政治家がツイッターでたくさんの利用者をブロックしてもよいのか

 政治家がツイッターでたくさんの利用者をブロックする。与党である自由民主党で総裁選に出馬する政治家は、自分を批判してくる(してきかねない)ツイッターの利用者をたくさんブロックしていて、それにたいして批判の声が一部からおきている。

 たしかに、ツイッターを使っていてほかの利用者からブロックされるのは、ブロックされた人にとってみれば気持ちがよいものではないだろう。いくらツイッターにブロックの機能がついていて、その機能が使えるからといって、政治家に批判をする(しかねない)たくさんの利用者をブロックすることは、たくさんの利用者に気持ちがよくない思いをさせているとも言えるだろう。

 なにかの行動をおこすさいには、そこに意図や動機があるものだ。なんの意図も動機もなく行動をおこすのであれば、そこには合理性がない。合理性がない行動としては、心の底の欲動(libido)につき動かされてといったことがある。欲動は善悪の彼岸にある。欲動につき動かされているのではないとすると、いちいちほかの利用者をブロックするのは、そこに意図や動機がある。その意図や動機は、政治家であるのであれば、きびしく見れば政治における正当性がいるものだろう。

 気持ちのことについての順序を逆から見てみると、ツイッターを利用していて自分が気持ちのよくない思いをさせられるからほかの利用者をブロックをすることになる。人情としてはそれはわからないことではない。自分が気持のよくない思いをしないために、あらかじめ予防としてブロックしておく。気持ちがよくない思いをさせられそうな利用者をブロックしておくのは、ことわざでいう備えあればうれいなしといったものだ。

 いくらブロックの機能があるからといって、国の首相にもなるくらいの政治家が、ツイッターでほかのたくさんの利用者をブロックすることはあってもよいのだろうか。そのことについてを交通と社会関係(public relations)と最適化から見てみたい。

 交通の点からすると、政治家がツイッターでほかの利用者をブロックすることは、交通の行き来をさえぎる反交通にすることをあらわす。政治家は広くすべての国民を代表しなければならないのだから、すべての国民に広く開かれていることがいる。政治家の都合によって閉じたり開いたりといった交通のあり方だと、かたよりがおきる。

 ブロックの機能がツイッターにはついているから、その機能を使ってもかまわないとは言えるが、そもそもの話としては、ツイッターを利用しなければならないとは言い切れそうにない。ツイッターを利用することを前提条件にするのではなくて、それを利用しないこともできるだろう。ツイッターを利用しなければ、だれをブロックしてだれをブロックしないといった問題ははじめからおこらない。

 政治家がツイッターを利用するのは一つの最適化となるものだ。ツイッターを利用していてブロックの機能を使うこともまた最適化となるものだ。その政治家にとってみれば最適化になることではあるが、あくまでも部分の最適にとどまっている。理想といえる全体の最適にはなっていない。

 理想といえる全体の最適ではなくて部分の最適にとどまっている中で、政治家がたくさんの利用者をブロックすることにたいして批判の声がおきる。これは社会関係から見ることができるものだ。政治家にとっては国民はつながりが強いものだから、国民からの声をないがしろにしてよいとは言えそうにない。さまざまな国民に交通として開かれていることがいり、閉じたり開いたりといった差はできればないほうがのぞましい。

 国民に広く益になることをするべきなのが政治家なのだから、ツイッターを政治家が利用するからにはできるだけ国民のあつかいにかたよりがおきないようにすることがいるものだろう。国民のあつかいにかたよりがおきるくらいであれば、そもそもの話としてはじめからツイッターを利用しない手もある。

 必ずしも利用しなければならないものではないのがツイッターなのだから、利用するからには政治家の視点だけではなくてさまざまな国民の視点に立つことがいる。さまざまな国民の視点を切り捨ててしまうと、部分の最適化にはなるが、理想といえる全体の最適からは遠ざかって行く。政治家に利益になることと、広く国民の益になることとのあいだにずれがおきて行く。

 政治家がツイッターでたくさんブロックをすることは、政治家に利益になることと国民に広く益になることとのあいだにずれがあることをさし示すものだと言えそうだ。ブロックをする動機づけ(incentive)が政治家にはたらくのは、ツイッターにブロックの機能があることがもとになっているが、政治家は必ずしも広くまんべんなくさまざまな国民のほうにかたよりなく目を向けている(目を向けようとしている)のではないことをしめす。交通の行き来をさえぎりたい国民が中にはいることを示している。

 参照文献 『入門 パブリック・リレーションズ』井之上喬(たかし) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『現代思想を読む事典』今村仁司