アメリカなどで東洋の出自の人たちが差別を受けることがおきているようだ―自然主義の誤びゅうには気をつけたい

 アメリカでは、東洋の出自の人たちにたいして憎悪表現(hate speech)や差別がおきているという。三月十六日にはアメリカのジョージア州で東洋の出自の女性をふくめて八名ほどが射殺される事件がおきたという。

 新型コロナウイルスの感染が広まる中で、そのウイルスを東洋の出自の人たちが世界中に広めているといった説が言われているという。そこから東洋の人たちへの憎悪表現や差別がおきている。この動きをどのように見ることができるだろうか。

 たんに東洋の出自だといったことで、そこから憎悪表現や差別を行なう。排除の暴力をふるう。そこに見てとれるのは自然主義の誤びゅうだ。東洋の出自なのは何々である(is)ことであり、そこから何々であるべきだ(ought)を導いてしまっているのだ。これは誤りであるとされる。

 ナチス・ドイツはただたんにその人がユダヤ人であることによって、ユダヤ人の人たちをせん滅していった。ユダヤ人であれば駄目だといったことで、何々であるから何々であるべきを導いたのである。自然主義の誤びゅうがおきていた。

 日本で関東大震災がおきたあとに、朝鮮の人たちが暴動を引きおこすといったことが言われた。これはデマだったわけだが、それを信じこんだ人たちが、朝鮮人の人たちに排除の暴力をふるった。排除の暴力がふるわれた人の中にはまちがって朝鮮の人だと見なされた日本人の人たちもいた。

 何々であるの事実から何々であるべきの価値を導いてしまわないようにする。自然主義の誤びゅうにおちいらないようにするために、事実と価値とを切り分けるようにする。そうすることによって、西洋の出自だからすぐれているとか、東洋の出自だから劣っているとかといったように、何々であるの事実から何々であるべきの価値を導いてしまわないようにすることが少しはできやすい。

 範ちゅうと価値をいっしょくたにしてしまわないようにして、それらを切り分けるようにする。たとえ西洋の出自であろうとも、東洋の出自であろうとも、それらの範ちゅうの中にはそれぞれにすぐれた人もいればそうではない人もいる。それぞれの範ちゅうの中にはよい人もいれば悪い人もいる。

 個人として見てみれば、それぞれにちがいがあるのとともに、それぞれがみな人間として同じでもある。ちがいをもちながら人間として同じでもあるから、それぞれの個人がみな等しく尊重されるようであればよい。

 個人のそれぞれのちがいの点では思いこみである観念が関わってくる。個人のそれぞれのちがいは観念によってつくり上げられているところがある。観念によってつくり上げられたちがいをとっ払ってしまえば、個人はみな人間として同じになる。観念によって個人のそれぞれを分節化することによって、あるものには正の価値づけがされるいっぽうで別のものには負の価値づけが行なわれてしまう。

 本質主義によって見ることで、観念による分節化が絶対のものとされてしまいかねない。西洋人や東洋人の区別が絶対化されてしまう。それを相対化することができるとすると、それぞれの個人は実存によることになる。実存主義では実存は本質に先だつのだと言われている。実存として個人を見てみられるとすると、それぞれがそれぞれにちがいをもった個人であり、たとえ同じくくりの中にあるのだとしてもみながたがいにちがいをもつ。本質に先だつ実存であることになる。

 なるべく本質を絶対化しないようにして、それぞれの個人がたがいにちがいを持ちながらも、大局の点から見てみればみなが人間としていっしょなのだといったふうに見られたらよい。人間であるからには、たがいにそれほど大したちがいはないと言えるのがあり、うんと引いた視点から見てみれば、たがいにそれほどの差はない。

 すべての人間はみな死ぬ定めにあり、それは人間が男性と女性の遺伝子を与えられていることによる。男性と女性の遺伝子から子どもが生まれて、一人の個人は 二n の細胞をもつ。アメーバのように単細胞生物であれば 一n の細胞をもつから不死である。人間はそれとはちがって多細胞生物であり、男性と女性の性のちがいをもち、可死である。

 人間はみな 二n の細胞をもっていることから、人間は死をまぬがれることができず、年をとって行くごとに体の細胞が避けがたく劣化して行く。生から死への不可逆の一方通行を進んでいるのだ。生の裏には死がくっついている。どんな人であったとしても男性と女性とからなる 二n の細胞を体に持っているのは同じだから、いずれみんな死ぬ点ではみなが同じ条件にある。その条件をみなが持っていることからして、個人はたがいにみな同じだと言えるだろう。

 参照文献 『天才児のための論理思考入門』三浦俊彦 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『大学授業がやってきた! 知の冒険 桐光学園特別授業』