日本維新の会はどのような政党なのか―家と、父と子

 政党の日本維新の会についてをどのように見なせるだろうか。維新の会は、さきに行なわれた国の衆議院の選挙でそれなりの結果を出したが、維新の会の政治家たちは、みんな橋下徹氏に似ている。橋下氏と類似性がある。

 橋下氏は維新の会を立ち上げて、自分で政党を作った創設者だが、その創設者に似たところがあるのが、維新の会の政治家たちだろう。いわば、小さい橋下氏による集合が維新の会である。

 橋下氏が父親だとすると、維新の会の政治家たちは子どもたちだ。父親の背中を見て、子どもたちはそれを見習う。子どもたちは、みんな父親に似ていて、父親のようなところをもつ。英語のことわざでは、Like father,like son.(この父にしてこの子あり)と言われる。

 集団の中に多様性がないので、多元主義(pluralism)によっているのではないのが維新の会だろう。集団のなかが一元性によっている。集団の中で、橋下氏と対立するような政治家がいて、橋下氏と争い合いをしているのだとしても、それは多様性があるからだとは言い切れず、いわば反抗期の子どものようなものかもしれない。子どもが父親にたてつく。

 父親と子どもはそれぞれに似たところがあるので、たとえ父親と子どもが対立していても、いわば、橋下氏と(小さい)橋下氏がたがいに争い合っているように見える。橋下氏どうしが争い合っているかのようだ。

 自分で政党を新しく立ち上げて、政党の創設者となったのが橋下氏であり、すぐれた能力を持っているのはたしかだろう。テレビの世界などで活躍している。どこからどう見てもだめな人物なのであれば、その下にいる人たちが橋下氏をまねようとはしない。下の人たちがまねようとしてしまうくらいだから、影響力をそれなり以上にもっている。

 ぶっそうな話になってしまうが、父殺しをしたり父親を超えたりすることは、維新の会の政治家たちにはのぞみづらい。維新の会の政治家たちは、みんな父親を超えられそうにはない。なんらかの形で父親をまねてしまっていて、模倣している。父親の影響力の強さがあり、そこから逃れづらい。橋下氏はすぐれた能力をもった人物ではあるにせよ、橋下氏の限界が維新の会の限界だと言えそうだ。

 参照文献 『父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』橋本治(おさむ) 『まっとう勝負!』橋下徹