原理と信頼:これからの東京都の知事の条件とは

 だれが、東京都の知事に選ばれるのがのぞましいのだろうか。

 都知事をえらぶ選挙が行なわれる。出馬することになったのが、野党である立憲民主党の女性の政治家である蓮舫(れんほう)氏だ。

 蓮舫氏は、左派の政治家であることから、右派からものすごい叩かれている。批判を受けているのである。

 心の中の像(image)を外に表現したものなのが表象(representation)だ。じっさいの蓮舫氏そのもの(presentation)であるよりも、表象としての政治家の像が形づくられる。表象なのがあるから、じっさいのものとはずれているのである。

 どういう人が都知事にふさわしいのかがある。人それぞれで色々な見なし方ができるだろうけど、その中で、原理を持っていることと、信頼が大事なのだとしてみたい。

 いまの都知事である小池百合子氏は、原理を持っていないし、信頼もない。その二つのどちらも欠けている。政治家として持っているべきものが欠けているのである。

 政治家が個人としての原理を持っていないと、予測の可能性(predictable)がない。どういうことを言ったりやったりするのかの予測がつきづらい。胸三寸でころころ変わってしまう。

 これからの日本の国にいることは、信頼による政治だろう。信頼にもとづく政治をなすためには、報道がきちんと機能していないとならない。報道がうそ発見器としてはたらく。政治家のうそをきちんと批判することを報道がやらないとならない。

 政治家は批判されることがいるのはある。批判がいるのはあるけど、都知事選に出馬することを決めた蓮舫氏への批判の中には、質が低いものが少なくない。情報の政治(infopolitics)がなされているのである。情報のなかに意図性や作為性や政治性を多くふくむ。

 女性の政治家なのが蓮舫氏だ。女性であると、日本の国のなかでは叩かれやすい。左派の女性の政治家だと、なおさら叩かれやすいのである。可傷性(vulnerability)や被悪玉化の度合い(scapegoatability)がすごい高いのが、左派の女性の政治家だ。

 悪玉化されてしまう度合い(goatability)がすごく高いのが蓮舫氏だから、かなり大変な思いをすることになりそうだ。それに比べると小池百合子都知事は右派の女性の政治家だから、蓮舫氏ほどには悪玉化される度合い(goatability)が高くない。右派だと、それを隠れみのにすることができるのだ。叩かれづらくなり、甘やかされやすくなる。

 夢がない。批判ばかり言っていて、うしろ向きだ。消極だ。蓮舫氏についてそういった批判が投げかけられている。なんでそういう批判が投げかけられているのかといえば、日本の国の思想の傾向(ideology)に批判を行なっているのが蓮舫氏だからである。

 日本の国の思想の傾向へ、批判を行なう。批判者は、うとんじられてしまう。日本の国にとって都合が悪いのが批判者だから、排除されることになる。すごく良いことをやっているのが批判者だけど、日本の政治においては排除されやすい。

 叩かれやすいところを色々に持っているのが蓮舫氏だ。ぎゃくにいえば、(そういった叩かれやすいところを色々に持っているのは)政治家として良いところを色々に持っているのだととらえることがなりたつ。

 小池都知事に比べれば、蓮舫氏は原理を持っているし、信頼を置けるところがある。あまり政治家を信じてはいけないが、相対的には良しとできるところがある。それに加えて、言葉の政治がのぞめるのがある。これからの日本の政治は、言葉の政治をやって行かないとならない。しっかりと言葉で語って行く。

 言葉を抜きにしたりないがしろにしたりするようなはら芸のあり方を改めて行かないとならない。言葉への信頼にもとづいた民主主義をやって行くようにしたい。

 いまの日本の国の政治は、政治への不信と言葉への不信が深まっている。その中で、言葉においては、詩への欲求がおきている。文学への欲求の高まりだ。詩とは、本質をとらえる言葉だ。最もすぐれた言葉の使い方である。政治において詩に当たるものとしては、与党である自由民主党のやっている悪いことへの批判をあげられる。

 政治では、批判は詩になるのである。批判がちゃんと本質をついていれば、詩情がおきる。本質をぎんみすることなのが批判だから、自民党がやっている悪い政治をきちんと批判して行かないとならない。そうしないと詩にならないし、詩情がおきないのである。

 いっけんするとうしろ向きなのや消極に映るのが批判だ。負のものに当たるようではあるけど、消極なものがもつ積極性がある。それをとり落とさないようにしたい。いまの日本の政治でいるのは、一からの作り直しだろう。脱構築(deconstruction)だ。批判によって、脱構築して行く。一から作り直す。

 もっとも安全なのは、いっさい脱構築をやろうとしないことだ。これまでのあり方に乗っかりつづける。危なさがおきるのは、脱構築をやろうとすることである。既得の権益をもった人たちからすごい叩かれてしまう。不利益を押しつけ合う戦いである。不利益の分配の政治である。

 不利益の分配の政治の点では、ものすごく良いことをやろうとしているのが蓮舫氏だとは言い切れないかもしれない。不利益の押しつけ合いの戦いをやろうとしているだけだと見なせるからである。そこまで政治家を持ち上げられるわけではない。そこまで美化できないのはある。

 いまの日本の政治では、不利益の分配の政治をやることが避けられなくなっている。その中で、脱構築をやるのを試みると、安全ではなくなり、危なさがおきる。政治で、排除されやすい。ものすごい叩かれたり批判を受けたりしやすいのである。

 そうかんたんには脱構築しづらくて、一から作り直すことができづらいのが日本の政治のあり方だろう。改善ができづらい。不利益をこうむる人がおきてしまうのがあるから、すごい抵抗がおきる。

 参照文献 『情報政治学講義』高瀬淳一 『詩を書くということ 一〇〇年インタビュー 日常と宇宙と』谷川俊太郎 『ぼくらの言葉塾』ねじめ正一(しょういち) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫現代思想を読む事典』今村仁司編 『安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方』山岸俊男 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『対の思想』駒田信二(しんじ)