に、人々がよい反応をしたけど、ひるがえって日本で、同じように人々がよい反応ができるのかといえば、悪い反応をしてしまいそうだ。
かんじんなことは、政治家が悪い行動をしたさいに、人々がちゃんとしたよい反応をすることができるかどうかだ。こんかいの韓国のことでは、韓国の人々はわりによい反応をすることができたのがあるだろう。
応用をしてみて、韓国でこんかい起きたようなことが、日本でおきたとしたら、人々がちゃんとしたよい反応ができるのだろうか。人々がちゃんとしたよい反応をすることができることの、まちがいのない保証はない。かなり心もとないのである。
似たようなところがあるのが、同じ東北の東洋にある韓国と日本だ。国の水準でいえば、反応のしかたからすると、韓国が劣っていて、日本がすぐれているとはできそうにない。韓国がすぐれていて、日本が劣っているのがあり、韓国のほうが水準が上だ。日本は水準が下である。日本についてをきびし目に見てみるとそうすることがなり立つ。
いっぱんの日本人についてはとんでもなくきびしく見なくても良いけど、知識人や文化人については別だ。日本の知識人や文化人は、いったいに情けない。保守化や右傾化している知識人や文化人がめちゃめちゃ多いから、情けなさをもつ。
そもそも、日本にまともな知識人がいるのかどうかすらがあやしい。知識人とは、つまり左派であることがいる。右派の知識人は、基本としてなり立たないものである。権力のたいこ持ちや、権力のどれいである知識人は、なり立つものではなくて、すごい矛盾だ。保守や右派で、なおかつ質が高い知識人や文化人は、事例としてはきわめて例外である。
日本の水準を上げて行く。向上させて行く。水準を上げるためには、政治家が悪い行動をしたさいに、人々がちゃんとしたよい反応をしなければならない。行動と反応の組みで、人々がどれくらいちゃんとしたよい反応ができるかが、かぎである。
情報についてを含めて、どんどん民主化をして行かないとならないのが日本だ。たえざる民主化をなす。日本の民主主義は、つまり戦後の民主主義なのだから、戦後の民主主義をしっかりとふり返って行く。日本のかつての負の歴史をふり返って行く。負の歴史がくみ入れられているものである、いまの日本の憲法をしっかりと重んじて行くことがいる。普遍の価値によるものなのが憲法だ。
参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『情報政治学講義』高瀬淳一 『近代日本の戦争と政治』三谷太一郎 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『日本の刑罰は重いか軽いか』王雲海(おううんかい) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『「戦争と知識人」を読む 戦後日本思想の原点』加藤周一 凡人会 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『民主主義という不思議な仕組み』佐々木毅(たけし) 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ)