もと政治家の蓮舫(れんほう)氏が叩かれる。そのことをどのようにとらえられるだろうか。
政治家だったさいに、叩いたり叩かれたりしていたのがれんほう氏だ。
れんほう氏にかぎらず、たとえどのような政治家であったとしても、多かれ少なかれ叩かれることになる。
その政治家が叩かれるのは、力があることのしるしだ。れんほう氏が政治家だったさいにすごく叩かれていたのは、れんほう氏が政治家としてそれなりに力を持っていたことを示す。
東京都の知事の選挙で三位になったのがれんほう氏だけど、それよりも順位が上になった石丸伸二氏なんかも、けっこう叩かれている。れんほう氏もすごい叩かれたけど、石丸氏もまた叩かれているのである。その叩かれている石丸氏は、けっこう人気があり、テレビ番組に多く出ている。
はしにもぼうにもかからないような政治家は、まったく叩かれないかもしれない。叩かれることによってその政治家は力を得て行く。石丸氏なんかはけっこう叩かれているのがあるけど、その一方で人気があるのもあって、選挙があったら勝つかもしれない(勝ってしまうかもしれない)。
ウェブですごい叩かれているのが、野党の立憲民主党の野田佳彦(よしひこ)元首相だ。ウェブでは野田元首相はけっこうきらわれていて叩かれているけど、政治家としては首相の地位にまで行った。とんでもなくむのうで悪い政治家なのが野田元首相なのだとは言い切れそうにない。
客観に政治家を評価づけするのはあんがいできづらいのがあって、主観になってしまう。人それぞれの主観になり、あくまでもその人がとらえるところのその政治家であるのにとどまる。心の中の像(image)を外に表現したものだ。表象(representation)である。たとえば、じかに野田元首相に生で会い、面識をもつ人は少ないだろう。
アメリカの大統領からはよい評価づけを得ていたのが野田元首相だ。アメリカのバラク・オバマ元大統領は、かれら(野田元首相の政権)とは仕事ができる、と見なしていたという。日米で、おたがいに意思のやり取りがなりたつ。政治の仕事でいちばん大事なことの一つが伝える技術だけど、その技術が野田元首相(の政権)はそれなりに高かったのだろう。
政治にかぎらずどのような仕事であったとしてもいるものなのが伝える技術だ。言葉によらないはら芸のあり方なのが日本だから、伝える技術が高まりづらい。伝える技術が低いことが多いのが日本の政治家であり、仕事ができない。仕事ができないけど、はら芸によっているのがあるから、何とかなってしまう。
安倍晋三元首相は、れんほう氏が叩いていた政治家の一人だ。安倍元首相を叩いていたから、れんほう氏は叩かれてしまっているのがある。れんほう氏が叩いていたところのものである安倍元首相は、政治家としてそうとうな力を持っていた。
すごい人気があったのが安倍元首相だったけど、たんにみんなから人気があっただけでなくて、すごい叩かれもしていた。叩かれるのを良しとしていたのではなくて、それをきらっていたのがあり、権力を使って叩き返していた。
どういうところが安倍元首相の悪さだったのかといえば、権力を使って叩き返していたところだ。やってはいけないことをやっていたのである。権力は抑制して使わないといけないものだけど、みだりに権力の力を使ったのである。
いまの日本の国の憲法をもち出してみると、権力をみだりに使うことを禁じている。安倍元首相は憲法を守らずに、それをこわそうとしていた。権力を抑制して使うのではなくて、脱抑制によっていたのである。
なんで安倍元首相がすごく人気があったのかといえば、権力の抑制をはずしたのをあげられる。権力者が、権力の抑制をはずすと、権力がらんぼうに使われてしまう。憲法が禁じているのが権力の脱抑制だけど、それをやったのが安倍元首相だったのである。
叩かれる政治家は、見こみがある。安倍元首相も、れんほう氏も、どちらも政治家として叩かれた。どちらも政治家としてさかんに叩かれたのは共通点だけど、相違点としては、悪の力によっていたのが安倍元首相だった。
権力者にまでのぼりつめたのが安倍元首相だ。れんほう氏は国の長にまでのぼりつめることはなかった。すごい上の地位にまで出世したのが安倍元首相だったけど、権力の力を不正に使った。悪の力によっていたのがあり、そこが悪かった。
たとえ叩かれても、権力の力を使って叩き返さない。もしも安倍元首相が権力を抑制していればまだしもよかった。人情としては、権力の力を使って叩き返すのは、わからないことではない。人情としてはわかるところがあるからこそ、安倍元首相のやったことは、人々からの人気を得たのである。
叩かれたら、叩き返す。安倍元首相はそれをやったけど、れんほう氏もまたそれをやっているのはいなめない。共通点があるけど、相違点としては、政治家としての地位のちがいがある。安倍元首相は世襲の政治家であり、すごい力をもつ。国のいちばん上の地位にまで行った。うんと出世したのが安倍元首相だったけど、れんほう氏はそこまで出世しなかった。
階層(class)で見てみると、安倍元首相は優の階層にあたっていた。日本の中心だ。れんほう氏は優の階層にまでいたっていない。優の階層にまで達していないのである。劣の階層にとどまりつづけた。日本の周縁や辺境である。
叩かれっぱなしなわけではなくて、叩き返しているところがあるのは、安倍元首相のみならずれんほう氏もまたいっしょだ。そこは共通点があるけど、階層のちがいがある。優の階層である安倍元首相は、叩きづらい。叩かれづらい。叩かれるのだとはいっても、叩かれづらさをもつ。
叩きやすさがあるのがれんほう氏だ。なんで叩きやすいのかといえば、劣の階層だからだ。日本の周縁や辺境にいる人は、叩きやすい。叩いてよいのだといったことになり、うんと叩かれてしまう。叩き返すのだとしても、それ以上に叩かれまくるから、叩き返すのが追いつかないのである。叩かれ損になってしまう。
安倍元首相より以上にぜい弱性(vulnerability)を持っているのがれんほう氏である。悪玉化されてしまう度合い(scapegoatability)が高い。同じ叩かれるのだとはいっても、れんほう氏に比べれば、まだ安倍元首相のほうが悪玉化されてしまう度合い(goatability)は低いのである。
参照文献 『悪の力』姜尚中(かんさんじゅん) 『社会階層 豊かさの中の不平等』原純輔(じゅんすけ) 盛山(せいやま)和夫 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『名誉毀損 表現の自由をめぐる攻防』山田隆司(やまだりゅうじ) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『世襲議員 構造と問題点』稲井田茂(いないだしげる) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『政治家を疑え』高瀬淳一 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』岩田正美 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦 『これだけは知っておきたい 働き方の教科書』安藤至大(むねとも)