脱税とは異なる視点からの裏金についての解説:宗教と自民党(自民教)

 うら金は、税のがれなのではない。裏金は、たんなる不記載なだけだ。自民党の政治家はそう言う。

 与党である自由民主党の政治家が言うように、うら金は報告する書類に不記載だっただけなのだろうか。ついついうっかりしていただけなのだろうか。

 税から逃れたのではない。脱税ではないのがうら金だ。ある点からすればそう言えなくもない。

 なんでうら金は脱税には当たらないのかといえば、宗教をもち出してみることができる。

 宗教にはおふせがある。おふせのようなものなのが、政治におけるうら金なのである。

 ほかのものとはちがって宗教のおふせなんかは税金がかからない。それと同じように、自民党のうら金は宗教にまつわるお金なのである。

 どうやって自民党はうら金を集めていたのかといえば、宗教の手口のようなものによっていた。宗教の手口を使っていたところがある。

 みんなが信じている宗教なのが自民党なのである。多数派によって支持されている。

 みんなが信じていて、みんながお金を支払っている。みんながお金を支払っているのだから、あなたも支払いなさい。みんなが支払っているのにもかかわらず、あなたが支払わないのなら、損をしてしまう。よい益をもらえなくなる。災いがおきてしまう。負のことがおきかねないのである。

 絶対にとは言えないけど、もしかしたら、あなたの身に悪いことがおきないではない。みんなが支払っているものである自民党へのうら金を支払わないとだ。良くないことにならないではない。自民党へのうら金を支払えば有利になるとまでは言えないのにしても、少なくとも不利になることはないのである。

 宗教のおふせのようなものであるのとともに、放送の NHK の視聴料のようでもあり、また反社会の勢力の場所代のようでもあるのが、自民党のうら金だ。反社会の勢力は、人々から場所代をとる。本当はそれを支払うことはいらないのにもかからわず、人々は場所代を支払わされるのである。

 断る。そうできたら良いけど、その選択肢はない。ことわる選択肢がない。断れない、または断りづらいのが、自民党へのうら金だ。人々が断れないような形で、人々を追いこんだ上で、それで支払わせるのである。

 何となくご利益がありそうではあるけど、じっさいにはない。宗教にお金を支払うと、自分がご利益を得られそうではあるけど、じっさいには何も得られない。宗教がお金を集めるために、ありもしないことを言う。それと同じように、自民党もまた、政治でお金を集めないとならないから、ありもしないことを言う。有りもしないことをほのめかす。

 自民党の政治家が言うように、見かたによっては脱税ではないものなのが自民党のうら金だ。宗教のおふせのようなものだとすると、脱税したわけではないから、悪いことをしたわけではない。宗教と同じ手口を使っただけである。放送の NHK や反社会の勢力と同じやり方をやった。

 うら金を何とかするのとはちょっとちがうけど、うら金と似たところがあるものである、宗教が得るお金に、税金を課す。税金を支払わなくても良いことになっているのを改めて、税金を支払わせる。自民党が宗教のやり方のまねをするのを防ぐために、宗教に税金を支払わせるのもあったらよさそうだ。宗教も、自民党も、共にちゃんと税金を支払う。そうなったらのぞましい。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『政治家を疑え』高瀬淳一 『日本国民のための愛国の教科書』将基面貴巳(しょうぎめんたかし) 『日本が「神の国」だった時代 国民学校の教科書をよむ』入江曜子 『天皇論』鷲田小彌太(わしだこやた) 『山本七平(しちへい)の思想 日本教天皇制の七〇年』東谷暁(ひがしたにさとし) 『国体論 菊と星条旗白井聡(さとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『罪と罰を考える』渥美東洋(あつみとうよう) 『法哲学入門』長尾龍一希望の国の少数異見 同調圧力に抗する方法論』森達也、今野哲男(企画協力、討議)