イスラエルの国の行ないと、それへの反応:負の反応(批判)が世界でおきている

 イスラエルを批判する声が、アメリカの大学の学生からおきている。

 なぜ、イスラエルへの批判が、アメリカの大学をはじめとして世界のさまざまなところからおきているのだろうか。

 パレスチナに暴力をふるっているのがイスラエルだ。暴力をふるっているのがあるからイスラエルに批判の声が投げかけられている。

 ばあい分けをして見てみたい。分類づけで、十字の分類をしてみる。十字の、たての線と横の線による分類だ。そうすると、こういったことが見えてきそうだ。

 二つの主体がいる。いっぽうはイスラエルだ。たほうはパレスチナイスラム主義の集団だ。主体は行動者のことである。

 四つほどの場合をあげられる。一方の主体は良くて、他方の主体は悪い。これがふた組みある。あと、どちらの主体も悪い。さらに、どちらの主体もよい。

 どういうふうな立ち場をイスラエルはとっているのかといえば、イスラエルは良くて、パレスチナイスラム主義の集団は悪いとするものだ。

 四つほどの場合がある中の一つの場合をとっているのがイスラエルだ。残りの三つの場合があり、そこをとり落とさないようにしてみたい。

 二つの主体がいるとして、いっぽうが良いのであれば、その主体への批判はおきないはずだ。ところが、よいとされている主体であるイスラエルにたいして、アメリカの大学の学生をはじめとして世界のいろいろなところから批判の声がおきているのだ。矛盾である。不整合だ。協和しない。

 矛盾や不整合や不協和がおきているのが、イスラエルがとっている立ち場だ。どうやって矛盾や不整合や不協和を解消したらよいのかがある。イスラエルのやり方は、あくまでも自分たちが正しいのだとしつづけるやり方だ。

 自己の正当化や自己の合理化をすることで、矛盾や不整合や不協和を解消しようとしているのがイスラエルである。むりやりに矛盾を片づけようとしているけど、うまく矛盾が片づいていない。矛盾が深まっているのである。解決されない矛盾が残りつづける。

 どういう主体が良いのかといえば、イスラエルには疑問符がつく。イスラエルを良い主体だとするのには疑いが残る。もう一方の主体であるパレスチナイスラム主義の集団を見てみると、それを良いと見なすことはできづらい。

 どういうところに論争がおきているのかといえば、二つの主体がいる中で、一つの主体についてだけだ。論争がおきていないのが、パレスチナイスラム主義の集団についてである。その主体については、良い主体だと見なす人は世界の中であまりいない。

 どういう価値を主体がもっているのかでは、負の価値をもつ主体なのだとされているのが、パレスチナイスラム主義の集団だ。正の価値をもつ主体なのだとはされていない。

 正の価値をもつ主体なのがイスラエルだとされているのがあるけど、価値づけを逆にすることがなりたつ。負の価値をもつ主体なのがイスラエルなのである。なぜかといえば、イスラエルパレスチナに暴力をふるっているからである。

 お互いに主体どうしが争い合う。そのさいに、いっぽうの主体が良くて、たほうの主体が悪いことはあまりない。なぜかといえば、もしもいっぽうが良くてたほうが悪ければ、あまりぶつかり合いにならないのである。それぞれの主体の次元がちがう。

 争い合いがおきてしまうのは、主体どうしが同じような次元にあるからだ。似たものどうしなのである。いっぽうの主体が悪ければ、たほうの主体もまた悪い。どっちも悪い。事例としてはそうしたことがある。主体どうしが共通点をもつ。争い合うと、ぜんぜんちがっているようであったとしても、お互いにどこか似てきてしまう。相互の作用がはたらく。

 ばあい分けしてみると、四つの場合があるなかで、どちらの主体も悪い場合がある。その場合に当てはまるのが、イスラエルパレスチナイスラム主義の集団のぶつかり合いだろう。イスラエルはどこからどう見ても誰がどう見てもまちがいなく良い主体なのだとまでは見なしづらい。

 自己欺まんの自尊心をもつ。虚栄心をもつのが人だ。人の集団である国は、自己欺まんの自尊心をもつので、国どうしがぶつかり合ってしまう。戦争がおきる。暴力がふるわれる。性悪説で見てみればそう見なすことがなりたつ。

 人の悪さがある。人の集まりなのが国だから、国は悪さをもつ。自己欺まんの自尊心をもつことになる。国なのがイスラエルだから、主体としてのイスラエルは悪さをもつ。けっしてどこからどう見ても誰がどう見てもまちがいなく良いのが主体としてのイスラエルではないことがわかる。

 謙虚(けんきょ)さをもちづらいのが国だ。理性の反省をしづらい。戦争でとことんまで負ける(敗れる)くらいまで行かないと反省できづらい。抑制がかかりづらい。おろかさを持つ。かしこいとは言えないところがあるのがイスラエルにはある。

 イスラエルだけではなくて、かつての日本もまた、行きつくところ(戦争の敗戦)まで行かないと理性の反省ができなかったのである。抑制と均衡(checks and balances)がかかっていなかった。たとえ理性の反省ができたとしても、一時のことにすぎず、すぐに忘れてしまう。

 いまの日本では、自己欺まんの自尊心がまたおきている。虚栄心がおきている。国の政治の右傾化だ。イスラエルと同じような悪さがあるのがいまの日本である。主体としての国には悪さがあるから、そこに気をつけるようにしたい。

 参照文献 『日本の刑罰は重いか軽いか』王雲海(おううんかい) 『法哲学入門』長尾龍一現代思想を読む事典』今村仁司編 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『クリティカル進化(シンカー)論 「OL 進化論」で学ぶ思考の技法』道田泰司(みちたやすし) 宮元博章(みやもとひろあき) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『国家のエゴ』佐藤優(まさる) 姜尚中(かんさんじゅん) 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『子どものための哲学対話』永井均(ひとし) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『これが「教養」だ』清水真木(まき)