政治家や政党の言うことを、どのように受けとることができるだろうか。
色々な語りを言うのが政治家や政党だ。
やりがいの搾取(さくしゅ)なんていうことが言われている。政党の中で、やりがいをもって活動する。やりがいはあるけど、政党に搾取されてしまう。
なんで政党から搾取されてしまうのだろうか。どこかの政党だけではなくて、どの政党であったとしても、搾取されてしまうことがおきかねない。
搾取されるのは、負担させられることだ。すごいよい政党だったら、その中の人たちにいっぱい給付して行く。負担はなくて、給付するだけの政党だったら、すごいよい政党だ。
じっさいの現実の政党は、その政党の中の人たちに給付することはない。給付するのだとしたら、やりがいを給付する。価値を給付する。やりがいや価値を給付するかわりに、お金や労力なんかを搾取する。負担してもらう。
どういう負担があるのかといえば、動員(mobilization)がある。その政党の支持を高めて行くために、人々を動員して行く。動員させられる人は、その政党に負担をすることになる。自分の持っている一票を負担する。自分が持っているお金を寄付する形で負担する。費用を負担して行く。
いまお金がいる人に、すぐにお金を給付してくれるような政党はない。いまお金に困っている人にすぐにお金を給付してくれる政党がもしもあったらその政党はすごいよい政党だ。理想論としてはそういう政党があったらよいけど、そんな政党はじっさいの現実にはない。
いまではないけど、あとになればすごいいっぱい給付されることになるといったように、あとでの給付をちらつかせる。いまは負担があるだけで給付はないけど、あとになればいま負担するのを大幅に上回るようなたくさんの給付がまっている。いっぱいの給付が約束されているのである。
約束されているはずのたくさんの給付は、本当にもたらされるのかといえば、その約束はたんなる口約束に終わってしまう。ずっと先にまで、約束を引っぱりつづけて行く。いつまでもはたされることがない約束なのである。
だれだって、負担させられるだけで、給付がないのだったら、いやである。いやなことはしたくないものである。いやなことをやってもらうために、政党や政治家は、語りを言う。あとあとに、ものすごいたくさんの給付がまち受けているかのような語りを言う。いまそれなりの負担をしてくれれば、あとにはすごいたくさんの給付がまっているかのような語りを言うのである。
よい政党は、給付をいっぱいもたらしてくれるものだ。すぐにたくさんの給付をもたらしてくれる政党だったらよいけど、そこに条件がついていて、いますぐにではなくて、あとでしか受けとれない。あとに受けとれることになっているたくさんの給付は、確かなのではなくて、はなはだ不確かなのである。
自分が死んだあとの来世まで持ち出せばちょうじりが合うかもしれないけど、生きているうちの現世だけだと短いからなかなかちょうじりが合いづらい。
政党や政治家には信じ切れないところがあって、いまはいくらかの負担をさせられるけど、そのごにすごいたくさんの給付が確かに約束されているかのように語る。その語りを信じ切れないのである。うたがわしい。
人々へ給付することなんかどうでもよくて、いま人々を動員して行く。人々に負担してもらう。自発の服従の契機を調達して行く。正統性だ。人々に負担してもらうためには、言うことに正義の響きを加えることがいる。
いろいろな語りを言うのが政党や政治家だけど、そこには正義の響きが加えられている。それによって人々に負担をしてもらう。いまは給付はしない。給付をするのだとしても、やりがいだとか、価値なんかにとどまる。お金を給付することはなくて、お金は負担してもらう。払ってもらう。一票を入れてもらう。労力を払わせる。
いっさい動員されるのをこばむのではなくて、動員されてもよい。よい政党や政治家だったら少しくらい動員されてもよいけど、あんまり思いっきり乗っかるのは避けたいのがある。思いっきりその政党や政治家に乗っかってしまうと、すごい動員させられることになり、自発に服従させられてしまう。
きょくたんなふうだと、すごい悪い政党や政治家には反抗して、よい政党や政治家には服従することになる。悪い政党や政治家に反抗するのは良いことだけど、よい政党や政治家に服従するのは必ずしも良いことではない。服従しすぎてしまうと、その政党や政治家に利用されてしまう。利用されてしまうと、損をする。
たとえよい政党や政治家であったとしても、自分が利用されないようにすることがいる。あとで受けとれることになっている給付をちらつかせていて、給付をにおわせているのだとしても、それを確かに受けとれる保証はない。政党や政治家の語りは、いくらそこで言われていることが良い内容であったとしても、信じ切らないようにして、うたがったほうがあとで自分が損をするのを少しは避けられる。
言葉だけだったらいくらでも温かいことをいえるけど、現実の冷たさを改めるのまた別だ。現実の冷たさに耐えさせるために、言葉だけは温かいことを言う。政治ではそういった手が使われる。言葉ですごい温かいことが語られていたとしても、現実の冷たさはいっこうに変わらない。現実の冷たさを変えるつもりはほとんどないのである。
なんで現実の冷たさを変えづらいのかといえば、効率性の価値があるからだ。効率性の価値をとると、温かみがない現実になってしまう。すごい冷たい現実なのがいまの日本のありようなのだとすると、それを改めることはいるけど、言葉だけで温かいことを語るのはいくらでもできるから、だまされないようにしたい。
そんなにかんたんに日本の冷たいありようが改まるとは考えづらいのがある。たとえ言葉のうえでだけだったとしても政治において温かいことを語ってくれるのはありがたいと言えばありがたいが、だましのことが少なくないから、そのまま丸ごとうのみにするのは避けたいものだ。
温かいうその語りと、冷たい本当(まこと)の語りだったら、ばあいによっては冷たい本当の語りのほうが優しくて親切なことが中にはある。ことわざでいう、良薬は口に苦しだ。たとえ温かい語りであったとしても、中には毒のことがあって、毒の味は甘い。現代思想でいわれる薬と毒の転化(pharmakon)である。
参照文献 『政治家を疑え』高瀬淳一 『科学的とはどういう意味か』森博嗣(ひろし) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『効率と公平を問う』小塩隆士(おしおたかし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『うたがいの神様』千原ジュニア 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『心脳コントロール社会』小森陽一 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹