不況と人の死:れいわ新選組がさし示す、現代社会の深刻な課題

 不況で、人が死ぬ。人が死んでしまうのだから、不況を改めないとならない。れいわ新選組の政治家はそう言う。

 野党のれいわ新選組の政治家が言うように、不況だと人が死ぬのだろうか。

 ふ分けをしてみると、経済が不況なのと、人が死ぬのとは、別々のことがらだ。二つの項(こう)に分けることがなり立つ。

 人が死ぬのでは、なにも日本に限ったことではない。世界を見てみると、時間でとらえると、何十秒(何分)に一人の間隔で、自殺する人がおきているのだという。何十秒や何分の間隔で、つねに世界のどこかで自殺する人がおきつづけているのである。

 たった一つだけの原因で人が死ぬのだとはできそうにない。人が死ぬ現象は、色々な要因があってそうなることになるのだから、いくつもある要因をもれなく見て行くことがいる。

 あいまいさがあるのが不況の語だ。不況とはいっても、どのていどのものなのかがある。経済には正と負があるのだから、経済が良くなったり悪くなったりする。良くなれば悪くなるし、悪くなれば良くなって行く。

 なにが本質に当たるのかといえば、経済がよい好況なのではない。経済がわるい不況が本質に当たる。負がなければ正はない。負があってこそ正がなり立つ。正が独立して実体として有るわけではない。関係主義からすればそうできる。関係の第一次性だ。関係が先に立つ。

 いつも良いときばかりではないのが経済なのだから、不況はつきまとう。不況は悪いもので、好況が良いのかといえば、そうとは必ずしもできそうにない。

 れいわ新選組の政治家が言うのとはちがって、不況は悪いとは言い切れなくて、不況は良い。好況は悪い。そういったとらえ方もなり立つ。

 なんで不況は良いのかといえば、危機は好機だからだ。人の体でいえば、健康なときにはそのありがたみに気がつかないものである。病気になってはじめて健康のありがたさに気がつく。

 病気でかぜをひく。かぜをひくと、体から悪いものが出て行く。日ごろにためこんだ体の中の悪いものが出て行くことになる。かぜをひくことにも効用がなくはない。

 すごい健康で、かぜ一つひかない人は、いっけんすると良いようだけど、そうとも見なしづらい。まったく一つの病気にもかからない人は、あんがいいざとなって病気になるとすごい重くなる。ちょくちょく軽い病気にかかるのではなくて、いっぺんにどかんと重い病気になることがある。

 体でいえば、経済は、まったく一つの病気にもかからないようなすごい健康な体だとはできそうにない。ときどき病気になる。ときどき不況になるのである。たまに病気になったり、それから回復して健康になったりする。そのくり返しが経済だろう。良いときと悪いときとの循環だ。ちょうしが下向いたり上向いたりの波動をなす。

 健康なときに、病気のもとがおきる。それと同じように、経済が好況のときに、不況のもとが作られるのである。経済が好況なのはいっけんすると良いことのようではあるけど、その次に不況になるもとが作られるのだから、必ずしも良いことではない。経済の調子が良いと、ついつい浮かれてしまう。それでだめになって行く。

 状況が悪いと、気持ちがもたなくなる。高い山を登るさいに、まだ持っている物があまっているのにもかかわらず、頂上にいたるとちゅうで力つきてしまう。なんでまだ持っている物があまっているのにもかかわらず、頂上に行くとちゅうで力つきてしまうのかといえば、先に気持ちがおれてしまう。気持ちが先にだめになってしまうのである。持っている物を完全に使いつくす前に、死んでしまう。

 国や地域で、人の死にづらさのちがいがある。地域では都市があるけど、都市は経済の力がすごい高いけど、人が死にづらいとはできそうにない。都市では、人が必ずしも生きて行きづらいのである。お金がものを言う。お金が全てだ。都市の中心部はそうしたあり方だ。

 経済の力が都市ほどには高くはない地域であったとしても、人が死にづらいところも中にはある。

 どういう地域だったら人が死にづらいのかといえば、その地域の経済のちょうしがどうかといったことであるよりは、憲法のあり方がとられているかどうかが重みをもつ。

 いまの日本の憲法では生存権がとられている。生存権が保障されていれば、人が死にづらい。お互いに、気にかけ合う。人どうしで仲良く交通(communication)し合う。

 基本の人権が重んじられていて、個人が温かいあつかいを受ける。冷たいあつかいを受けるのではない。包摂される。排除されない。個人を温かくあつかう地域であれば、人が死にづらい。

 経済をよくして行くのだと、へたをすると個人が手段としてあつかわれてしまいかねない。個人が目的としてあつかわれるのではなくて、手段と化す。国の経済をよくする道具として個人があつかわれてしまう。

 国の経済をよくして行く。好況にして行く。不況ではなくする。よい成果を出す。成果を追い求めすぎるのはよくない。何がなんでもよい成果を出そうとすると、悪くはたらく。ゆとりを失ってしまうのである。あそびや余白のところが無くなることになる。成果を出そうとすることのわなだ。

 経済では成果を出そうとすることからくるわながあるから、ゆとりがいる。政治でも、ゆとりが重みをもつ。ゆとりが欠けがちなのが日本だ。ゆとりが無いのは縮みである。ゆとりをもつのは広がりだ。何かと縮みがちなのが日本である。

 いまの日本の政治は、ゆとりが欠けている。とにかく票を得て行く。お金を得て行く。成果を追い求めすぎていて、票やお金が増えさえすればよいとなっているのがある。ゆとりが無いのだ。政治で、人々への受けがよい語りが語られまくっている。だましの悪い語りだ。

 国の経済をよくして行くのは悪いことではなくて、良いことではあるけど、不況で人が死ぬのだとは必ずしも見なせそうにない。人が死にづらいようにして、生きて行きやすいようにするためには、憲法を守って行く。憲法を重んじて行くことが役に立つ。

 たんに死ななければよくて、生きてさえいればよいとはいえないから、生きていて、なおかつ幸福であることもいる。憲法では、個人の幸福追求権が保障されている。憲法を守らず、重んじないのだと、生きているとはいっても、死んでいないだけだといったことになりかねない。

 死んでしまうよりも生きていたほうが良いのはあるけど、不幸だったら悲しい。せっかく生きているのだったら幸福に生きて行くべきであり、そのためには憲法を守って重んじて行くことが必要だ。

 役に立たない人は、死んでもかまわない。役に立つ人だけが生き残ればよい。新自由主義(neoliberalism)のあり方だとそうなってしまう。経済では、新自由主義のあり方だと、弱い人がばたばた死んでしまうことになりかねないから、それは避けたい。命に線を引かないようにする。生命の質にまつわることだ。

 どういうあり方だったら弱い人でも生きていられるのかといえば、民主主義のあり方だ。民主主義だったら、基本の人権をよしにできる。みんなが平等に生きて行くあり方だ。とりあえずどういう人であったとしても、みんなが生きて行くべきだとすることになる。命に線を引かないあり方だ。

 民主主義がこわれていて、だめになっていると、人が死にやすい。憲法によるようにして、民主主義をしっかりとなす。そうしないと、人が死ぬ。生きて行きづらい。とりわけ弱い人にしわ寄せが行く。経済の力がうんと高いアメリカなんかの国であっても、弱い人が死んでしまう。階層(class)で、劣の階層の人は死んでしまうことがある。アフリカ系アメリカ人などだ。弱い人を排除して行く。暴力をふるう。

 経済が不況ではなくて、経済の力がうんと高いアメリカなんかであっても、弱い人が死ぬ。なぜそうなるのかといえば、民主主義が十分になされていないからだ。非民主主義になっていて、原理主義におちいる。民主主義がしっかりとできていなくて、憲法が守られていない。憲法が重んじられていない。アメリカはそうしたありようだろう。

 憲法をよしとしないと、個性が否定される。人々が監視される。経済の格差が大きくなる。個性が否定されたり、監視されたり、経済の格差が大きかったりすると、生きて行きづらい。死にやすい。戦争にいたりやすいのである。日本の憲法の平和主義によれなくなる。

 アメリカなんかの経済が豊かな国でも、必ずしも人が生きて行きやすくなくて、死にやすい人がいるのは、矛盾である。この矛盾は、民主主義と憲法がいかに大事なのかを物語っている。民主主義と憲法がしっかりと重んじられていないと、アメリカのようなすごい国でも、国がだめなありようになってしまう。国がだめなありようだとするのは言いすぎかもしれないが、国の中で、劣の階層の人が生きて行きづらくなる。

 参照文献 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『社会階層 豊かさの中の不平等』原純輔(じゅんすけ) 盛山(せいやま)和夫 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『「無酸素」社会を生き抜く』小西浩文 『考える技術』大前研一 『「科学的思考」のレッスン 学校で教えてくれないサイエンス』戸田山和久 『すべての経済はバブルに通じる』小幡績(おばたせき) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『十八歳からの格差論 日本に本当に必要なもの』井手英策(えいさく) 『憲法が変わっても戦争にならない?』高橋哲哉斎藤貴男編著 『社会を結びなおす 教育・仕事・家族の連携へ(岩波ブックレット)』本田由紀 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『東大人気教授が教える 思考体力を鍛える』西成活裕(にしなりかつひろ) 『ユーモア革命』阿刀田高(あとうだたかし) 『「縮み」志向の日本人』李御寧(いーおりょん) 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『境界線の政治学杉田敦(あつし) 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信