負担が重い。日本は、国民の負担の率が五割くらいになっているという。
負担が軽いほうがよくて、重いのは悪いことなのだろうか。
国民が負わされている負担を、減らす。税金を下げる。なくす。減税のうったえが言われている。
改めて見てみると、負担が重いのは悪いことなのだろうか。負担が軽いのは良いことなのだろうか。
いろいろな要因があって、いま日本の国民の負担の率が高まっているのだろう。いろんな要因があるのだとはいっても、超高齢の社会になっているのが主のものだろう。すごい高齢化だ。
かつては、若ものが多くて高齢者が少なかった。人口が増えていっていて、減らない。利益の分配の政治がなり立つ。難易度がそれほど高くない政治のありようだ。大きな目標を立てることがなり立つ。追いつき追い越せ(catch-up)だ。
追いつき追いこせは、後発の近代の国による。日本は後発の近代の国であり、一九七〇年代の後半くらいには、だいたい追いついてしまった。そのごは、大きな目標を立てられないで、いまにいたる。大きな物語を持てない。大きな物語の終えんである。
負担にまつわるそのほかの要因としては、何だかんだいって、日本人は負担を負うのを好む。負担が軽いよりも重いほうを好む。負担を負うのが好きなのである。苦しいのをうれしがる。喜ぶ。苦労することに価値を見いだす。
個人のそれぞれで差があるから、日本人はいったいに負担を負うのを好むと言ってしまうと、悪い総合になってしまう。悪く総合するのはまちがいだから、細かく分けて見ることがいる。ふ分けをしないとならない。
やらなくてよいことは、やらない。わざわざやらなくても良いことをやらないようにすれば、負担が軽い。よけいなことをやらないで、最小のことだけをやれば、いちばん負担を軽くできる。
色々な無駄がおきてしまうのが文明のあり方だ。無駄なことをやらざるをえない。やらなくてもよいことを、やらされることになる。最小のことだけをやって、あとは何もやらないようにするわけには行かないのである。
全部がいることなのではなくて、無駄をけっこうふくむ。中には無駄なことがけっこうあるけど、省けない。いったんそれが有ることになったら、無駄そうなことであったとしても、意味をもつ。あったほうがよいことのようになる。
こんなものいらない。いらないものを色々に見ていったら、けっこういっぱいありそうだ。反省していって、いらないものを見つけて行く。いらないものを全部なくせたらすっきりするだろう。自分にとっているものだけを残すのだとしたら、これと、これと、これさえあればよいみたいに、あんがいその数(最低限いるものの数)はそう多くはないかもしれない。
幸せになるのに、そんなにたくさんのお金はいらない。いっぱいお金を持っていたとしても、ものすごい幸せになれるわけではなくて、かえって不幸になる。大金持ちは、あんがい不幸な人が少なくないという。不幸な生を送った大金持ちは少なからずいる。負けおしみかもしれないが、幸せになるためには、そんなにお金はいらず、少し自由に使えるお金があればちょうどよい量だ。
少しではなくて、うんとお金があったほうがよい。お金があってとくに困ることはないけど、うんとお金をのぞむのは経済では成長のあり方だ。成長のあり方だと欲望がとめどない。切りがないのである。どこかで欲望を止めないとならないのがあり、そこでいることになるのが成長ではなくて定常のあり方だ。成長のあり方から、定常のあり方にして行く。自然の環境を守るためにはそれがいる。
単純なのと複雑なのがあるとすると、文明が進むとものごとがどんどん複雑化して行く。複雑化していって、単純さからかけ離れているのがいまの日本のありようだろう。高度化している。肥大化して行く。乱ざつさ(entropy)がたまる。乱ざつさが内にたまり、外に吐き出せない。色々な負担がおきることになる。負わされる負担がいろいろにおきるのである。
枠組み(paradigm)では、改善期がつづくと複雑化して行く。どんどん複雑化していって、ついに耐え切れなくなって、革命がおきる。革命期である。革命といったほどのことがもしも起きれば、また単純なありようにもどれる。
そうそう都合よく革命のようなことがおきるとはかぎらないのがやっかいだ。下手にそうしたことがおきてしまうと、すごい混乱がおきかねない。穏当ではないのである。急進だったり過激だったりするとおだやかさを欠く。
一つの声としては、いまの日本では重くなりすぎている負担を減らせと言われている。その声はたしかにあるけど、それだけではなくて、もう一つの声もあって、負担が重いのが良いとするのもある。負担は軽いよりも重いほうがのぞましいのだ。
負担が軽いと、はり合いがないのである。手ごたえに欠ける。充実しない。生きがいややりがいを持ちづらい。生きがいややりがいを持つためのものだったら、負担は許容される。切り口しだいでは、負担は許容される。気の持ちようみたいなところがなくはないのである。同じ義理でも、冷たいの(お義理)と温かいのとがある。そのちがいだ。
こうしなくてはならないとか、ああしなくてはならないといったものがある。税金だけではなくて、広い意味での負担だ。しきたりが重みをもち、ものを言うのが日本にはある。いらないしきたりであったとしても、それを守るべきだとなる。
両面の価値(ambivalence)のようなのが、日本における負担だろう。きらいのようでいて好きであり、好きのようでいてきらう。そういうふうなものとして見てみると、いまの日本における負担の重さがしっくりとこないでもない。
負うのがよい負担と、負わなくてもよい負担があるとすると、負わなくてよい負担を負わされるのはごめんである。負うのがよい負担は、避けないで負ったほうがのぞましいものだ。
たとえ負わなくてもよい負担であったとしても、それを負うのを好む。人によっては、負わないでもよい負担であっても、それを負いたい人もいる。負担を負いたがるのである。すすんで負担を負いたがる人も中にはいる。いやいやであっても、負担を負うのをそれほどこばまない人もいる。
どういう負担が負ったほうがよいものなのかはいちがいには決められないけど、負ったほうが良いのにもかからわずその負担をこばむ。きらう。負担を、ほかに押しつける。たとえば、原子力発電所の立地や、アメリカの駐留の基地などだ。
みんなでいっしょに公平に負担を負い合ったほうが良いものなのにもかかわらず、そうなっていない。負うべきものなのにもかかわらず、それを負わないで、他にだけ押しつけている負担も中にはあるのだ。そういう負担は、負ったほうが良いものであり、他に押しつけてしまっている構造を改めることがいる。差別を改めて行く。
参照文献 『効率と公平を問う』小塩隆士(おしおたかし) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『年金の教室 負担を分配する時代へ』高山憲之(のりゆき) 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『十八歳からの格差論 日本に本当に必要なもの』井手英策(えいさく) 『東大人気教授が教える 思考体力を鍛える』西成活裕(にしなりかつひろ) 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか?』今野晴貴(こんのはるき) 『S と M』鹿島茂 『哲学の味わい方』竹田青嗣(せいじ) 西研(にしけん) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『社会を結びなおす 教育・仕事・家族の連携へ(岩波ブックレット)』本田由紀 『ちょっとおかしいぞ、日本人』千葉敦子(あつこ) 『義理 一語の辞典』源了圓(みなもとりょうえん) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『環境 思考のフロンティア』諸富徹(もろとみとおる) 『「定常経済」は可能だ! (岩波ブックレット)』ハーマン・デイリー 枝廣(えだひろ)淳子(聞き手)