与党である自由民主党と、イカとタコ―タコばかりの集まり

 イカかタコか。それがあるのだと作家の村上春樹氏はどこかで言っていた。イカは異化で、タコは他己である。イカはまわりの者とは異なるような自分のあり方で、タコはまわりの者と同質化するあり方だ。

 与党である自由民主党の中には、タコばっかりでイカがほとんどいない。そういうふうに見てとれる。政権や首相が言うことややることをみんながよしとして、それにあらがう人がほとんどいない。政権や首相をよしとはせず、自分はそれとはちがうのだというふうに距離をとる人が出てきづらい。

 自民党の中にタコばかりではなくてもっとイカがいっぱいいたらよいのではないだろうか。タコばかりだとみんなが同じようになってしまう。かわりばえがない。とりかえがきく。同質化しているからだ。タコではなくてイカであればほかの人とたやすく同質化していないから、同質化への圧力にあらがう強さをもつ。権力からの呼びかけにたやすくなびかない。とりかえがきかないあり方をのぞめる。自民党の中にいる議員はそれを目ざしてみるようにするのはどうだろう。タコはおおぜいいるのだから、タコになってみてもしかたがない。政治家であることのほんとうのかいはないだろう。

 自民党の中にタコがいっぱいいれば、一時としてはやりやすく効率はよいとしても、長い目で見たら悪いことになりかねない。タコがいっぱいだと抑制と均衡が働かず、専制化するほうにかたむく。タコばかりのあり方だと専制化をおさえづらい。イカがいっぱいいれば抑制と均衡がはたらくので専制化へのおさえが多少はきく。そのほうが長い目で見たらいーかもしれない。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫