分配の温かさと、効率性の冷たさ―公平さか効率性か

 分配をして行く。英語の単語ではそれをどのように言うのだろうか。分配を意味する英語の単語としては distribution の語があるという。この語を分解してみると、dis は分けるで tribute は与えるを意味して、分けて与えるで分配をあらわす。

 正義と関わるところがあるのが分配だと言えそうだ。その人にふさわしいだけのものをその人に与えよ。等しいものには等しく、等しくないものには等しくなくせよ。類似性と差異性だ。形式の正義ではそうしたことが言われている。

 共産主義では、一段ほど下のものとしては、その人のなした働きに応じてその人に与えて行く。もう一段ほど上のものでは、その人の必要に応じてその人に与えて行く。あくまでも理想論としてはそう言われている。

 その人にふさわしいだけのものをその人に与えたり、等しいものには等しくして等しくないものには等しくなくしたりするべきだとするのが形式の正義だが、これは現実としてはあまり意味をなさない。具体としてどういうものが与えられるべきなのかがはっきりと定まっていないのである。

 形式とはちがい、実質の正義となるとやっかいだ。そこにはむずかしさがつきまとう。どのようなものが配分の正義としてふさわしいのかは意見が分かれることになる。市場原理による等価の原理は配分の正義の一つをなす。

 分配をなすさいには、温かさと冷たさがある。温かさと冷たさのどちらをよしとするのかがある。温かさは公平さで、冷たさは効率性だ。

 できるだけ公平な分配がなされるべきだとするのは人間による温かみがある。そのいっぽうで市場原理による効率性が高い分配をよしとするのは冷たさがあり乾いている。

 公平な分配をよしとするのは、人間による温かみがあるから、よいもののように耳に響くのはあるが、非効率になってしまうおそれがある。効率性を高めて行くことも見逃せないから、その点とのかね合いをどうするのかを探らないとならない。

 温かさと冷たさのあいだのつり合いをとって行く。たんに人間による温かさのある公平な分配を言うだけでは、必ずしも十分ではないかもしれない。それを言うだけでは必ずしも十分ではないかもしれないのは、温かみのある公平な分配はあくまでも理想論にとどまるおそれが小さくないからだ。

 理想論といえるような人間の温かみがある公平な分配ができるのに越したことはないが、現実論としては冷たさによる市場原理によらざるをえないところがあり、そこの効率性を高めて行くこともいる。いかに効率よくものごとを進めて行くかもいることだから、効率よくやって行くことの順機能(function)と逆機能(dysfunction)がともにある。

 市場原理による効率さの順機能と逆機能があり、プラスとマイナスがある。マイナスを埋め合わせるために、公平な分配をなしていって修正して行く。効率さによる利便性はプラスに当たるものだが、マイナスのところが大きくなっていて、階層(class)の格差がおきているのは無視できない。階層の格差が固定化してしまっているのをどのように解決して行くことができるのかが大切になってくる。

 効率さによるプラスをとりつつ、そのマイナスを修正して行くことになるから、そう簡単なものではなくて、難しい作業にならざるをえないだろう。市場原理による効率さの利便性のプラスを多かれ少なかれ得てしまっていて、そのプラスを得ながら、マイナスとなるところを改めて行く。プラスを手放すわけには行かず、ある点においては市場原理がもたらす効率さによる利便性のプラスのところに毒されてしまっていると言える。その毒を抜くことは並たいていなことではできないことかもしれない。

 参照文献 『効率と公平を問う』小塩隆士(おしおたかし) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『よくわかる法哲学・法思想 やわらかアカデミズム・〈わかる〉シリーズ』ミネルヴァ書房