NHK による屋内語の虚偽意識のばらまき(時の権力への迎合)

 日本語は屋内語になりやすい。そう言われている。屋内語とは、戦時中の大本営発表のように、日本の国内でしか通じないものを言うことだ。屋外では通じないものである。

 いまの NHK は、いまの首相による政権にべったりとくっついてしまっている。それによって、屋内語による虚偽意識(イデオロギー)をばらまいてしまっている。

 NHK がやるべきなのは、屋内語をできるだけばらまかないようにして、屋外語の視点をもつことではないだろうか。国内でしか通じず、国外からの視点からすればすぐにぼろが出てしまうようなことを、できるだけ言わないようにすることがいる。

 屋内語による内の視点ばかりにかたよっているのはのぞましくない。できるだけ報道の内容が偏向しないようにするためには、屋外語による外の視点をもつようにして、日本の国内だけで通じればよいというのではなくて、日本の国外においても通じるように、NHK にはまともな志をもってほしいものだ。

 いまの首相による政権という、時の権力からしかられないのならそれでよい。NHK はそういうふうに、および腰になっているように見うけられる。時の権力を持ち上げるようなことを報じているのだ。そうであることによって、屋内語による国内の報道と、屋外語とが、大きくずれてしまっている。屋外語である海外の報道のほうが正しいことが少なくないのだ。

 屋内語に大きく偏りがちなのが NHK のあり方だ。NHK がもつ正しさのものさしが狂っていることをあらわす。時の権力にしかられるのを避けることによって、正しさのものさしが狂ってしまう。正しさのものさしができるだけ狂わないようにするためには、権力にたいする批判の視点が欠かせない。

 NHK は形だけは報道をしているつもりなのかもしれないが、その報道の内容や価値がどうかということが大切だ。内容や価値はどうかというと、その質は高いということは言えそうにない。

 質が高いとは言えないのは、NHK が、正しく考えるとか、正しい報道を行なうという問題意識を持っていないようだからだ。受信料というお金を視聴者からもらっているのだから、少しくらいは、正しく考えるとか、正しい報道を行なう、という問題意識を持ったらどうだろうか。

 正しく考えるためには、当然のことながら、権力への批判の視点をもつことが欠かせない。あくまでもそれは必要条件ということであって、十分条件ではないだろうが。また、時の権力がよいか悪いかという一面性ではなくて、二面性であってもよい。〇か一かのデジタルではないということだ。

 参照文献 『正しく考えるために』岩崎武雄