れんほう氏と責任の問題:日本の政治のおかしいところを試みとして叩く

 もと政治家のれんほう氏が叩かれているのをどのようにとらえられるだろうか。

 責任の点から蓮舫(れんほう)氏が叩かれているのを見てみたい。

 れんほう氏が叩かれるのは良いことだとするのは、れんほう氏が責任を負う。

 だれが責任を負うのか。このさいの責任は、説明の責任(accountability)や立証(挙証)の責任だ。

 責任をだれに負わせるのかは、色々に当てはめられる。れんほう氏だけが責任を負うのではない。立証の責任は、れんほう氏だけが負わなければならないものではない。

 だれに責任を負わせるのかでは、れんほう氏だけに責任を負わせることで、れんほう氏だけが叩かれることになってしまう。

 だれかを叩くさいには、叩く人が責任を負うのではない。叩かれる人が責任を負う。叩かれる人の責任を追及しているのである。

 政治の権力者を叩いていたのがれんほう氏だ。叩いていたのはれんほう氏であって、責任を負わない。叩かれる人に、責任を負わせる。政治の権力者に責任を負わせる。

 立証の責任を負わないとならないのが政治の権力者だ。叩かれないとならない。叩かれる役目なのが政治の権力者であり、立証の責任を果たして行くことがいる。

 無責任の体系になっているのが日本の政治だ。政治の権力者が、立証の責任を負わない。野党に責任を負わせる。あたかも野党(opposition)が立証の責任を果たさなければならないかのようにさせる。

 いっけんすると叩いていたかのようでいて、じっさいには叩かれていたのがれんほう氏だろう。叩いていたかのようでいて、その逆に叩かれていた。叩かれっぱなしだったのである。

 なんでれんほう氏は叩かれっぱなしだったのかといえば、日本の政治が無責任の体系になっているからだ。政治の権力者が、立証の責任を負わない。野党に、立証の責任を負わせる。それで、れんほう氏をはじめとする野党の政治家が、なぜか叩かれることになってしまう。

 うわべでは、叩いていたかのようでいて、じつは叩かれていた。その反対に、うわべでは叩かれていたかのようでいて、じつは叩いていた。叩かれっぱなしのものと、叩きっぱなしのものとがいることになる。劣の階層(class)と、優の階層だ。

 叩くのだったら叩くだけだったり、叩かれるのだったら叩かれるだけとはなりづらい。やり返す。やり返される。叩かれなければならないものである政治の権力者は、できるだけ叩かれないようにする。叩かれるのを防ぐ。叩かれて、責任を負わされるのから、逃れたい。

 倍返しではないけど、れんほう氏が一の量を叩いたら、そのごに二より以上に叩かれてしまう。一を叩いて、二より以上に叩かれるのだから、つり合っていない。なおかつ、一を叩いたことがほめられず、叩かれる。

 れんほう氏から一の量ほど叩かれた、政治の権力者がいる。一の量を叩かれたのは、政治の権力者が、立証の責任を負わないとならないからだ。叩かれることがいるのがあるけど、それをこばむ。責任を負おうとしない。責任から逃れる。

 一より以上に叩かれることがいるのが政治の権力者だけど、その一の量すらも受け入れない。一の量を、一〇〇の量であるかのようにして、大げさに受けとめる。一しか叩かれていないのに、倍返しで、二より以上に叩き返す。

 色々に責任のありかを転じてみると、責任を負うべき者が責任を負っていない。政治の責任者が、立証の責任を負っていないことが浮かび上がってくる。おかしいことが、当然のことであるかのようにしてまかり通っているのがいまの日本の政治だ。

 おかしいあり方になっているから、そこをれんほう氏は叩いているのだけど、おかしいことに、そのれんほう氏が叩かれてしまう。おかしいことについて、おかしいと言い、おかしさを叩くと、逆に(叩いた人が)叩かれまくってしまう。

 どこにおかしさがあるのかといえば、責任のありかだ。日本の政治では、野党が責任を負わされてしまっている。野党が責任を負うことが自然化されているけど、それを脱自然化したい。

 まるで自然なことであるかのようになっているのを脱自然化するようにしてみたい。脱自然化してみると、野党に責任を負わせることによって、もともと立証の責任を引き受けなければならない政治の権力者が、責任を負わずにすむ。無責任の体系になっていて、甘えの構造になっているから、そこを批判しないとならない。

 参照文献 『「責任」はだれにあるのか』小浜逸郎(こはまいつお) 『社会認識の歩み』内田義彦(よしひこ) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『高校生のための論理思考トレーニング』横山雅彦現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『うたがいの神様』千原ジュニア 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信