五輪と猫とねずみ―社会の矛盾

 五輪は安全で安心なのだろうか。東京都で夏に五輪を行なうなかで、そこに危険性があるのであれば、そのことを動物の猫になぞらえられる。

 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染が広がっていることで、五輪は十分に安全で安心なものだとは言えそうにない。少なからぬ危険性がおきていて、動物でいうと猫になっている。

 ねずみの集団からすると危険なのが猫だ。その猫よりもより危険さを強調するためには、猛獣のトラといったほうがよいのがあるかもしれない。

 危険性があり、動物でいうと猫になっているのが五輪だとすると、その猫の首に、どのねずみが鈴をかけに行くのかがある。天皇陛下までもが、五輪をひらくことを心配する発言を間接にしていて、猫の首に鈴をかけに行くねずみの役をはたそうとしているところがあるかもしれない。

 いちおう五輪はおもて向きの建て前としては政治によるのではない運動の競技のもよおしである。天皇陛下が五輪をひらくことを心配する発言を間接にしたことは、甘く見れば、思いきり政治に関わる発言をしたとは言えないものかもしれない。甘く見れば、それなり以上の判断があってのことだろう。

 五輪は中止にはならないかもしれないから、そうなると、猫の首にねずみが鈴をかけに行くことができなかったことをあらわす。危険性が大きくなっていて、動物でいう猫になっているのが五輪だとすると、猫の首にねずみのうちの一匹(または何匹か)が鈴をかけに行くことがいるが、なかなかそれがなされづらい。猫は強くてねずみは弱いからだ。猫は力(might)をもつが、ねずみはそれを持たない。力と正しさ(right)はずれることがしばしばある。社会の矛盾(social dilemma)がおきていることになる。

 参照文献 『社会的ジレンマ 「環境破壊」から「いじめ」まで』山岸俊男 『爆笑問題のニッポンの教養四 人間は動物である。ただし… 社会心理学太田光(ひかり) 田中裕二(ゆうじ) 山岸俊男 『近代天皇論 「神聖」か、「象徴」か』片山杜秀(もりひで) 島薗(しまぞの)進