兵庫県の知事である斎藤元彦知事は、いっさい悪くないのだろうか。
まったく悪くはないのが斎藤知事だ。知事の選挙のさいに、そうされた。悪く言われているけど、ぜんぜん悪くない。不当に悪く言われているのにすぎない。兵庫県の県の職員に、権力を使って不正なことをしていないのだとされた。
危機の管理(crisis management)がある。斎藤知事は、危機の管理ができているのかというと、できていない。
一つの体系(system)なのが兵庫県なのだとすると、体系の上に立っているのが斎藤知事だ。上の地位にいる。上の地位にいるのが斎藤知事なのだから、危機の管理をやらないとならないけど、それがしっかりとできていないのである。
関係し合うことがらが集まったものなのが体系だ。
兵庫県の県の職員が、内部告発の制度を使って斎藤知事についての内部告発をしたのは、負の信号(signal)だ。あまりとらえづらいせん在の負の信号なのではなくて、表に出てきているけん在化された負の信号なのが、内部告発だろう。
とらえづらいものは見のがしてしまうことがあるけど、けん在化されている負の信号であれば、それをしっかりと受けとめる。危機の管理をやるさいには、体系の中から発せられる負の信号を見のがさないようにしないとならない。あちらこちらから出ているものである、体系の中の負の信号をとらえて行く。兆候(sign)をつかんで行く。
気をつけないとならないのは、権力をもった政治家による定義づけだ。自分に都合がよい定義づけをして行く。二つのものがあって、内への帰属化と外への帰属化だ。
しっかりとした危機の管理をやるのであれば、外への帰属化をするのはよくない。斎藤知事は、やらないほうがよいものである外への帰属化をしているのである。
やらないほうが良いのだとはいっても、よくやりがちなものであるのが外への帰属化だ。しばしばやってしまう。定義づけをするさいに、自分に都合がよいようにするのがあって、外への帰属化をして行く。自分は何ら悪くはない。悪いのは自分ではない他者だ。他者、つまり外部が悪い。
他者、つまり外部が悪いとするのは、定義づけにおける外への帰属化だ。危機の管理をするさいには、自分が悪いのだとして行く。内部への帰属化をして行く。
定義づけで、内部への帰属化をやるのでないと、危機の管理において、危機から逃避することになってしまう。危機に対応することがなされないのである。
体系として危機に対応するのがいるけど、斎藤知事はそれをやっているとはできそうにない。自分は悪くはなくて、悪いのはぜんぶ他者つまり外部なのだとするのは、やってしまいがちなことではあるけど、良くないことである。
権力をもっているのが知事なのだから、むしろ、下の地位の人にこそ、内部の帰属化をするべきではなかった。内部告発をした県の職員は、知事よりも下の地位の人なのだから、その人にこそ、内部の帰属化をしないようにして、外部の帰属化をして行く。
下には甘くて、上にはきびしいようにできればよかった。下の地位の人にたいしては外部の帰属化をするようにして、状況の要因で見て行く。上の地位の人にはきびしくしてよいのだから、知事にたいしては内部の帰属化をするようにして、個人の要因で見て行く。
地位で上と下があるけど、上がつくうそはより大きな害がある。下がつくうそは、上がつくうそほどには害が大きくはない。下であるよりは、上がつくうそにこそ、きびしくして行く。そうしないと、大きな害がおきかねないのがあり、多くの人に害や損がおきてしまう。
言葉は、多層性をもつ。おもて向きと、じっさいだ。日常だったらおもて向きとじっさいとがちがっていても良いことがしばしばある。じかに言わないで、ほのめかす。間接に言う。白を、黒とする。
日常だったらおもて向きと実際とがちがっていてもよいけど、政治においては、上の地位の政治家がつくうそはものによっては大きな害や損を生む。県だったら、県の知事がつくうそは、広く県民に大きな害や損がおきることがある。
原因の帰属(特定)をきちんとやるようにしないと、危機の管理をしっかりとなせないのがある。斎藤知事は、原因の帰属において、基本の帰属の誤り(fundamental attribution error)をなしたところがある。内部告発をした県の職員について、内部の帰属化をしてしまったのである。個人の要因で見なす。
基本の帰属の誤りは、よくやってしまいがちな誤りだ。この誤りをおかしたところがあるのが斎藤知事であり、原因の帰属を正しくやることができたらのぞましかった。内部告発をした県の職員や、知事を批判してくる人についてを、個人の要因で見なさない。状況の要因で見て行く。状況の要因で見て行けば、知事に悪いところがあるかどうかをきびしく見て行ける。
原因の帰属を正しくできていれば、上には甘いのではなくて、上にこそきびしくすることができたのである。よくやってしまいがちな誤りである、基本の帰属の誤りを避けるようにできればよかったけど、その誤りをおかしたところがあるのが斎藤知事である。内にだったり外にだったりや、個人にだったり状況にだったりといったように、原因を色々に持ち替えるようにして、視点を多様化することがあったらよかった。
政治で、だれが挙証(立証)の責任を負うのかがある。上の地位の人が負うべきか。下の地位の人が負うべきか。上の地位の人が、下の地位の人に、挙証の責任を押しつける。上が下に押しつけるのだと、はたされるべき挙証の責任がはたされなくなる。挙証の責任を転じて行く。
押しつけられたものを転じるようにして、上の地位の人が、挙証の責任を負って行く。政治の権力者は上の地位にいる。挙証の責任を、権力者が引き受けることがいる。下の地位の人に、挙証の責任を押しつけないようにするのがいる。
上の地位である政治の権力者が挙証の責任を負わないと、先決の問題として解決や証明が要求されることが、放ったらかされる。結論が先にありきになる。県の知事だったら、あくまでも知事は正しいのだとされることになる。結論が先どりされる循環の論法だ。修辞学の形式の虚偽に当たるものだ。
知事が自己の正当化や自己の合理化をしすぎると、いっさい挙証の責任を負わなくなる。中心化だ。知事が中心化するのを改めて行く。脱中心化だ。知事が危機の管理をなすさいには、脱中心化するようにして、知事が挙証の責任を負って行く。知事が挙証の責任を負うようにして、合意を目ざす対話をなして行く。交通(communication)の行動をなす。脱中心化や交通の行動ができていればよかったのが斎藤知事だ。
参照文献 『危機を避けられない時代のクライシス・マネジメント』アイアン・ミトロフ 上野正安、大貫功雄(おおぬきいさお)訳 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『クリティカル進化(シンカー)論 「OL 進化論」で学ぶ思考の技法』道田泰司(みちたやすし) 宮元博章(みやもとひろあき) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『アイデンティティ(identity) / 他者性(otherness) 思考のフロンティア』細見和之(ほそみかずゆき) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『リベラルアーツの学び 理系的思考のすすめ』芳沢(よしざわ)光雄 『日本語の二十一世紀のために』丸谷才一 山崎正和 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『ホンモノの思考力 口ぐせで鍛える論理の技術』樋口裕一 『問題解決力を鍛える 事例でわかる思考の手順とポイント』稲崎宏治(いなざきこうじ) 『草しずく』高橋順子 『社会認識の歩み』内田義彦(よしひこ) 『これが「教養」だ』清水真木(まき) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき)