批判か、政策か:批判と政策と、それらの値うち

 批判するだけではよくない。もっと政策を語るべきだ。東京都の都知事の選挙では、政策を語ることがいるのだと言われている。

 たんに権力を批判するだけではなくて、どういう政策をなして行くのかについてが、都知事の選挙ではもっと語られるべきなのだろうか。

 たしかに、その立候補者がどういうことを政治においてなしたいのかの、政策についてを語るのは良いことではあるだろう。それがいるものであるのはたしかだ。

 どういうものなのが民主主義なのかで、それは下剋上(げこくじょう)なのだとしたのが批評家の小林秀雄氏だ。上にしたがうのではなくて、上を批判して行く。下が、上を目ざす。上を目ざすさいに、いま上の地位にある者を批判して行くことがいることになる。

 落ちついて政策をじっくりと語れるような状況にいまの日本の政治があるのかといえば、そうとは見なしづらい。

 すごく大づかみにとらえれば、すごくびんぽうなときと、すごく豊かなときとがある。まずしいときと、豊かなときである。いまの日本はいちおうは豊かな社会だ。とんでもない貧しさからは脱している。

 すごく貧しくて、みんなが食べるものがなくて困っているようなときは、政治をやりやすい。そのさいには、豊かさを目ざすことを大きな目標にできるから、政策を作りやすい。みんなで目標を共有化しやすいのである。

 すごい大都会なのが東京都だ。東京都を全体として見てみればすごい豊かである。豊かな中だと、政策を作りづらい。貧しさから脱するさいよりも政治をなしづらいのがある。

 創造性の点でいえば、創造性が高い批判もあるし、創造性が低い政策もある。いまの日本の政治は創造性が高いとは見なせそうにない。たとえ創造性が高い政策を語ったとしても、通らない。つぶされてしまう。前に進んで行かない。そのいっぽうで変なものやおかしな政策がどんどん前に進んでしまっている。右傾化がますます進む。

 あるていど以上に豊かになってしまうと、いじめみたいなのがおきやすくなる。東京都の都知事の選挙では、左派の女性の政治家への批判がすごく強まっている。批判の中には質が低いものが混ざっていて、左派の女性の政治家へのいじめのようなものをふくむ。

 何かを排除することによって、それ以外の人たちがまとまり合う。排除されるものがおきることになる。左派の女性の政治家を排除することによって、右派の人たちがまとまり合う。日本のなかでは多数派なのが右派だ。右派どうしで、みんながよってたかって同じ左派の女性の政治家を排除して行く。一色のあり方だ。多色のあり方ではない。

 秩序や権威をよしとしがちなのが日本だ。権威にしたがう。一色のあり方になってしまう。一元化される。みんなが同じ方向を向く。みんなでよってたかって同じ人を排除し合うことになる。それによってみんなでまとまり合う。そうしたまとまり合いのしかただと、暴力がふるわれる。排除されるべきではない人を排除することがおきかねない。悪い秩序の形づくり方であることがある。

 ある価値観にもとづいて、批判をして行く。左派の価値観や、右派の価値観がある。お互いに価値観が同じでないと、信頼し合えない。不信やさいぎにおちいることになる。

 権力を批判するのはおもに左派の価値観による。左派の人だったらその価値観によるから、信頼することがなりたつ。その批判がどういう価値観からなされているのかがものを言う。批判が良いか悪いかであるよりも、価値観が同じかそれともちがっているかが重みを持つ。

 テレビ番組の出演者は、左派の女性の政治家が、批判してばかりなのをよくないことだと言っていた。もっと政策を語るべきだとしていた。批判よりも政策を、とされているけど、それは信頼できるかどうかの話なのである。その政治家を信頼することができるのだとすれば、批判しようが政策を語ろうがとくにどちらでもかまわないはずだ。

 政策を語るさいにも、その政治家がどういう価値観をもっているのかが大きな意味をもつ。左派の価値観から作られた政策だったら、いくらそれを語ったところで、右派の人には受け入れづらい。逆もまたしかりである。

 あんまり政治家を信頼しすぎないほうがよいのがある。信頼しすぎてしまうと、政治家にだまされてしまう。疑ったほうがよいのが政治家だ。批判をせずに政策を語るようにするのだとしても、政治家が言っていることをそのまま丸ごとうのみにしないほうがよいのである。

 国民そのもの(presentation)なのではなくてその代理なのが政治家だから、うそをつくことが多い。表象(representation)であることによる。心の中の像(image)を外に表現したものなのが表象だ。あんまり政治家のことを信頼しすぎてしまうと、距離がとれなくなり、まひさせられてしまう。

 権力をもった政治家と距離をとることがとりわけいる。距離をとるためには、少なからず権力を批判しないとならない。たとえ政治家が政策を語るのだとしても、それがうそである見こみは低くない。本当やまことではないことを政治家が言う。

 政策を語るようにしたとしても、どのみちいるものなのが政治家にたいしての批判だ。どっちみち批判されることになるし、批判されないとならない。とりわけ権力を批判することがいる。権力がうそをつくと、国民への損や害が大きいからだ。

 参照文献 『政治家を疑え』高瀬淳一 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『楽々政治学のススメ 小難しいばかりが政治学じゃない!』西川伸一 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『シンクタンクとは何か 政策起業力の時代』船橋洋一 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『うたがいの神様』千原ジュニアカルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『創造力をみがくヒント』伊藤進 『構築主義とは何か』上野千鶴子