ロシアは、ウクライナに攻め入るのだろうか―緊張が高まっている

 ロシアとウクライナが対立している。ウクライナの国境のまわりに、ロシアは軍を配備している。

 ウクライナの首都のキエフにあるさまざまな国の大使館から、大使館の関係者を国の外に避難させることが行なわれている。ウクライナにロシアが攻め入るおそれがあるためだ。

 ウクライナにロシアは軍を攻め入らせるのだろうか。もしもじっさいに攻め入ることがおきれば、社会学でいわれる予言の自己成就となる。攻め入ることがおきなければ、予言の自己崩壊になる。

 かりに、ロシアの軍がウクライナに攻め入るだろうとする予言があるとして、それが成就されれば、それが実証されたことになる。攻め入ることがなければ、予言が崩壊したことになり、反証されたことになる。

 反対から見てみると、ロシアの軍がウクライナに攻め入らないとする予言があるとして、それが成就されれば、それが実証されたことをしめす。攻め入ることがおきれば、予言が崩壊したことになり、反証されたことをあらわす。

 攻め入るのか、それとも攻め入らないのかでは、どちらの予言もとることがなりたつ。かりに、ロシアの国の言いぶんとしては、ロシアの軍をウクライナに攻め入らせるつもりはないのだと言っていたとしても、それを IMV 分析によってとらえることがなりたつ。

 IMV 分析で見てみると、攻め入るつもりはないとロシアが言っているのは、発言(message)だ。その発言は、ロシアの国の意図(intention)をそのままあらわしているとは限らない。ほんとうは攻め入るつもりなのであれば、意図とはちがうことを発言していることになる。ロシアの発言をそのまま丸ごとうのみにはできないことになり、発言では言われていないロシアの意図を見てとることがいる。そうした見解(view)を持てる。

 かりに、攻め入るのだとする予言をとるのだとすると、その予言が、自己暗示としてはたらいたり、自他のあいだの相互作用としてはたらいたり、集合行動としてはたらいたりする。

 何かを行なう、と言ったとすれば、それは事実の確認(constative)であるよりは、執行(performative)に当たる。何かを行なうと言うのは執行に当たり、それがじっさいに行なわれれば、事実の確認になる。

 いまはまだじっさいに攻め入っていないから、執行に当たる。その執行がもしも当たれば、それは事実の確認になる。執行で言われていたことが当たらずにうら切られれば、たんに執行として言っていただけに終わり、何かを行なうと言っていてもそれをやらなかったことをしめす。

 ロシアは攻め入るとは言っていないから、執行としては攻め入るとは言っていないわけだけど、ロシアではないいろいろな国においては、ロシアがウクライナに攻め入るのだと言われている。そういった形では執行が言われているのだと見なせる。

 執行が言われることによって、そこに予言における自己暗示や相互作用や集合行動がおきることがある。何かを行なうとする執行が言われることで、自己暗示や相互作用や集合行動がおきると、その執行がじっさいにおきることがある。

 執行が言われると、それが予言になり、そこに期待のようなものがおきて、それがおきることがうながされる。拍車がかかる。予言が成就することもあれば崩壊することもあり、どちらに転ぶのかは定かとは言えそうにはない。

 予言が成就するのかそれとも崩壊するのかは、どちらも可能性としてはありえることであり、必然性として成就するか崩壊するかはまだ定まっていない。学校の受験で言えば、まだ受験の合否の結果が発表されていない時点だ。受験でいえば、合格か不合格かは、どちらであるのかが安定していなくて、不安定だ。必然性ではなくて可能性の段階だから、合格することもありえて、不合格なこともまたありえるだろう。

 参照文献 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕(にしなりかつひろ) 『論理的に考えること』山下正男 『反証主義』小河原(こがわら)誠