埼玉県の川口市では、クルド人の人たちへの差別がおきているという。
差別を、明るさと暗さの点から見てみるとどういったことが見えてくるだろうか。
暗いものなのが差別だ。その地域の呪われた部分である。
どこにでも、多かれ少なかれ暗さがある。どこにでも呪われた部分がある。
地域よりも広いところでは、日本の国には暗さがある。かなり暗い。呪われた部分を多くもつ。
どこの地域であったとしても、多かれ少なかれ差別があるから、暗さをもつ。暗いのはあるけど、差別を少しでもなくして行く。差別をなくして行こうとするのは明るさだ。
西洋の哲学でいわれる弁証法(dialectic)がある。弁証法には二つあって、明るいものと暗いものだ。
明るい弁証法であれば、たとえ差別があって、暗いのだとしても、それを明るくして行ける。明るい方へ持って行く。
そんなにかんたんには明るくすることができない。差別はなかなか無くならなくて、暗さがおきつづける。どんどん差別がひどくなっていってしまう。差別で苦しむ人がなかなか減って行かない。苦しみが無くならなくて、苦しみつづけることになる。暗い弁証法だ。構造の暴力を重く見る。
じかの暴力ではないのが構造の暴力だ。貧困や抑圧や差別などである。明るさによるのだと、構造の暴力を見のがしてしまう。軽んじることになる。大したことはないのだとする。
差別がありつづけるのはよくない。暗いままなのはよくないから、明るくしていったほうが良い。明るくして行くのは、止揚(aufheben)である。止揚することができれば、明るくなり、矛盾が解消される。問題が克服される。
たとえどのような地域であったとしても、まったく矛盾がないところはない。なんらかの矛盾を抱えているのがあり、それによってその地域はなりたつ。
まったく矛盾がない国はない。何らかの矛盾を抱えているのが国であり、弁証法における正と反がぶつかり合う。国においては、正と反がぶつかり合っているのがあり、それがうまく止揚されることもあれば、まだ止揚されていないこともある。
何でも悪くとらえる態度が悲観主義だ。暗さによる。悲観主義によるのであれば、差別があるのを重くとらえる。矛盾が深まっていってしまうのを見逃さないようにして行く。
どのみち暗さはなくならない。完全に明るくなることはない。少しの暗さもない地域はないのだから、たしょうは暗さがあるのはやむをえない。そのうえで、少しずつ明るくして行く。楽観主義であればそうとらえることがなりたつ。
そこの地域で差別がおきている。そうであるとすると、差別があるのはよくないことなので、問題の提起ができる。弁証法における正だ。差別がなされているのは、問題の発生だ。弁証法の反である。即自だ。差別への批判が投げかけられるのは、対自である。
差別にたいする反差別は、即自と対自のぶつかり合いだ。それがうまく止揚されれば、即自かつ対自になる。差別が少しは改まる。差別が少し減る。暗かったのが、やや明るくなる。
たとえどのような地域や国であったとしても、何らかの矛盾はある。暗さをもつ。即自だ。そのままのありようである。差別があるのなら、それにたいして反差別の動きがおきることがあり、対自がなりたつ。
即自と対自がぶつかり合い、それが即自かつ対自になれば、完全なありようになる。うまいぐあいに即自かつ対自がなりたつとはかぎらず、完全なありようになるとはかぎらない。不完全なままになってしまう。ぶつかり合いがおさまらない。
いくらどの地域や国であったとしても矛盾があるのだとはいえ、そのままであってはまずい。そのままだと、即自だ。それにたいして対自があることがかんじんだ。対自があることが大事であり、対抗して行く。差別に少しでも対抗して行くのがいる。
その地域や国で、対抗の動きがあれば、少しは明るさがある。まったく対抗の動きがないと、即自のままだ。悪いあり方だったら、そのあり方のままになってしまう。そのままのあり方でありつづける。
なかなか差別がなくならないのは、対自の対抗の動きが弱いからである。即自で、そのままでありつづけることによる。対自の対抗が弱いと、即自かつ対自の完全なありように持って行きづらい。うまく止揚されないままになる。
たとえ止揚するのだとしても、それがごまかしになってしまう。そうしたことがある。差別をうやむやにしてしまう。差別があるのをごまかす。そうしたあまり良くない止揚のしかたも中にはある。よくないものもあるから、必ずしも止揚されたほうが良いとはかぎらない。差別にたいして、ごまかしの手が打たれてしまうことがないではない。
根っから差別を片づけて行くのは、よい止揚だ。むずかしさがある。わりにかんたんにできやすいのは、たとえちょっとでも差別をなくして行く。ほんの少しでも差別が和らげばよしとする。矛盾が少しでも減ればそれでよい。たとえあんまり良くない止揚のしかたであったとしても、正と反のぶつかり合いがずっと引きつづくよりはたしょうはましだ。
正と反のぶつかり合いがおきつづけるよりかは、ごまかしであったとしても、止揚された方が良いとすることもできなくはない。止揚されないままだと、正と反がぶつかり合いつづけて、紛争がおきつづけることになる。
根っから差別をなくすのはむずかしいことだから、つねに対自である対抗がありつづけることが大事だ。対抗して行くことがいり、反差別の動きをしつづけて行く。即自の、そのままのありようのままにしておかない。
負のことにたいして対抗して行く。対抗が弱くなくてあるていど強ければよいあり方だ。うまくすれば臨界の質量(critical mass)にまでいたれる。ものごとがよい方へ変わる臨界の質量までいたりづらいのは暗さだけど、それへいたれるのぞみがあれば明るさだ。たとえ量が多くなくて少なくても(つまり多数派ではなくて少数派であったとしても)、うまいぐあいに臨界の質量にまでいたれることがなくはない。
参照文献 『社会的ジレンマ 「環境破壊」から「いじめ」まで』山岸俊男 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『希望のつくり方』玄田有史(げんだゆうじ) 『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組 体は自覚なき肯定主義の時代に突入した』須原一秀(すはらかずひで) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『アイデンティティ(identity) / 他者性(otherness) 思考のフロンティア』細見和之(ほそみかずゆき) 『「他者」の起源(the origin of others) ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』トニ・モリスン 荒このみ訳 『社会(the social) 思考のフロンティア』市野川容孝(いちのかわやすたか) 『暮らしの哲学』池田晶子(あきこ) 『社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』岩田正美