憲法の改正と、思考の停止と、(動物の)さる―さる化と、日本の国

 憲法の改正のための会を、毎週ひらく。国の議会において、改憲のための会を毎週ひらくのは、さるがやることだ。野党の立憲民主党の政治家がそう言ったという。

 改憲をおしすすめるために、会が毎週においてひらかれているが、それを動物のさるに例えるのは、ふさわしい言い方だったのだろうか。憲法のことをまともに考えていないのを、さるになぞらえるのは、よい言い方だったのだろうか。

 二つのことを問題化できそうだ。一つは、改憲がおし進められている点だ。それをおし進めるために、改憲のための会が毎週において議会で開かれている。改憲への加速度の動きになっている。加速度は、帝国主義の動きだ。直線のものだ。

 もう一つ問題化できるのは、改憲への加速度の動きを、動物のさるに例えた点だ。さるに例えるのは、はたしてふさわしい言い方だったのかがある。

 思考が停止してしまっている。思考が止まったままで、やみくもに改憲がおし進められている。そのことを、野党の政治家は、動物のさるを持ち出して批判した。そう見なせそうだ。

 ふ分けをしてみると、改憲を加速度で進めることのよし悪しと、動物のさるに例えて言ったことのよし悪しとがある。

 ばあい分けをしてみると、まず、改憲はよいし、さると言ったことも良いととらえるのがある。ほかには、改憲は良いが、さると言ったことは悪いのがある。

 ほかにあげられるのは、こうしたものがある。改憲は悪いが、さると言ったことは良い。改憲は悪いが、さるといったことも悪い。

 さるの言い方のよし悪しとしては、さる化しているのをあげられる。日本の国が悪くなっていっているのを、さる化しているととらえられる。そうした言い方が言われていた。

 憲法のことだけではなくて、日本の国が、さる化していっている。悪くなっていっているのだ。

 国がさる化していることでは、頭が悪くなっている。個人と集団をみてみると、集団はばかになりやすい。集団の心理がはたらいてしまう。いま戦争をやっているロシアなんかにそれが良く見てとれる。ロシアは集団としてばかになっていて、集団の思考(groupthink)におちいっている。集団として、危険性への移行(risky shift)がおきているのだ。

 言葉の質と量があるけど、それらが足りていないと、さる化してしまう。いまの日本は、言葉が足りなくなっているから、日本はさる化している。さる化していて、へんなことになっていて、へんなことが色々に言われてしまっている。へんな言説がはびこっている。

 ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のツイッターのつぶやきなんかだと、言葉が足りなくなりがちだ。さる化しやすい。ウェブでさる化がおきると、それがまん延してしまい、ほかの色々なものもそれに巻きこまれてさる化してしまう。ウェブではない、新聞や雑誌やテレビなどまでが、さる化してしまい、質が下がってしまう。娯楽にかたよりすぎていて、パンとサーカスのようになっていて、それでさる化がおきてしまっていそうだ。

 もっとちがう、好意でとらえるとらえ方もあるけど、日本の国のいまの状況としては、さる化しているところが一つにはあるかもしれない。言葉が足りていないことがわざわいしている。それが足りないこととしては、一つには、報道で、政権への批判が足りていない。それが足りていないので、報道がさる化している。それで、与党の自由民主党の一強が保たれている。

 報道のさる化は、記者に思考が欠けているものだ。日本では、記者に思考が欠けている報道が多い。(記者が個人として)自分はこう考える、とする報道がほとんどないから、さる化した報道になっている。いま戦争をやっているロシアでも同じ報道のあり方になっているはずだ。日本よりもロシアのほうが、報道のさる化がよりひどいだろうけど。

 参照文献 『言葉が足りないとサルになる 現代ニッポンと言語力』岡田憲治(けんじ) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『そして、みんなバカになった』橋本治(おさむ) 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『日本語の二十一世紀のために』丸谷才一 山崎正和 『情報政治学講義』高瀬淳一 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』半藤一利(はんどうかずとし) 保阪正康(ほさかまさやす)