東京五輪をひらくことと、人類がウイルスにうち勝つこと―政権によるおもて向きのねらいと裏のねらい

 新型コロナウイルス(COVID-19)に人類がうち勝つ。それができたことのあかしとして二〇二一年の夏の東京五輪をひらく。与党である自由民主党菅義偉首相による政権はそう言っている。

 菅首相による政権が言っているように、人類が新型コロナウイルスにうち勝つことのあかしとなることが東京五輪をひらくことに当たるのだろうか。そのことについてを、人類がウイルスにうち勝つことと、東京五輪をひらくこととの二つに分けて見てみたい。

 式のようにして見てみられるとすると、もしも人類がウイルスにうち勝ったのであれば、東京五輪をひらく、といったことになる。この逆(対偶)にあたるのはこういったものになる。もしも東京五輪がひらかれなければ、人類はウイルスにうち勝てなかった。

 式を立ててみたさいに、そこで言われていることのそれぞれの要素を相対化することがなりたつ。式で言われていることを絶対化するのではなくて相対化して見てみられるとすると、人類がウイルスにうち勝つことのあかしがとくに東京五輪であることはいらない。そのほかのことであってもよいはずだ。

 ウイルスにうち勝つとするのは言いすぎなところがあり、ウイルスの感染に適切に対応して行くとか、できるだけウイルスの感染を減らすようにして行く手だてをとって行くとかといったほうがおだやかだ。そうしてみると、ウイルスへの適した手だてと東京五輪をひらくこととはとくに相関するものではない。

 東京五輪を何のためにひらくのかでは、それを人類がウイルスにうち勝ったことを示すために行なうのだとは言い切れそうにない。東京五輪をどのようにひらくのかでは、海外からの観客を受け入れないことが決められた。現実としては国内の観客も受け入れないようにして無観客でやるのがよいとの声が言われている。

 観客を受け入れずにそうとうに制限したかたちで東京五輪をひらくのでは、人類がウイルスにうち勝ったことを示すことにはならないだろう。そうしてみると、東京五輪をいったい何のためにひらくのかは、ほかのちがうことが関わっていることが見てとれる。政権が支持を高めるためのもよおしとしているのがある。

 どのような動機づけ(incentive)によって政権が東京五輪をひらこうとしているのかを見てみられるとすると、人類がウイルスにうち勝ったことを示そうとしているのだとは言えそうにない。ほかの動機づけによって政権は動いているはずだ。国民にとってといったことであるよりは、政権にとって益になることがあることから、東京五輪をひらくことにやっきになっている。

 政治家は表象(representation)であり、国民そのもの(presentation)とぴったりと合っているのではない。国民とのあいだに少なからぬずれがおきるのが政治家だから、東京五輪をひらくことは広く国民のためといったことであるよりも、与党の自民党の政権にとって益になることから、それを何としてでもひらこうとしている。それがあらわになっているところがある。

 おもてに顕在化された形としては、東京五輪をひらくのは、人類がウイルスにうち勝ったあかしといったことが政権によって言われている。顕在化されておもて向きで言われているのは目くらましのようなものであり、ほんとうのねらいは裏の潜在化されたところにある。政権がもつ動機づけとしては、顔の見えない広い国民のために動くことはあまりない。顔の見える一部の特別利益団体だったり、政権の益になったりすることで動く。東京五輪のもよおしもまたその例外ではないだろう。

 参照文献 『正しく考えるために』岩崎武雄 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『ホンモノの思考力 口ぐせで鍛える論理の技術』樋口裕一 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり)