与党とつながりのあるツイッターの法人のアカウントと、うその情報(fake news)

 ツイッターの法人のアカウントが、野党の政治家をしつように悪く言う。野党を悪く言っていた法人のアカウントが、与党である自由民主党とつながりがあることがわかった。

 悪く言われていた野党の政治家が、法人のアカウントを訴えたことによって、その法人のアカウントの正体の一部があばかれることになった。自民党とつながりがあり、取り引きをしていたことがわかったのである。

 ツイッターにおいてしつように野党を悪く言っていた法人のアカウントについてをどのように見なすことができるだろうか。そのことについてを、うその情報(fake news)や事実と価値や危機管理や社会関係(public relations)によって見てみられる。

 短い情報がやり取りされるのがツイッターなので、うその情報がはびこりやすい。玉石が混交している。すべてのツイートがうそだとは言えないが、うその情報を生み出しやすいのがある。

 情報の生態系(information ecosystem)で見てみられるとすると、情報の客観性が欠けることがおきがちなのがツイッターだろう。主観性の強い情報が、あたかも客観性による情報であるかのようによそおわれる。情報の生産と消費において、主観と主観が呼応し合い、ゆがみが入りこんだ物語が形づくられることになる。

 哲学の新カント学派の方法二元論によると、事実か価値かの二つのちがいがある。この二つがはっきりと分けられていれば、情報を受けとるさいにまちがいがおきづらい。この情報は事実で、この情報は価値(主観の意見)だといったことが分けられていれば親切だ。事実ではなくて価値なのであれば、価値であることをことわっておく。ことわってあれば誤解を生みづらい。

 ツイッターでは、あたかも事実であるかのように見せかける価値がツイートされることが少なくない。いっけんすると事実であるかのようだが、じっさいには価値にすぎず、主観の情報なのである。事実と価値とのあいだの境い目がなくなり、境い目が溶けてしまい、それらが互いに混ざり合う。ごっちゃになってしまう。うそであることを本当のことであると錯覚してしまう。

 さんざん野党のことを悪く言っていたのが法人のアカウントなのだから、いざ法人のアカウントにきびしい目が向けられたのだとすれば、そこから逃げるのではなくて受けて立つべきだろう。きびしい目を向けられて逃げるのであれば、危機管理ができていないことになる。危機管理をしっかりとやるようにして、危機に対応することがいる。

 社会関係においては、法人のアカウントがどのような倫理観を持っているのかをしめす。自民党と深いつながりがあるからといって、自民党のことをよしとして、野党のことを悪く言うのだと、まともな倫理観を持っているとはいえそうにない。自民党をよいものだと基礎づけたりしたて上げたりできないのとともに、野党のことを悪いものだと基礎づけたりしたて上げたりすることもできない。

 きびしい目を向けられたのだとすれば、そこでどういった倫理観を持っているのかを示して、たがいにやり取りをし合うのがのぞましい。倫理観をしめさず、たがいにやり取りをしないようでは、打たれ弱いのだと言わざるをえない。これまでにツイッターにおいてさんざん野党のことを悪く言っていたのはいったい何だったのかといったことになる。一方的に野党のことを悪く言いつづけていて、いざきびしい目を向けられたらそのとたんにツイートするのを止めてしまうようでは、行動に一貫性があるとは言えないし、社会関係の点でまずいところがある。

 参照文献 『フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論プロパガンダのしくみ』笹原和俊 『入門 パブリック・リレーションズ』井之上喬(たかし) 『危機を避けられない時代のクライシス・マネジメント』アイアン・ミトロフ 上野正安 大貫功雄(おおぬきいさお)訳 『現代思想を読む事典』今村仁司