日本の家族と、性のあり方―性の少数者(LGBT)が、日本の家族をこわしているのか

 日本の家族がこわれている。性の少数者である、LGBT の人たちが、日本の家族をこわすもとだと言われている。

 性の少数者である LGBT が、日本の家族をこわしているのだろうか。性の少数者を排除すれば、日本の家族は立て直されて、うまく行くようになるのだろうか。

 かりに、日本の家族がいま危機におちいっているとして、そのさいに、悪玉化されてしまうのが性の少数者だ。性の少数者や女性は、可傷性(vulnerability)やぜい弱性をもつ。贖罪(しょくざい)のやぎ(scapegoat)にされやすい。

 古くからある日本の伝統だとされるものは、じつは新しく作られたものであることが多い。日本の家族もそうだろう。日本の家族は、近代の核家族のあり方が、標準の型にされている。

 あたかも、客観に良いものであるかのような含意を込めないで、日本の家族を見てみたい。含意を込めないで、中立に家族についてを見てみると、父権制のあり方がとられていて、それがわざわいしている。

 家族には、人為や人工の構築性があるから、可変性がある。変えることができるものであり、本質や自然によるものではない。本質化や自然化するのではないようにしたい。

 いまは生のあり方が多様化している。性のあり方も多様になっている。男性を主とする標準の家族の型のあり方は、通じなくなってきている。標準の型がこわれていて、無理がおきている。

 父権制の家族のあり方は、日本ではそれなりに(戦前から)長くつづいているものだけど、そうだからといって、それがよいものであることにはならない。慣習として、父権制の家族のあり方がとられてきているけど、それを反省することがいる。

 性においては、性の少数者や女性のもつ、基本の人権が重んじられることがいる。基本の人権が侵害されないような家族のあり方がとられるようにして行く。基本の人権が侵害されないような形に、家族の統治(governance)のあり方を見直して行きたい。

 悪い統治のあり方だと、基本の人権が侵害されてしまう。父権制だと、悪い統治のあり方になってしまい、性の少数者や女性のもつ基本の人権が侵害されやすい。よりよい統治のあり方になるように反省することがいる。

 そもそも、どういう統治のあり方がのぞましいのかの、価値観を見て行きたい。価値観としては、性が平等にあつかわれて、性の多様性がよしとされるような家族のあり方であるのがよい。

 男性が主で優で、女性が従で劣の、標準の家族の型がこれまでにとられてきたが、これはいまこわれるべくしてこわれていると言えそうだ。性が不平等にあつかわれていて、性の多様性がない。これまでの型の枠組み(paradigm)を転換するときが来ている。慣習をこれから先もずっと保ちつづけて行くのであるよりも、価値観の転換や反省が迫られているのが、いまの日本だと見なせる。

 参照文献 『フェミニズム 思考のフロンティア』竹村和子 『クイア・スタディーズ 思考のフロンティア』河口和也 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『家族はなぜうまくいかないのか 論理的思考で考える』中島隆信 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『社会を結びなおす 教育・仕事・家族の連携へ(岩波ブックレット)』本田由紀父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』橋本治(おさむ) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『悩める日本人 「人生案内」に見る現代社会の姿』山田昌弘