アベノマスクはどうして大量にあまってしまったのか―活用と無駄

 アベノマスクが大量にあまっている。あまり品質がよくなくて小さめの布マスクであるアベノマスクが、八千万枚ほどあまっていて、倉庫に保管されつづけている。保管するのにお金がかかっている。

 これから必要になるときが来るかもしれないから、アベノマスクを保管しつづけることには意味がある。テレビ番組の出演者の中には、アベノマスクをかばう人もいる。

 大量に保管されているアベノマスクについてをどのように見なせるだろうか。それについてを見るさいに、お店で言えば、むだな在庫を多く抱えこんでしまっていると言えるのがある。在庫は少なければ少ないほどよいものだとされ、無いのにこしたことはない。在庫を持っていると、ものによってはしだいにいたんで劣化していってしまう。ものをつくる点でいえば、つくった人の責任が問われることになる。製造物にたいする製造者の責任だ。

 無駄学からすると、大量にあまっているアベノマスクがむだかどうかは、目的と期間と立ち場の点によって見てみられる。この三つの点から見てみたとしても、アベノマスクが活用されることになるとは言いがたく、むだであると言える見こみが高い。活用されるめどが立っていなくて、むだであるからこそ、倉庫に大量に保管されることになっている。

 むだなものを作ってしまったのであれば、製造者の責任が問われる。このさいの製造者は、そのときの政権だった与党である自由民主党安倍晋三元首相である。安倍元首相が決めたことなのだから、製造者に当たることになり、その責任が問われる。説明責任(accountability)を負う。どういった手つづきをふんでつくることを決めたのかの意思決定(decision-making)の過程を明らかにすることがいる。

 どうしてむだなものを作ってしまったのかをふり返って見てみたい。大量にあまらせてしまうようなアベノマスクを作ってしまったのは結果であり、その結果について、体系(system)として要因を分析して行く。いろいろな要因があげられるはずだ。

 こういうものを求めているといった下からの人々の声があって、その声を受けとめる形で、政治においてものごとをやって行く。日本の政治はそうなっていないところが大きく、上が一方的に決めて下に押しつけるのがある。そのあり方がとられて作られることになったものがアベノマスクだろう。

 ものをつくるさいには、それがよいものであることが前提条件としてはいる。よくないものであれば goods ではなくて bad になってしまう。アベノマスクは品質があまりよくない布マスクであり、小さめだから、goods ではなくて bad だと言える。

 ものを作ってそれを売るのは難しさがある。ものを買うよりもものを売るほうがむずかしいのがあり、そこには不確実性がともなう。購買よりも販売のほうが困難さがある。確実につくったものが売れてはけて行くとはなりづらい。はけが悪いことがしばしばある。

 アベノマスクは売るためのものではないものだが、ものを作って売ることになぞらえれば、作ってはみたものの売れなかった。はけが悪かった。ものを作って売ることでいえば、売ることのむずかしさをくみ入れていなかったのだ。甘さがあった。日本の政治にはきびしさが足りず、甘い方向にどんどん進んでいっていることがあらわれ出ている。

 参照文献 『無駄学』西成活裕(にしなりかつひろ) 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし)