与党と野党は、どちらも同じなのだろうか。どちらも茶番なのだろうか。
自由民主党と、立憲民主党は同じである。いや、同じではない。ちがう。同じなのかちがうのかがある中で、同じではないことの証明を試みたい。
何々ではないことを証明する。悪魔の証明だ。間接の証明である。
悪魔の証明は、じかには証明できないけど、間接には証明することがなり立つ。
自民党と立憲民主党が同じではないことはじかには証明できないから、間接にやってみる。背理法である。
かりに、自民党と立憲民主党が同じであるとの仮説を立ててみる。もしも自民党と立憲民主党が同じであるとするならば、自民党と同じくらいに立憲民主党も甘やかされているはずだ。
甘えの構造によるのが自民党だ。もしも立憲民主党が自民党と同じであるならば、立憲民主党もまた甘えの構造にあることになるが、その構造の内にあるとはできそうにない。どちらかといえばその構造の外に置かれているのが立憲民主党だ。
報道においてかなり甘やかされているのが自民党だけど、立憲民主党はそこまで甘やかされていない。報道においてすごい持ち上げられているのが自民党である。自民党ほどにはすごく持ち上げられることはなくて、ややきびし目の報道がなされているのが立憲民主党である。野党はだらしない。野党は頼りない。批判ばかりしていて仕事をやっていないのだとされている。
すごい持ち上げられているのが自民党であり、それが逆に災いする。内発の動機づけがすごい下がってしまう。内発の動機づけとは、自発性によるものだ。外発の動機づけがうんと大きいのが自民党であり、お金や票だけで動く。外発の動機づけとは、具体の利益とか、ほめられることなどだ。
すごいよくやっているとはあまりされないのが立憲民主党だ。自民党はよくやっているけど、野党はろくに仕事をしていない。野党はだらしがないとされていて、叩かれることが多い。
反対の勢力(opposition)である立憲民主党は、あんまりよい評価を受けていないのがあり、それがかえって幸いしているところがある。甘めではなくてきびし目に報道される方が、その政党にかえって幸いするところがあり、内発の動機づけを保ちやすいのである。内発の動機づけが下がりづらい。
日本の政党の中でもっとも内発の動機づけが大きいものの一つなのが、野党の日本共産党だろう。共産党はけっこう内発の動機づけが高いのがあり、それと対極にあるのが自民党だ。共産党と対極のものは、野党における第二自民党を含む。日本維新の会や国民民主党などだ。
日本の政党の中ではうんと内発の動機づけが高いのが共産党であり、それと対極とまでは言えないのが立憲民主党だ。共産党と肩を並べるとまでは行かないけど、そうかといって自民党ほどにはひどくはないのが立憲民主党だろう。立憲民主党は良いのと悪いのとの中間のところがあり、そこそこに、ほどほどに内発の動機づけがある。
悪魔の証明である、何々ではないことの、同じではないことの証明にいどんでみると、自民党と立憲民主党は、ちがうと言えばちがいをもつ。ぴったりと同じとまでは行かない。
いかようにも線を引くことができるのが政治だ。同じものとちがうものの間に、どういうふうに線を引くこともなり立つ。線を引く人によって、あるものどうしを同じとすることもできるし、ちがうものとすることもできる。
客観ではなくて主観によるものではあるけど、同じところを持ちつつも、ちがうものどうしなのが自民党と立憲民主党なのだとすることがなり立つ。かりに自民党と立憲民主党が同じものなのだとする仮説を立ててみると、その仮説はぜったいに確かな真理とできるほどに正しくはない。仮説にたいする反例をいくつか見つけることがなり立つ。
同じものどうしだとする仮説にいくつかの反例を見つけられることから、自民党と立憲民主党は完ぺきに同じものどうしだとすることはできづらい。どちらの政党も茶番によるところはあるが、それぞれで少しちがいをもつ。
大きなところ(macro)では似たようなものであり同じようなものだけど、小さいところ(micro)に目を向けてみる。細部に着眼してみると、ところどころがちがう。協調し合うところがありつつ、対立し合うところをもつ。対立がなければ政治は無いけど、対立だけではなくて協調もいるのが現実の政治だ。協調もいるとはいっても、それによりすぎると茶番といえば茶番になってしまう。
自民党ほどには持ち上げられていなくて、甘やかされていないことが、かえって立憲民主党に幸いしているところがあるのである。ややきびし目にあつかわれていることがかえってよく働く。
甘えの構造のどまん中にいて、報道なんかで甘やかされまくっていることで、内発の動機づけがうんと下がりまくっているのが自民党であり、それが災いしている。お金と票でしか動かない。外発の動機づけにしかよらないあり方だ。政治の退廃(decadence)である。
日本の政治において排除されているのが共産党だけど、自民党は包摂されまくっていて、たるみまくっている。だるだるにゆるみ切っているのである。どんな負のことをやっても許される。
参照文献 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『「科学的思考」のレッスン 学校で教えてくれないサイエンス』戸田山和久 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『境界線の政治学』杉田敦(あつし) 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『アイデンティティ(identity) / 他者性(otherness) 思考のフロンティア』細見和之(ほそみかずゆき) 『学ぶ意欲の心理学』市川伸一 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『政治の見方』岩崎正洋 西岡晋(すすむ) 山本達也 『現代政治理論』川崎修(おさむ)、杉田敦(あつし)編 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫(かおる) 『目のつけどころ(が悪ければ、論理力も地頭力も、何の役にも立ちません。)』山田真哉(しんや)