いまの首相による政権が与えるあめとむち―あめ(ほうび)の与え方のおかしさとかたより

 いまの首相による政権にしたがう者にはほうびを与える。したがわない者にはほうびを与えず、ばつを与えることもある。

 いまの政権は、政権にしたがう者にはあめを与えて、したがわない者にはあめを与えず、むちを与えることがあって、政権に協力する者にはあめを与えるが、非協力な者にはそれを与えず、むちを与えることすらある。

 桜を見る会やその他のことで、政権がやっていることは、あめとむちということでとらえられる。このあめつまりほうびの出どころは国民からの税金だ。あめの与え方が、国民に広く益になるようになっているとは言いがたい。ひどくかたよりがあるのだ。

 そもそもの話として、いまの政権の協力者と非協力者を分けて、協力者にあめを与えて、非協力者には与えず、むちを与えることがあるのは、えこひいきだ。公平さを欠く。やってはいけないことだから、できるかぎりやらないようにしないとならないものだろう。

 いまの政権が協力者に与えるあめは、物理のものでもあるし精神のものでもある。ほんらい近代の国家では、国家が個人を手なずけるのはないようであるのがのぞましいものだろう。国家から個人が独立していることがいるのが、近代における中性国家のあり方だ。

 いまの政権が協力者にあめを与えてしまうと、国家に個人が手なずけられてしまい、国家がよしとすることを個人もまたよしとすることになってしまう。これはいっけんするとよいことだと見なされるものかもしれないが、国家がまちがったことをしたさいに(国家はしばしばまちがう)個人はそれにただしたがうことになってしまう危なさがある。

 いまの政権が協力者にあめを与えるのは、あめを与えられた者を腐らせてしまうことになるし、外発の動機づけがおきることになるので、内発の動機づけが減退することになる。内発の動機づけというのは(お金が得られるなどではなく)自発としてものごとをやることだ。

 あめの元手というのは国民の税金なのだから、正当性があることが問われるのであって、かたよったものであるのはまずい。広くさまざまな国民にまんべんなく益をもたらすようでなければならないだろう。そこにえこひいきがあってはならないはずだ。将来の世代に気を配ることもなければならず、財政では無駄づかいをなくすことがいる。その点については、緊縮はよくないなどの色々な意見があるのはたしかだが。

 参照文献 『徹底図解 社会心理学山岸俊男監修 『ええ、政治ですが、それが何か? 自分のアタマで考える政治学入門』岡田憲治(けんじ)