世界の法の決まりをきちんと守る国と、やぶる国―法の決まりを守る国であるかのような日本のふるまい方への引っかかり(違和感)

 平和な世界にして行く。平和なためには、世界における法の決まりをしっかりと守って行く。国際の法の決まりを守ることがいるのだと、岸田首相はいう。

 日本の外である世界について、国際の法の決まりにもとづくことがいるのだと岸田文雄首相はいうが、それについて、日本の外と内(国内)との二つを見てみるとどうなのだろうか。

 自由民主党の岸田首相が言っていることは、日本の外と内とで、整合しないのがある。不整合や非整合なことを言っているのが岸田首相だ。矛盾している。

 日本の外の世界においては、国際の法の決まりを守らない国があって、いま戦争をやっているロシアなどがある。ロシアは無法のことを世界においてやっていて、国際の法の決まりをやぶっている。

 ロシアにくわえて、中国なんかも、国際の法の決まりを軽んじているところがあるだろうから、よくないあり方だ。文化の力(soft power)である法の決まりをしっかりと重んじて行かないとならない。

 日本の国の内に目を向けてみると、政党では自民党は、文化の力を軽んじている。自民党は、法の決まりを軽んじているのがあり、日本の国の外でいえばロシアや中国などに当たるのが自民党だ。

 国の外と内とで整合しないあり方になっているのが自民党だ。不整合になっていることのあらわれとして、自民党は日本の国のなかで、政治の不祥事をすごく多くおこしていて、いろいろな不祥事をかかえている。

 なんで自民党はいろいろな不祥事を引きおこしてかかえこんでいるのかといえば、法の決まりを軽んじているからだ。自分たちを特権化しているのが自民党であり、そこから自民党が悪いことをしても甘く許されるあり方になっている。

 日本の国の外に向けてであるよりも、日本の国の内に向けてこそ、法の決まりをしっかりと守って行くことを言わなければならない。なぜ、国の外であるよりも国の内に向けて法を重んじるのを言わないとならないのかといえば、日本はしっかりとした法治の国であるとはいえないからだ。日本は法にもとづいた社会であるとはいえそうにない。

 国の外においては、あたかも日本が国として国際の法の決まりを重んじていて、文化の力を大切にする国であるかのようにふるまっているけど、じっさいにはそれはちがっている。じっさいのありようは、文化の力を重んじる国なのが日本なのではなくて、その逆に軽んじているのが日本のありようだろう。

 世界を大きく二つのあり方に分けられるとすると、日本は文化の力を重んじるほう(側)に位置づけられるのだとはいえそうにない。その反対に、文化の力を軽んじるほうに位置づけられるのが日本だ。ロシアや中国なんかと同じほうに位置づけられる。

 整合しないことを言っていて、二重の基準(double standard)になっているのが、岸田首相が世界に向けて言っていることだ。外と内とをつき合わせてみると、矛盾がある。世界に向けてであるよりも、日本の内に向けてこそ、法の決まりをしっかりと守るような政治を日本はやって行くようにしなければならないのを言える。

 自民党が政治においてたくさんの不祥事をおこしてそれらを抱えこんでいることに、日本が法を軽んじていることがあらわれ出ている。そんなありさまで、世界に向けて、法を重んじるべきだと日本が言っても、説得力がない。日本は、まず何よりも国内の政治がおかしくなっているのを何とかするべきであり、それが先決の問題として要求されることだ。

 参照文献 『キヨミズ准教授の法学入門』木村草太(そうた) 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方』山岸俊男