IOC 会長が言うように、日本人はねばり強くて逆境に強いのか

 日本人に感謝したい。日本人は個性的なねばり強さの精神をもつ。逆境に耐える高い能力をもつ。五輪を東京都で開けるのはそれらがあるからだ。国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長はそう言う。

 バッハ会長が言うように、日本人にはねばり強さや逆境に耐える力があるのだろうか。むしろそれとは逆に、日本人にはねばり強さがないのではないのだろうか。性急さや感情の直情径行さや直接さがある。

 日本の武士道では、ねばり強くあることがよしとはされていない。ねばり強くあるよりは、いさぎよいことがよしとされる。いさぎよいことはねばり強くはないことだ。

 日本の文化はわりとあっさりとしているものだろう。どちらかといえば押すよりも引く。はかなさやもののあわれによる。西洋の文化はそれとはちがって(よい意味での)くどさがあり、これでもかといったねばり強さが見られる。しつようさやしつこさがある。押して押しまくる。念を押す。

 歴史においては、負の歴史の追及が日本の国は甘い。戦争の責任を追及するのが不十分に終わっている。戦争の責任をうやむやにしている。西洋ではドイツなどでは戦争の責任をしつように追及していっていまにいたっている。地球のうらまでナチス・ドイツの戦犯を追いかけていった。よい意味でものごとにたいするしつこさがある。

 長期にわたって持続してものごとをなして行くよりは、短期に一時的に力を出す。日本ではそうしたことが多い。長期の計画や展望に欠ける。かつてのアメリカやイギリスとの戦争では、日本の国は短期で決着をつけようとしていた。短期であれば何とかなるとしていた。その日本の国のもくろみはみごとに外れた。戦争に敗れた。

 日本の社会の中で成り上がるさいに、短期に一時的には成功するが、それが長つづきせずに落ちて行く。そうしたことがしばしば見られる。報道機関はいったんは上に持ち上げて、それから手のひらを返して下に叩き落とす。いったん短期に一時的に盛り上がって、それがやがてしぼむ。成功が長つづきしないで、わりと早めに下に落ちていってしまう。地に足がついた着実さがないことから来ているものだと見られる。

 修辞学の議論の型(topica、topos)の因果関係からの議論によって見てみたい。バッハ会長が日本人について言っていることを修辞学の議論の型から見てみられるとすると、バッハ会長は日本人の内に原因を帰属させている。これは因果関係における基本の帰属の誤り(fundamental attribution error)だととらえられる。

 基本の帰属の誤りになっているのがあるために、バッハ会長は日本人の内にそなわるものとしてねばり強さや逆境に耐える力があるのだとしている。それらは日本人の内にあるものではなくて、外の状況によるものだととらえることがなりたつ。外から強いられることによる。

 精神論がとられるのが日本の国では多く、心でっかちになりがちだ。外から強いるあり方だ。日本人の内にそなわっているものによるのではないから、したくないがまんを強いられる。いやいややらざるをえない。またはお上によって人々の心脳が操作される。

 日本人の内にそなわっているのではなくて、外から来ているものだから、日本人と反日本人のちがいは自明とは言えそうにない。日本人とは何かといえば、そこには不明なところがある。日本人は日本人論をしばしば好む。さまざまな日本人論が言われている。さまざまな、日本人は何々だ、の論がある。それはけっきょくのところ日本人とは何かが必ずしもはっきりとはしないところから来ているかもしれない。あいまいさがつきまとう。

 記号表現(signifiant)としての日本人がどのような記号内容(signifie)をあらわすのかはひとそれぞれによってちがう。すべての人がみな同じ記号内容を頭に思い浮かべるのではない。バッハ会長が頭に思い浮かべている日本人の記号内容は、あくまでもバッハ会長の個人の主観によるものにすぎず、客観そのものだとは言えそうにない。

 すべての日本人がみな同じあり方をしているのではない。みなが同じあり方をしているのであれば、きわめて同質性が高い。ほんらいはそうではないのにもかかわらず、みなが同じあり方にさせられてしまっている疑いが高い。画一性によっていて、同化への圧力(peer pressure)が高いのである。

 ことわざでは十人十色(several men,several minds)といわれている。これはかくある実在(sein)のありようだ。人それぞれによってちがいをもつ。ちがいがあることを否定して、みなが同じだとするのはかくあるべき当為(sollen)によるものだろう。バッハ会長が言っているのは、かくあるべき当為のあり方の一つだといえる。

 当為によりやすいのが日本の国にはある。実在のありようを否定する。日本人はねばり強くて逆境に耐える力をもつと言えるよりは、日本人は当為によりやすいといったほうがより正確なのがある。かくあるべしがとられやすいことで、かくあるあり方が無視されやすい。

 かくあるべきによりがちだから、それにすぐによってしまわずに、かくあるあり方をじっくりとていねいに見て行く。科学のゆとりを持つようにして、ねばり強さや逆境に耐える力が欠けないようにしたい。危機におちいったさいに、反日や非国民だとされるものをすぐに排除してしまわないようにして行く。かんたんに割り切れないことをすぐに割り切ってしまい、二分法の白か黒かや味方か敵かなどに分けないようにしたい。割り切れなさにとどまりつづけて耐えることができる力を日本人のはしくれとして少しでも身につけて行きたいものである。

 参照文献 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『クリティカル進化(シンカー)論 「OL 進化論」で学ぶ思考の技法』道田泰司 宮元博章 『対の思想』駒田信二(しんじ) 『「日本人」という、うそ 武士道精神は日本を復活させるか』山岸俊男 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『心脳コントロール社会』小森陽一 『日本人論 明治から今日まで』南博 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし)