与党である自由民主党による政権に見られる、(広い意味での)金とカタリの汚さやおかしさ

 政治は金とカタリによる。そう言われているのがある。金は広い意味でのものであり、じっさいの金だけにかぎらず広く社会の価値をさす。地位や名誉をふくむ。カタリは言説だ。それらによって多数からの支持を得る。

 日本の政治は金とカタリがおかしくなってしまっている。与党である自由民主党安倍晋三前首相の桜を見る会のお金の使い方のおかしさがとり沙汰されているが、これは日本の政治で金とカタリがおかしくなっていることをあらわす。それを象徴している。

 政治においては金とカタリが用いられるのがあり、それらが完ぺきに適正なことはありえづらい。多かれ少なかれどこかしらに汚いところや嘘があることは避けづらい。そのていどがどうかによる。そのていどがいちじるしくひどくなるとまずい。きびしく見れば日本の政治は金とカタリがかなり汚くなっていておかしくなっていると見られるのがあるだろう。

 広い意味での金においては、時の政治の権力にとって都合が悪い者を排除する動きがおきている。そのじっさいのあらわれとして日本学術会議から政権にとって都合が悪い学者を排除することや、日本学術会議そのものを廃止する(民営化する)ことがねらわれている。政権に批判を投げかけるものは政権にとっての利用価値がないからだ。政権にとってはただ煙たくてうとましいだけに映る。もっとつっこんでいってしまえば友敵理論の図式において政権にとっての敵だ。

 政権にとって都合が悪い者をわきに追いやるいっぽうで、政権にとって都合がよいたいこ持ちや権力の奴隷は中心化される。政治の権力からの呼びかけにすなおにしたがう自発の服従の主体だ。権力の顔色をうかがいそんたくをして空気を読む。

 金のところを見てみると、そこがおかしくなっているのがあり、政権の虚偽意識が強まっている。それを改めるためには、政権が自分たちを脱中心化することが必要だ。政権にとって都合が悪い者である議会の内や外の反対勢力(opposition)をわきに追いやるのではなくてむかえ入れる。いまの日本は議会の内や外の反対勢力によってかろうじて持っているようなものだから、そこが駄目になったらいよいよ駄目になってしまう。そうしたところがある。

 金とカタリには汚いところや嘘がおきてしまっているが、それらを少しでも改めて行くためには議会の内と外の反対勢力の力が欠かせない。その力が欠かせないのは、政権は自分たちで自分たちのことをきれいにする自浄作用をもはや失って久しいと見なせるのがあるからだ。与党である自民党は不祥事をいろいろにためこんでいる集団になっていて、不祥事の集団と化している。いろいろに見られる中できびしく見ればそう見なせるのがあり、これは議会の内や外の反対勢力の力がひどく弱くなっていることと相関しているものだろう。自由民主主義(liberal democracy)の競争性と包摂性が損なわれている。

 中心化されていて多数から支持されている与党である自民党のことを支持しつづけていても、金とカタリの汚さや嘘は改まることは見こみづらい。いろいろに見られる中できびしく見なせるとすればそう見なすことがなりたつ。そこで必要になってくるのが反対勢力の力であり、脱中心化されていた者が中心化されることがいる。それによって政治の中心にたまりつづけている汚れやうみを少しでもきれいにして行く。いろいろにやるべきことがある中で、それがいるのが一つにはある。

 参照文献 『政治家を疑え』高瀬淳一 『寺山修司の世界』風馬の会編 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『小学校社会科の教科書で、政治の基礎知識をいっきに身につける』佐藤優 井戸まさえ 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『ポリティカル・サイエンス事始め』伊藤光利