愛知県知事をやめさせる運動の中でおきた不正と、その不正の行為にたいする反応

 愛知県の県知事をやめさせる。県知事をやめさせる運動の中で署名が集められたが、そこに不正があったうたがいがある。不正が行なわれたうたがいがある中で、署名の数をごまかすためにアルバイトが雇われていたのだという。アルバイトが署名をごまかすことにたずさわり、そう指令されていたのだという。

 愛知県知事をやめさせる運動の中で不正が行なわれたうたがいがあることを、行為と反応の組みで見られるとするとどういったことが言えるだろうか。不正の行為のうたがいがあることにたいする反応としては、それが弱いところがあるのが見うけられる。愛国による運動だからだろうか。日本の国のことをよしとすることにかかわる運動だから見かたが甘くなっている。内集団ひいきの認知のゆがみがはたらいているかもしれない。

 善と悪の図式でいうと、愛知県知事をやめさせたいのがある中で、そこで位置づけられる愛知県知事はどちらかといえば悪であり、やめさせようとするほうは善だ。愛知県知事がなした行ないにたいするひとつの反応として、それは不正だといった反応がおきて、愛知県知事をやめさせる運動が行なわれることになった。

 許容できる範囲を超えていることを愛知県知事がやったとすることから、愛知県知事をやめさせる運動が行なわれた。それは愛知県知事が行なった行ないにたいするひとつの反応のしかただ。その反応のしかたはさまざまにある反応のしかたの中のひとつであるのにすぎない。

 善に当たるのが愛知県知事をやめさせる運動をになう人たちだ。その自分たちの自己認識があるとして、あまりにもその善が強くなりすぎてしまうと、自由主義(liberalism)における法の決まりを守るような正義よりも、自分たちがよしとする善のほうをより重んじてしまう。正よりも善だといったことになり、自由主義が損なわれることになる。正よりも善だとなることから、かくあるべきの善による純粋な動機によってつっ走ることがおきてくる。

 自由主義をきちんと守るようにして、正を善よりも優先させておく。人それぞれによってさまざまな善があるから、それらの善がいろいろにあることを許容するようにして行く。たったひとつの善だけをよしとはしないようにして行く。そうしたほうがやや安全性は高い。

 正を善よりも優先させるようにして、自由主義によって見るのであれば、愛知県知事の行ないにたいする反応としてさまざまなものがあることが認められる。さまざまな反応をとることができるのがあることからすると、愛知県知事の行ないについてを絶対の悪だとまではできない。許容することができないほどの客観の悪だとまでは言いがたい。完全な悪だとしてしたて上げたり基礎づけたりはできづらい。そう見なすことにつなげられるところがある。

 哲学の新カント学派による方法二元論によって見てみられるとすると、事実(is)と価値(ought)を分けることがなりたつ。愛知県知事が行なった行ないと、愛知県知事をやめさせようとした運動の中で行なわれた不正とは、どちらもが事実としては行為だ。事実としては行為に当たる中で、自由主義においては、法の決まりを破っているかどうかがひとつの確認の点になってくる。

 自由主義においては他者に危害を加えるのでないかぎりはそれぞれの人は自由に行為を行える。他者に危害を加えることは、法の決まりに反することが多く、具体の義務に違反していることになる。

 たとえどのような反応が愛知県知事の行ないにたいしておきたのだとしても、その行ないが具体の義務に違反しているとまではいえないのであれば、許容できないほどの客観の悪とまでは言い切れそうにない。

 分かれ目となってくるのは法で決められている決まりを守っているかどうかであり、それを守っていなくて破ったのなら具体の義務に違反したことになる。具体の義務に違反するような行為を行なったのであれば、その行為は事実としては罪に当たる。

 事実としては罪に当たる行為が行なわれたとして、その中でいることは、知の誠実さをもつようにすることではないだろうか。価値についてはさしあたっては置いておいて、事実の解明にできるだけ全力をつくす。あくまでも事実についてはきちんと認めて行く原則をとって行く。知の誠実さが欠けていて、不誠実になってしまうと、たとえそれが事実であったとしてもその事実を認めないようになってしまう。あくまでも善や正義をなしたのだと言いつづけることになる。

 価値についてはいろいろな見なし方ができるから、行為にたいしてはいろいろな反応がおきることになるが、その中で知の誠実さをもつようにして、事実を認めて行く原則をとって行く。事実は事実なのだから、それと価値とはとりあえずは切り分けるようにして、遵法精神(compliance)をもつようにすることが、公共性がかかわる政治においてはとりわけ重要になってくる。自由主義からするとそう見られるのがありそうだ。

 参照文献 『日本の刑罰は重いか軽いか』王雲海(おううんかい) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『考える技術』大前研一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『知のモラル』小林康夫 船曳建夫(ふなびきたけお) 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修