世論がまちがえることがあることと、お上による上からの情報の統制

 世論はまちがうことがある。経済学者はテレビ番組のなかでそう言っていた。

 世論のなかで東京都で夏に五輪をひらくことに反対の声がおきている。新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染がおきていて、これからそれが増えることがあれば、五輪をひらくことがますます難しくなる。五輪を中止にしたほうがよいとの声が一部から言われている。

 五輪を中止にしたほうがよいとの声が世論からおきているのだとしても、世論はまちがうことがあるから、世論で言われていることは無視してでも五輪をひらいたほうがよいのだろうか。世論はまちがっていることがあるからそれにまどわされないようにして政治のものごとを進めたほうがよいのだろうか。

 まちがいの点でいうと、世論がまちがうことがあるといったことであるよりも、政治がまちがうことがしばしばあるといえる。政治がまちがうことがしばしばあるのは、まちがいがおきてから政治がはじまるのだともいえる。

 人間には合理性の限界があるから、まちがいをおかすことを避けづらい。政治は人間がなすことだから、まちがいを避けることができない。事前にまちがうことをくみ入れるようにして、やり直し(redo)の機会をいろいろなところにもてるようにして行く。それが民主主義によるあり方だろう。抑制と均衡(checks and balances)がかかるようにして行く。

 民主主義によって情報が民主化されていれば、やり直しの機会を持ちやすい。日本の政治ではその機会がかなり少なくなってしまっている。やり直しの機会が少なくなっていて、上から情報が統制されている。情報の秘匿や情報の操作が行なわれている。そのうたがいが高い。

 情報の入力と出力でいうと、いまはウェブなどで嘘の情報(fake news)が広まりやすくなっているから、入力がかたよりやすい。出力もまたかたよることになる。お上が自分たちの意図した情報を流すことで、情報が統制されることになる。汚れた情報を受けとって入力することになる。

 報道機関は国家のイデオロギー装置なので、お上の意図をくみ入れてしまいやすい。お上にとって都合のよい情報を流しやすい。お上にとって都合の悪い情報を流すとけしからんとされてとがめられがちだ。国家のイデオロギー装置であるために、報道機関はお上にさからわずに従ったほうがやりやすい。

 民主主義においては情報が民主化されるようにしてできるだけさまざまな情報が自由に流されることがいる。日本ではそこが十分にできているとは言えそうにない。自由をよしとするよりは、お上がよしとする意図をくみ取ってしまいやすい。これは日本の天皇制から来ているところがある。

 日本の天皇制では、天皇への批判が禁忌になっている。中心となる禁忌にそれがあり、そこからさまざまな言ってはならないとされる禁忌がおきてきてしまう。お上がこれはいけないとすることがあれば、その意図をくみ取って、そのことを言わないようにする。ほんとうは言わなければならないことが言われなくなってしまう。

 そこに関心をもったり注意をはらったりしてはならないとされるのがあり、それは日本の天皇制から来ているところがある。言ってはならないとか触れてはならないといったことがおきてきてしまう。禁忌ができてしまうことから、報道機関がいろいろなことに自由に関心をもったり注意をはらったりする活動がさまたげられてしまう。

 天皇制からくるものであるいろいろな禁忌が日本の社会の中では強い。禁忌とされることに関心をもったり注意をはらったりすることについて、英語のことわざではこう言われているのがあるという。好奇心が猫を殺した(Curiosity killed the cat.)や死んだ人は秘密を漏らさない(Dead men tell no tales.)と言われるのがある。動物の猫はしぶといが、その猫でさえ好奇心を持ったために殺されることになったとの意味である。

 五輪の関係者が自殺をすることがおきたが、これは死んだ人は秘密を漏らさないのことわざに当てはまることだろう。政権にとって都合が悪いことを知ってしまうと、命をねらわれて、自分の命が危なくなる。日本の社会のなかで言ってはならないとか触れてはならないことを言ったり触れたりすると、自分の命が危ない。

 政治では殺人や暗殺がしばしばおきてきている。ぶっそうなところがあるのが政治だ。政治のなかでぜい弱性や可傷性(vulnerability)をもつのはお上に目をつけられている下の者だ。お上から目をつけられている下の者はいざとなったさいに排除されやすい。排除の暴力を受けるのは下の者にかぎらず上の者も受けることがあるが、いずれにせよぜい弱性や可傷性をもつ者が排除されることがおきる。

 まちがうことがあるのは世論だけにかぎらず政治でもしばしばあり、それをできるだけ防ぐための仕組みの一つなのが民主主義だろう。やり直しの機会をいろいろにもてるようにして行く。日本の政治ではやり直しの機会が少なくなっている。民主主義ではなくなっているところがある。情報の民主化ができていなくて、上から情報が統制されている。上からの情報の統制によって世論が操作されやすくなっている。

 これまでの歴史において日本は天皇制があることから国民の心脳が操作されやすい。戦前や戦時中においては天皇制によって国民の心脳が思いきり操作された。戦後においてもそれが行なわれつづけている。天皇制は情報の民主化のさまたげとなるものであり、足かせとなるものである天皇制が温存されつづけてしまっているために、国民の心脳が操作されやすいことが十分に改まっているとは言えそうにない。構造の問題としてそれがあると言えそうだ。

 参照文献 『情報政治学講義』高瀬淳一 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『情報汚染の時代』高田明典(あきのり) 『山本七平(しちへい)の思想 日本教天皇制の七〇年』東谷暁(ひがしたにさとし) 『フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論プロパガンダのしくみ』笹原和俊 『心脳コントロール社会』小森陽一現代社会用語集』入江公康(いりえきみやす) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『現代思想を読む事典』今村仁司