アメリカで新大統領がついたことと、新旧の権力の交代

 アメリカの大統領が新しくジョー・バイデン氏に変わった。このことをどのように評価することができるだろうか。どのように評価することができるのかは人それぞれによっていろいろにできるのにちがいない。その中で政党間競争(Party Competition)の点から見てみられるとすると、古い権力から新しい権力に権力を移すことのむずかしさがあるかもしれない。

 権力が長くつづくと権力が腐敗して行く。腐敗しない権力はない。そう言われるのがある。それを防ぐための仕組みなのが民主主義だと言えるのがあるだろう。だから民主主義において古い権力から新しい権力に権力が移ることはいちおうはよいことだと見なせるのがある。民主主義の中で政党間競争ができていることをしめす。独裁主義で一党だけしか許されていなかったら自由な選択による権力の交代はなりたたない。

 ジョン・アクトン卿はこう言ったという。権力は腐敗する性格をもつ。絶対の権力は絶対に腐敗する。上の地位にいるからといってその者を権威化したり神聖化したりするのはまちがいだ。

 古い権力から新しい権力に権力が移るさいに血が流れることがある。理想論としては血が流れないで古い権力から新しい権力に権力が移ることがのぞましい。それがのぞましいのはあるものの、現実論としては血が流れてしまったり古い権力がいつまでも居すわりつづけてしまったりする。 

 いつまでも古い権力が居すわりつづけると悪くはたらく。そうしたことがあるから、古い権力が長くつづいたほうがよいのだとは言い切れそうにない。古い権力が長くつづくことの欠点としては、権力が長くつづくと権力が腐敗して行くのがある。腐敗しない権力はないから、多かれ少なかれ腐敗がおきる。政党間競争がさまたげられつづけてしまう。

 得をしたか損をしたかでいえるとすると、古い権力から新しい権力に権力が移ることはそのどちらに当たるのだろうか。古い権力をよしとする人からすれば損をしたと受けとれるのにちがいない。それを一歩ほど引いて見られるとすると、いっけんすると損をしたようであったとしても必ずしもそうではないかもしれない。全体として見るとそれなりに得をしたところもある。全体が絶対に大きな損をしたのだとは言い切れそうにない。それなりに得をした見こみもある。

 仕事をする場でいえるとすると、いまの職場にいつづけるべきかそれとも新しい職場に移るべきかがある。これはかんたんに答えが出ない問題だ。いまの職場にいつづけようとすることはもしかしたら学習性無気力(learned helplessness)によるかもしれないから、新しい職場に移ったほうがよりよくなる見こみはまったくゼロとはいえそうにない。無責任なことは言うことはできないが、可能性としてはそれがある。

 理想論として古い権力がいつまでもとどまりつづけることが誰にとってもまちがいなくよいことだとは言いがたいのがある。そこには欠点があるのはいなめない。きちんと政党間競争がはたらくようにして、権力の腐敗を防ぐ。血が流れない形で古い権力から新しい権力に移す。それも一つの理想論による形だと言えるだろう。

 現実のアメリカでは連邦議会の議事堂に乱入する犯罪がおきて血が流れてしまったのがある。これは現実論において政治がかかえている難しさを示していることだとも見なせるのがある。現実論における政治にはときとして血なまぐささがつきまとう。政治の殺人で政治家などが排除されることが歴史においてしばしばおきている。それは人間がもつ暴力性によっている。野生の動物とはちがい人間は本能が壊れているために幻想による観念にたよるところがあり、それによって危ないことになることがある。戦争が引きおこされるのはそれによっているのがあり、共同幻想の負のはたらきだ。

 参照文献 『政治学入門』内田満(みつる) 『デモクラシーは、仁義である』岡田憲治(けんじ) 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『政治的殺人 テロリズムの周辺』長尾龍一 『唯幻論物語』岸田秀 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)