なんで野党どうしで共闘し合えていないのだろうか。
どうやったら野党どうしで共闘し合いやすくなるだろうか。まとまりやすくなるだろうか。
どこに目をつけるのかで、政党の名前に目をつけてみたい。そこに着眼してみる。
どういう政党が政権をとりやすいのかがある。
政権をとりづらい政党は、名前が無難なものではない。当たりさわりがないものではない。
だれも文句をつけられないような名前の政党は、政権をとりやすいのである。
みんなが良しとするような、誰もけちをつけないような政党の名前だと、政権をとることができる。
いまの与党は自由民主党だ。自民党は、自由と民主と名のっている。自由や民主は、当たりさわりがない。無難さがある。誰もけちを付けないものである。
たとえ自由や民主を名のっていても、じっさいにできていない。実行ができていない。名のっていることができていないのはあるけど、これは日本が抱えるまずさも関わる。
自民党ではなくて、名前が裏金党だとする。うら金党だったら自民党の実際のありようだ。じっさいのありようではあるけど、うら金とは何ごとだとなる。多くの人々に受け入れられるものではない。お金がすべての拝金党とか、お金と票がすべての金票党なんかでもさしさわりがある。冷笑(cynicism)党なんかも駄目だ。
冷笑主義が悪いのは、独裁につながるからである。独裁をうながす。批判党なんかはよい。批判がどしどしなされるのはよいことだけど、批判が否定されがちなのが日本の政治である。あらゆる政治家や政党は、他からの批判に開かれていることがいる。
批判党といえば、野党のれいわ新選組は批判の力が高いけど、皮肉のところもある。皮肉党のところがあり、そこはあまりよくない。皮肉を言うのであるよりも、与党の自民党をどしどし批判して行く。それと共に、あらゆる政治家や政党は、他からの批判に開かれているようにして、批判をこばまないようにしたい。他からの適した批判は値うちをもつ。
日本が抱えているまずさでは、抽象論が遠いのがある。自由や民主は具体論ではなくて抽象論のものだけど、それが遠い。日常から遠いものになってしまう。日常に近くない。
日常から遠くなってしまうのが抽象論である。自由や民主は抽象論によるものだけど、それが日常に根ざしていない。抽象論が日常に近くなって、日常に根ざすようになればよいけど、遠さがあるのである。
具体論によるのであるよりも、抽象論による方が、まとまりやすい。そのしょうこに、政党の名前に抽象論によるものが使われていることが多い。自民党の自由と民主は抽象論だ。これだと当たりさわりがなくて無難さがあるから、政治家どうしがまとまりやすいのである。
野党どうしがまとまり合うために、抽象論を使ったらどうだろう。政党の名前をもち出す。使えるものとしては、自民党の自由と民主がある。野党では、立憲民主党の立憲主義がある。
日本維新の会は、使えない。日本は特殊なものだし、維新もそうだ。
国民民主党は、民主のところは使える。国民はくくりがちょっと大ざっぱであり、外国の人などを排除してしまうから(一見すると良さそうではあるけど)必ずしもよくない。
日本共産党の共産は使えない。共産主義だと左すぎる。右の人が良しとしないだろう。
社会民主党は使える。社会民主主義(social democracy)だったら、左派の政治家どうしはまとまり合えるだろう。左派の政党どうしでまとまり合える。日本は社会民主主義が弱いのがあり、それをもっと強めて行くことがいる。社会民主主義はおだやかな左である。極端なのや過激なものではない。
しっかりと民主主義が根づいている国は、抽象論が日常に近い。抽象論が日常から遠くない。抽象の語が、日常に根づいていて、日常でも使われる。
いまの日本は民主主義がしっかりと根づいているとはできそうにない。日本の民主主義は、つまり戦後の民主主義だ。戦後の民主主義がかなり危機におちいっているのがいまの日本の政治だろう。
なんで野党どうしで共闘し合えなくてまとまり合えないのか。体系(system)としてそれを分析してみると色々な要因がありそうだ。一つの要因だけにしぼれないだろうけど、その中の一つの要因としては、抽象論が日常から遠いのが日本にはある。
せっかく抽象の語が政党の名前に使われることが多いのに、それが生きていない。じっさいに実行できていないのである。あんまり実行できていないのはあるけど、野党どうしが共闘し合い、まとまり合うために、政党に付けられている抽象の語を活用するのはどうだろう。
いまの野党の第一党は立憲民主党だけど、立憲主義の野党どうしでまとまり合う。立憲主義だったら論争がおきない。一人勝ちになるようなものだったら論争がおきないからお互いに共闘し合える。まとまり合える。一人勝ちとは、多くの人が認めるようなものだ。
政党の名前だったら、たとえば消費税(減税、廃止)党だとお互いにまとまりづらい。論争がおきてしまう。一人勝ちになかなかならないから、政治家どうしや政党どうしがまとまり合うことには不適当だ。
具体論によるのだと論争がおきてしまう。民主主義において論争がおきるのは良いことだけど、政治家どうしや政党どうしがまとまり合うためには上位(meta)によるのが適している。たとえば消費税党だったら論争がおきてしまうから、それよりも上位にするようにして、一人勝ちになるようにして行く。
より上位のものとしては、すでに政党の名前として使われているものがよい。自由や民主や立憲主義などだ。下位のものでまとまりづらいのだったら、それを上位にしてしまう。部屋でいえば、立憲民主党が一つの部屋だとしたら、部屋の壁をとり払う。
抽象論である立憲主義をもち出すようにして、部屋の壁をとり払い、部屋どうしをつなげる。部屋の改築みたいなことを行なう。大部屋にする。小部屋になってしまっているのがいまの日本の政治のありようだ。
論争がおきていて、小部屋にとどまっている。それがいまの日本の政治である。改築されていない。たとえば消費税党みたいにしてしまうと、大部屋にならなくて、小部屋にとどまってしまう。
大部屋にするためには、抽象論の政党の名前なんかを使うのは手だろう。いまは力が弱まっているけど、野党の社民党の、社会とか社会民主主義なんかはかなり大事だ。いまは力が落ちているから目だたなくて目を向けられていないけど、そうした中で社民党に目を向けてみたい。
社民党は力が弱いけど、そのいっぽうで、社会や社会民主主義の重みはけっこう重い。社会がこわれてしまっているのがいまの日本にはあるから、社会を重んじて行くことがいる。社会に危機がおきているのがあるから、社会に着眼して、そこにもっと目を向けるようにしたい。
参照文献 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦 『社会(the social) 思考のフロンティア』市野川容孝(いちのかわやすたか) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『目のつけどころ(が悪ければ、論理力も地頭力も、何の役にも立ちません。)』山田真哉(しんや) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『「戦争と知識人」を読む 戦後日本思想の原点』加藤周一 凡人会 『社会認識の歩み』内田義彦(よしひこ) 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『民主制の欠点 仲良く論争しよう』内野正幸 『本当にわかる現代思想』岡本裕一朗