現実と向き合う:れんほう氏の落選の真相(東京都の知事の選挙の勝ち負け)

 東京都の都知事の選挙が行なわれた。

 選挙の結果についてどのように見なせるだろうか。

 なかなか現実はきびしい。少なくとも負けても二位には行くだろうとされていた蓮舫氏は、三位にとどまった。新聞の記事では、二位にすらなれず、と言われていた。二位ではだめなのか(一位でなければならないのか)、といぜんに言っていたのがれんほう氏だからである。

 希望の観測がある。願望の思考がある。ついつい、それにおちいってしまう。勝ったらよいなとしてしまいがちだが、そこまで現実は甘くはない。現実はきびしいのがあって、負けるかもしれないことをもっと組み入れておくことがいりそうだ。

 なんでれんほう氏は負けて三位に甘んじたのだろうか。色々な要因がありそうだ。その中で、やり直し(redo)の機会がとぼしいのがある。

 やり直し(reset)を言っていたのがれんほう氏だ。ぜんぶをやり直すのではないのにしても、悪いものについてはやり直して行く。そううったえていたのである。

 現職の小池百合子都知事が勝ったのは、やり直しの機会がすごくとぼしいからである。もっとやり直しの機会が多ければ、小池都知事は勝ちづらくて、れんほう氏は負けづらかったのである。れんほう氏にかぎらず、ほかに出馬していた人たちが勝ちやすかった。

 負の見かたがなされていたのが、れんほう氏や日本共産党だ。れんほう氏を支援していた共産党にたいしては、負の見かたがなされている。なんで負の見かたがなされるのかといえば、やり直しの機会を減らすためである。できるだけやり直させないようにする。

 負のものだとされているのが共産党だけど、それを正のものだと見なす。正のところを見て行く。共産党が持っている正のところをもっととり上げるようにすれば、日本の政治においてやり直しの機会が増えて行く。

 できるだけやり直させないあり方なのが日本の政治だ。その中では、れんほう氏は勝ちづらい。負けやすい。共産党が負のものだと見なされつづけることになる。

 あくまでも結果は結果として受けとめないとならない。結果を全否定することはしないようにしないとならないが、やり直しの機会を増やすようにしてみる。

 いっさいやり直させないのではなくて、やり直しの機会を増やすことを試みてみると、はたして小池都知事は本当に勝ったといえるのかがある。勝ったとはいっても、へんな宗教の団体の組織の票を得ているのである。与党である自由民主党が裏でこそこそ支援していた。

 こてんぱんに大きく負けたのがれんほう氏なのかといえば、そうとは言い切れそうにない。背なかをあと押しするのではなくて、風当たりが強い。逆風が吹いているところがあって、その中で選挙を戦っていたのがある。

 それなりの人たちに訴えかけるのに成功したのがれんほう氏だろう。それなりの人たちを動かすことができた。一人で街頭に立って宣伝する人たちが、たくさん起きたのである。勇気がないとなかなかできないことだ。

 文句がなく、だれがどう見ても認めざるをえないような勝ち方だったのが小池都知事だとはできづらい。文句のつけようがない勝ち方だとはできづらいのがあり、文句をつけようと思えばつけまくれる。

 やり直しの機会をもっと増やして行く。日本の政治ではそれがいるのがある。かんじんなことは、じっさいにれんほう氏が勝つか負けるかではない。それよりももっと大事なのは、できるだけやり直しがしやすいあり方に日本の政治をして行くことである。

 負のものだと見なされつづける。そうしたあつかいになっているのが共産党だ。正のところがとり落とされている。負のものとして固定化されつづけるのはまずい。正のところがすくい上げられることがいる。そうでないと、悪いものが勝ちつづけることになり、良いものが負けつづけてしまう。悪いものが力を持ちつづけてしまう。生きて行きづらい人が、生きて行きづらいままになり、救われることがない。

 参照文献 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明構築主義とは何か』上野千鶴子編 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『民主主義という不思議な仕組み』佐々木毅(たけし)