政治と宗教と、結合と分離―遠近法(perspective)と、遠(分離)と近(結合)の逆転

 政党と新宗教とが関係し合う。交通し合う。そこに働いている力学とはいったいどのようなものだろうか。

 政党と、韓国の新宗教(旧統一教会)とが関係し合い、交通し合ったのは、そこに引力がはたらいたことを示す。

 引力とは反対のものである斥力(せきりょく)がはたらいたのは、反対勢力(opposition)にたいしてだ。

 交通の点では、関係し合うことつまり引力だけではなくて、関係し合わないことつまり斥力もはたらいていた。引力だけではなくて、斥力もまた見落とさないようにしたい。斥力もまた交通のうちの一つである。

 どうして、自由民主党と韓国の新宗教とのあいだに引力が働いたのか。引力が働き、関係し合ったわけとしては、お互いに持っている枠組み(framework)が合っていたからだ。

 お互いに持っている枠組みがちがっていたら、引力ではなくて斥力がはたらく。斥力の交通のあり方になる。

 どのような交通のあり方がのぞましいのかでは、引力(近)と斥力(遠)を、逆に転じるようにする。

 引力が働き合っていたのが、自民党と韓国の新宗教とのあいだがらだ。引力つまり近いものどうしが結びつき合っていたのだ。

 斥力が働いていたのが、反対勢力にたいしてだ。反対勢力に当たるものとしては、議会の中では野党がいる。議会の外では、報道機関や反安倍(安倍晋三元首相を批判する人たち)がいた。

 いままで引力が働き合っていて、近いものどうしだったのを、これからは関係し合わないようにして行く。それができるのかといえば、そこには疑問符がつく。いままで引力が働いていて、やり取りをし合っていたのを、いきなりすっぱりと清算するのはむずかしいものだろう。お互いに枠組みが合ってしまっているから、大きな間合いをとりづらい。

 政と宗においては、それらが関係し合っていた点だけではなくて、関係し合わなかった点も見てみたい。関係し合わなかった点とは、斥力が働いていたところであり、斥力は距離の遠さを示す。

 距離が近いのが引力で、距離が遠いのが斥力だけど、近いのと遠いのを逆に転じさせることで、客むかえ(hospitality)がなりたつ。よき歓待(かんたい)である。

 何が悪かったのかといえば、政と宗が関係し合っていたことだけではなくて、そのほかに、(あるものどうしが)関係し合わなかった点にもまた悪さがある。

 おたがいに近いものどうしで関係し合い、遠いものは遠ざける。そこに悪さがあるのがあり、近さと遠さを逆に転じさせることがいる。客むかえをして行く。

 自民党の何が悪かったのかといえば、韓国の新宗教と関係し合い、交通していたことだけにあるのではない。それも悪いことではあるが、それだけではなくて、斥力、つまり遠いものを遠ざけっぱなしだったのが悪かった。斥力をどんどん働かせていたのがよくなかった。

 交通で、どういうふうに改めて、何をやらないとならないのかがある。交通では、遠いものとのあいだに交通がなかったのを改めないとならない。遠いものを近づけて、斥力を引力に変える。それで客むかえをして、反対勢力をむかえ入れるようにして行く。自民党には、交通で、それをやることが求められる。

 参照文献 「排除と差別 正義の倫理に向けて」(「部落解放」No.四三五 一九九八年三月)今村仁司 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき)