日本人の弱みをさらす:兵庫県の知事をめぐる、体系(system)のとらえ方の不足

 兵庫県の知事をめぐることで、日本人の弱みをもち出してみるとどういうことが見えてくるだろうか。

 兵庫県の人たちの弱みであるよりも、もっと広く、日本人の弱みがある。

 兵庫県は日本の国の部分の集合だ。日本の国は全体の集合である。

 日本人の弱みは色々にあるけど、その中の一つに、体系(system)のとらえ方が弱いのがある。

 すべての日本人がこうなのだと言ってしまうと総合のとらえ方だ。総合でとらえるのは大きなくくりによりすぎるから良くないものだ。あまり良くないのはあるが、その上で、ここでは日本人がもつ弱みについてを見てみたい。

 体系のとらえ方によるのができていないのが、兵庫県の斎藤元彦知事をめぐることだろう。体系によって対応できていない。

 たった一つだけの視点によるのだと、これがゆいいつの原因だ、とされてしまう。この原因があって、それでこの結果がおきた。線による物語だ。

 線による物語がつくり上げられたのが、兵庫県の斎藤知事をめぐることだ。物語が作られて、けっこう広まった。多くの人がそれを正しいことだと受けとったのである。

 大きさで、大きい物語だとまずいことがある。時代で、近代では、大きな物語が言われることで、大きな負のことがおきた。歴史のあやまちなどだ。近代を批判でとらえる現代の思想が、脱近代(postmodern)だ。大きな物語のまずさを見て行く。大きな物語の終えんだ。

 現実のこととはぴったりと合わないものなのが、線による物語だ。人為や人工で構築されたものである。原因と結果を線で結びつけた物語は、現実とのずれを持つ。すごいずれていれば、その物語はうそであるのを示す。

 なんで兵庫県の斎藤知事は、兵庫県の職員から内部告発されたのか。結果として、斎藤知事は告発されたのがあるけど、それは斎藤知事が悪いわけではない。兵庫県の職員が、悪いたくらみを持っていたからだ。斎藤知事には罪はなくて、告発をした職員に罪がある。原因と結果による線の物語で、こうしたものが作られたのである。

 どういうわけで斎藤知事が告発されたのかがある。斎藤知事が批判されているわけ(理由)は何なのかだ。理由を見て行くさいに、中項がもち出される。中項とは、原因や理由のことだ。中名辞である。

 それが本当に十分な原因なのでなければ、その結果を確かに引きおこしたのだとはできそうにない。中項としてもち出されるものがあるのだとしても、本当にそれによって結果が引きおこされたのかをじっくりと見て行かないと、因果の関係をまちがえてしまう。

 ふさわしい中項を探すためには、じっくりと時間や労力をかけないとならない。要因を体系として分析して行く。もれなくだぶりなくの MECE をやって行く。いくつもある要因をもらさないようにする。MECE(相互性 mutually、重複しない exclusive、全体性 collectively、漏れなし exhaustive)によってくまなく要因を見て行く。

 いろいろな要因がある中で、ふさわしいものもあれば、そうではないものもある。ふさわしくない要因を、中項としてもち出して、原因と結果の線による物語を作る。まちがったうその物語だ。

 一〇の要因があるとして、その中のとくにふさわしくはない一つの要因を取り上げて、それを中項にする。原因と結果の線の物語を作る。ほかの、残りの九つの要因があるけど、その中にふさわしいものが含まれている見こみは捨て切れないのである。

 深さのちがいがある。深いところにあるものである、核となる要因を見つけて行く。深いところにあるものなのが核となる要因だから、深くまでほり下げて行くことがいる。浅いところにとどまっていると、核となる要因を見つけることができづらい。

 兵庫県の斎藤知事をめぐることでは、兵庫県の人たちがどうなのかといったことであるよりは、広く日本人の弱みがあらわれ出たところがある。体系のとらえ方が弱いところがあらわれ出た。

 体系としてとらえないで、たった一つだけの視点によってしまう。視点の多様化がなされない。いくつもある要因のうちで、とくに確からしさがないようなものをもち出して、それを中項にする。原因と結果の線の物語をつくり、あたかもぴったりと現実と合っているかのようにして行く。

 まちがえやすいものなのが因果の関係だ。まちがって、べつべつの二つの項(こう)どうしをつなげがちだ。まちがえやすいものなのにも関わらず、気にしない。まちがえることをいとわない。

 まちがえていてもよいのだといったことで、原因と結果の線の物語をつくり上げる。むぞうさに、べつべつの二つの項どうしをつなげて行く。科学のあり方から遠ざかってしまう。科学とはいえないような非科学の物語によるのだと、けっきょくは人々が損や害をこうむる。人々の益にならないことになる。

 科学によるようにするのであれば、因果の関係はよくまちがいが起きるものだから、そこによくよく気をつけないとならない。科学によることによって、はじめて人々に多くの益がもたらされるのがある。いくつもある要因のうちで、いいかげんな要因を中項にして、それによって原因と結果の線の物語を作るのはのぞましくない。

 いっけんすると本当らしい物語であるのだとしても、中項として持ち出されているものがまちがったものであることは少なくないから、因果の関係で原因と結果のまちがいにはできるだけ気をつけて行きたいものである。

 まちがった中項を、さも本当の原因のようにして持ち出すのがうまい人がいる。だますのがうまい人だ。非科学の物語をつくって、人々をだます。そそのかす。送り手が物語をもの語る。物語の語り手だ。語り手が物語をもの語ることによって人々を動員して行く。

 非科学の物語は、いまの日本の政治なんかでけっこう目につく。財政での、財務省を一方的に悪玉化するようなでたらめな話などだ。財務省は悪魔のように悪い省庁なのだと一方的に決めつけているところがある。

 かならずしも財務省は悪魔のように悪いわけではないといったような、脱構築(deconstruction)があってもよい。人為や人工で構築されたものを、一からつくり直す。ちがう、べつの面を見て行く。財務省は悪魔のように悪いといった見なし方があるのだとしても、それは人為や人工で構築されたものなのだから、脱構築がなり立つ。

 もしもほんとうに財務省が悪いのだとすれば、財務省脱構築することもまたできるのは確かだ。人為や人工で構築されたものなのが省庁としての財務省であり、自然なものではないからである。脱構築できるのだとはいっても、改めて見ると、国の財政や財務をになう省庁である財務省は、それが必要なものだから許容されているのがあるだろう。

 財政では、国には使えるお金の制約があるから、無制約に使いたいほうだいのお金を使えないし、国が借金をいくらしてもだいじょうぶなわけではないだろう。きびしい条件がつく。現実の政治のきびしさである。現実の政治は甘いものだとはできそうにない。

 参照文献 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『危機を避けられない時代のクライシス・マネジメント』アイアン・ミトロフ 上野正安、大貫功雄(おおぬきいさお)訳 『企画力 無から有を生む本』多湖輝(たごあきら) 『「科学的思考」のレッスン 学校で教えてくれないサイエンス』戸田山和久 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『発想のための論理思考術』野内良三(のうちりょうぞう) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『科学的とはどういう意味か』森博嗣(ひろし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『なぜ「話」は通じないのか コミュニケーションの不自由論』仲正昌樹(なかまさまさき) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『トヨタ式「スピード問題解決」』若松義人 『考える技術』大前研一 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫(かおる) 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明