ロシアとウクライナの戦争と、国のほろび―国の消長の波動

 ロシアとウクライナのあいだで戦争がおきている。

 戦争がおきている中で、国がだめになることがおきるのを見てみたい。

 戦争に負けて、国がだめになり、国が終わる。そうなることについてをどのように見なせるだろうか。

 日本は太平洋戦争でアメリカなどに負けて、日本の国はだめになり、国が終わった。そう言えるのがある。

 日本の国は、何とかして国体(nationhood)だけは守ろうとした。日本の国民はどうなってもよいが、国体だけは守りたかった。天皇制による国体だけは守らないとならないのだとしていた。

 戦後においては、ソヴィエト連邦は国のあり方が作られてから七十四年ほど経ってから、国がだめになって崩れることになった。国のあり方ができて七十四年目に、国がなくなることになった。

 すえながくずっと国がありつづけるのだとは言い切れそうにない。どこかの時点で国がなくなることになる。一つだけではなくて、いろいろな崩壊が国の中でおきる。複合の崩壊がおきることによって、国がだめになって行く。

 作家の半藤一利(かずとし)氏は、国における四〇年の周期の説を言っていた。栄えるときが四〇年あり、ほろびに向かうときが四〇年ほどつづく。合計で八〇年くらいすると国がだめになる。

 戦後の日本でいえば、経済においては、経済の成長ができていたのが敗戦のすぐあとの時点から四〇年ほどのあいだだ。経済の成長ができていた四〇年のあいだは、利益の分配の政治ができていた。

 敗戦のすぐあとの時点から四〇年のあいだは、経済の成長ができていて、利益の分配の政治ができていたけど、そのごはそれができなくなった。それでいまにいたる。いまは不利益の分配の政治をやらざるをえなくなっている。

 日本はいまはじかには戦争をやっているのではないけど、国のほろびに向かって進んでいっているのはあるかもしれない。四〇年の周期でいえば、ほろびに向かう四〇年のさいちゅうにある。国が栄える四〇年のときは、すでにおわってしまっていて、いまは下り坂を下に向かっておりつづけている。下り坂のとちゅうには、ごまかしのもよおしである二〇二一年の東京五輪が開かれた。

 ちゃくちゃくと崩壊が進んでいっているのが、いまの日本の国であり、崩壊の兆候がいろいろなところに目につく。きびし目に見ればそう言えるのがある。どんどんよくなっていってどんどん栄えて行くような四〇年のときはすでにずいぶん前に終わってしまっていて、いまは下に落ちて行く四〇年のときのまっさいちゅうである。下に落ちていっているさいちゅうだとしてみると、いまの日本の国に見うけられるさまざまな負のことがらへのつじつまが合う。がってんが行く。がってんできる。

 天使主義によるのであれば、ずっと上に上がりつづけられるかもしれないけど、天使と悪魔の中間のものなのが人間だ。天使ではなくて人間であるからには、落ちて行くのを避けられない。あらゆるものは、いつかは下に向かって落ちて行く。

 日本に加えて、ほかの国ではアメリカなんかも下に落ちていっている。アメリカはかつてよりも国の力が落ちていて、下に落ちていっているのがわかる。アメリカは国の中の分裂や分断がけっこう大きくなっていそうであり、国の中が断裂していると言える。

 戦争をしたことがきっかけとなって、ロシアはほろぶことになるか、またはほろびに向かって進んで行くかもしれない。どうなるのかはよくわからないけど、日本なんかは、いまは戦争をやっていないけど、戦争をやっていないのだとしても国がほろびに向かっている。戦争をやらずして国がほろぶ。きびしく見ればそう言えるところがないではない。

 日本では、天使主義のようにして、日本の国はすごいといったことがいぜんから言われているけど、天使であるよりも悪魔に近づいていっている。天使と悪魔をとりちがえている。天使と悪魔の見分けがつかなくなっている。天使のふりをした悪魔がいて、どちらがどちらなのかがわかりづらい。天使にも悪魔にもなれるのが人間であり、そのどちらかだけによることができない非純粋性や二面性がある。

 参照文献 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』半藤一利 保阪正康 『よく解る ニッポン崩壊地図入門 壊れてゆくニッポン the abc of problems of Japan today』高田明典(あきのり) 『国体論 菊と星条旗白井聡(さとし) 『天使とは何か キューピッド、キリスト、悪魔』岡田温司(あつし) 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一