アメリカでの東洋系への差別の暴力と、中国とウイルスとの結びつけ

 アメリカの国内では、東洋系の人たちにたいして暴力がふるわれることがおきているという。

 アメリカ国内のおよそ三分の一の東洋系の人たちが、自分が差別による暴力をふるわれることを恐れている。そうした調査の結果が出ていた。

 東洋系の人たちに暴力がふるわれているのは、アメリカのドナルド・トランプ前大統領が言ったことが引き金の一つになっているという。

 トランプ前大統領は新型コロナウイルス(COVID-19)についてを中国から来たウイルスだとした。中国は東洋の中心となるような大国であり、アメリカとぶつかり合っている。そこから東洋系の人たちがウイルスをもたらしているといったことで、差別がおきているのである。

 中国のウイルスとか、中国の肺炎といったような呼び名で新型コロナウイルスのことを呼ぶ。中国にまつわるウイルスだと呼んでしまうことで、それがひいてはアメリカの国内にいる東洋系の人たちに差別の暴力がふるわれることをうながしてしまう。

 中国にまつわるウイルスなのが新型コロナウイルスだとしてしまうと、間接としてアメリカの国内にいる東洋系の人たちに害がおよぶ。他者に危害がおよぶことになる。加害と被害がおきるなかで、間接に加害の行ないをしてしまうと、それによって被害がおきてしまうことがあるから、それには気をつけたい。

 過去の歴史においては、ナチス・ドイツユダヤ人に差別の暴力をふるったのと同じように、たとえ東洋系だからといって差別の暴力がふるわれないようにしたい。ユダヤ人であるのは何々である(is)ことだが、そこから何々であるべき(ought)を導くのは自然主義の誤びゅうだ。それと同じように、東洋系であることから何々であるべきを導くべきではない。

 世界のさまざまな国においてウイルスの感染が広まっているのは危機がおきていることだ。危機がおきているさいには悪玉化がおきやすい。それが見られたのが歴史においてナチス・ドイツユダヤ人に差別の暴力をふるったことである。

 危機においておきやすいのが悪玉化であり、そのことがかいま見られるのがアメリカでおきている東洋系の人たちへの差別の暴力だ。アメリカの国内において東洋系の人たちは相対的にぜい弱性や可傷性(vulnerability)をもつ。ぜい弱性や可傷性をもつために、悪玉化(scapegoat)されやすい。そのことをうながしたのがトランプ前大統領がウイルスを中国から来たものだとしたことだろう。

 国の中においてどのような人たちがぜい弱性や可傷性をもっているのかがある。どのような人たちが悪玉化されやすいのかがある。少数者や弱者はいざとなったときに悪玉化されやすく、危機のさいに差別の暴力をふるわれやすい。それが見られるのがアメリカにおいて東洋系の人たちに差別の暴力がふるわれていることだ。

 歴史においてナチス・ドイツユダヤ人に差別の暴力をふるったことをふたたびくり返してしまわないようにしたい。そのためには何々であるから何々であるべきを導かないようにして行く。国において危機がおきているのだとしたら、そのなかで悪玉化されやすい少数者や弱者に差別の暴力がふるわれないようにして行く。

 いろいろな情報が流れる中で、その情報の生態系の中において、どのようなものが悪いものとして言われているのかに気をつけたい。たとえ悪いものと言われているものであったとしても、その客体がほんとうに悪いものなのかはわからないことがあるから、そのまま丸ごとうのみにはしないようにしたい。

 ナチス・ドイツにおいては、ユダヤ人を悪いものとして、悪い客体としたわけだが、それは国が危機におちいっている中において悪玉化されやすい者に差別の暴力をふるうことにつながった。そこから言えることは、国の中において悪玉化されやすい少数者や弱者をいかに救うことができるかだろう。

 ナチス・ドイツにおけるユダヤ人に当たるものはいったい何なのかを見て行くようにしたい。そのユダヤ人に当たるものとは、国の中においてぜい弱性や可傷性をもつものであり、悪玉化されやすいものだ。それゆえに、何々が悪いとされる客体があったのだとしても、それは悪玉化されやすいものであることを示しているおそれがあるので、ユダヤ人に差別の暴力をふるったようなことがふたたび行なわれるおそれがおきてくる。

 中国にまつわるウイルスなのだから、中国が悪いとか、東洋系の人たちが悪いとしてしまうと、何々であるから何々であるべきを導く自然主義の誤びゅうにおちいってしまう。そうはならないようにして、そもそも何が悪いのかや、悪いとはどういったことなのかを多少は見て行きたい。

 ウイルスのことはさしあたってわきに置いておけるとすると、悪いことや悪さといったものがあるとすると、それは空虚さや病といったことがあげられる。人々が病んでいたり国が病んでいたりする。そこに悪さがあるのだと見なせる。力(権力)をもった大人たちが悪くなっていて病んでいる。

 国が病んでいるのがあることから、客体としての国が悪いといったことが言えるだろう。それは中国にかぎらずアメリカにも日本にも当てはまることだ。客体としての国のもつ悪さや、国が病んでいることに目を向けることができるから、国の退廃(decadence)に目を向けるようにしてみたい。

 その地域の暴力を独占しているのが国だ。いわばやくざや暴力団に等しいところをもつ。歴史において国が個人のもつ基本の人権(fundamental human rights)の侵害をしたことは多い。そのことがあるから、ウイルスのことはさしあたってわきに置いておけるとすると、たとえ中国であろうともアメリカであろうとも日本であろうとも、いずれにしても国であるからには気をゆるすと個人のもつ人権を侵害しやすい。

 できるかぎり立憲主義(constitutionalism)によるようにして、国に個人の人権を侵害させないようにして、国の権力が暴走しないように歯止めをかけるようにして、抑制と均衡(checks and balances)をかけるようにして行かなければならない。個人が尊重されるようにして、ちがいをもっている個人に差別の暴力がふるわれないようにして行きたい。たとえ東洋系であったとしても、個人として尊重されることがいり、それぞれの個人そのものが目的としてあつかわれるようにしたい。

 参照文献 『天才児のための論理思考入門』三浦俊彦 『悪の力』姜尚中(かんさんじゅん) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論プロパガンダのしくみ』笹原和俊 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史』長尾龍一 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『日本国民のための愛国の教科書』将基面貴巳(しょうぎめんたかし) 『憲法主義 条文には書かれていない本質』南野森(しげる) 内山奈月 『「他者」の起源(the origin of others) ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』トニ・モリスン 荒このみ訳